« 五代前の校長先生 | トップページ | 哀悼をささげます、サレジオ学院生の交通事故 »

2005年10月17日 (月)

「笑点」の40年

  • 教育実習生のSさん、本日で実習終了です。職員朝礼で挨拶してもらいましたが、生徒という立場から教える立場になってたくさんのことを学ぶことができたと話してくれました。最後は胸を詰まらせていましたが、きょうは生徒たちともお別れの日、大事な一日となったことと思います。
  • 明日より中間テストです。各学年とも、それぞれに意義付けのある、大事なテストです。しっかり頑張ってください。

051015geijututo_kaidan 土曜日、紹介した下の写真は、図書室に入るところの吹き抜け階段から、校庭を眺めたものです。

※皆さんご推奨の場所が校内にありましたら、私に教えてください。貼り付けていきたいと思います。

■本校教育三ヵ年計画で、テレビの「笑点」見学が提案されていますが、その司会者の三遊亭円楽師匠が脳梗塞で入院したというニュースが、土曜日、流れました。そして日曜日、051017bunsyun_9gatu 文藝春秋9月号を開いたら、そこに「笑点」レギュラーの桂歌丸師匠が一文を寄せていました。

「笑点の四十年」と題されています。部分引用致します。※顔写真は本文とは関係ありません。ずっと下に紹介したURLのサイトに載せられていたものです。若き日の歌丸師匠。若いですねえ。20代でしょうか?あとで若き円楽、談志両師匠も載せておきます。では引用開始。

051017_utamaru 【「笑点」が初めて放映されたのは、昭和四十一年の五月十五日。当時、流行っていたテレビドラマ「氷点」をもじって、立川談志さんを司会に番組は始まった。今年の五月十五日の放映であしかけ四十年となりましたが、大喜利での「座布団一枚」「座布団全部持ってって」なんてやりとりは当初よりなんら変わりません。

 そのせいか、「笑点」といえば大喜利。大喜利は「笑点」が基本、と思われる方もいるでしょうが、そもそもは寄席の最後に、噺家たちがお客さまへのサービスとしてやっていたものでした。(中略)

現在の大喜利メンバーは昭和六十三年からで、舞台左から三遊亭小遊三、三遊亭好楽、林家木久蔵、あたし、三遊亭楽太郎、林家こん平(現在は病気療養中のため林家たい平)という順で並ぶ。自然と役割分担もできて、木久ちゃん(木久蔵)は誰にでもわかりやすい話。楽さん(楽太郎)は世の中を小難しく、あたしは政治ネタというふうに。「笑点」は子どもさんもたくさん観ている番組なので、エロやグロ、悲惨な事故や事件は取り上げません。(以下略)】

■「笑点」があしかけ四十年。ほんとうに長く続いていますね。考えてみれば、私の子供時代に放送が始まっていますので、確かに四十年は間違いありません。私も最初から大好きな番組で、今でも日曜日、これを見なかったら、決まりが悪いというか、リラックスしない、次の一週間が頑張れないというぐらい、大好きです。

■「大倉山高校の五十年」で、「笑点の四十年」を見に行くということになるかもしれません。

※最後に次のURLからひっぱってきた円楽談志両師匠の若きころを張っておきます。そして円楽師匠の早い退院、こん平師匠の快復を祈ります。051017_enraku 051017_tatekawa_dansi

http://www004.upp.so-net.ne.jp/greenhill/shoten/shoten_histry.htm

|

« 五代前の校長先生 | トップページ | 哀悼をささげます、サレジオ学院生の交通事故 »