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2006年1月 5日 (木)

「人生の幸福量保存の法則」

あけましておめでとうございます。本年もご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。新年ですので、浮世離れしたというか、哲学的な話題をご紹介します。

皆さんは、<誰の人生においても、幸福と不幸は量的につりあうようにできているものだ>という話を聞いたことがあると思います。

今、幸せいっぱいと思って絶頂感にひたって努力しないでいると、それと同じ分量の不幸が訪れたときに乗り越える力をつけることができず不幸のどん底に陥るぞ、だから絶頂感に浸りきるのでなく日日精進しなさいとか、

今が不幸の境遇であれば、必ず将来幸福に転じて、生涯としては釣り合いがとれるから、辛抱して頑張りなさいとか、

いうような御説です。

以上のようなことについて、玉川和正という建築家が「人生の幸福量保存の法則」とまとめておられます。詳細は(玉川さんのサイトも含めて)明日の記事でご紹介しますが、玉川さんのおっしゃるところは以下のようです。(在校生にも分かるように、文章は簡略化してあります)。新年のさっぱりした頭で、いっしょに考えてみてください。

こうして考えてくると、人生の幸福の量は一定であるとつくづく感じざるを得ません。何を幸福と呼ぶかにもよりますが、それでもあえて「人生の幸福量保存の法則」と呼びたい。

「幸福」(「不幸」でもいいが)という曖昧で主観的なものを物質化して、あえて「人生の幸福量保存の法則」と呼んでみた。

ピカソの子どもマリーナ・ピカソを例に出すまでもなく、残された家族や遺族、関係を持った人々の思いを加味するならば、このことはさらに鮮明になることでしょう。

人生とは「維持することが可能な自由を求めること」だとボクは思います。<安定した自由>など、この世に存在しないから。

維持可能な自由(サスティナブル・フリーダム)を求めた人間群像の足跡として「人生のセイムスケール」は存在し、「人生の幸福量保存の法則」は成立するのではないか。

これはやはりボクの主観が入りすぎて、見た人に拒絶感を与えるかもしれませんね。

  • 玉川和正さんは、謙虚に自分の「主観」と言っておられますが、私は同意できます。若いころから考えていたというか、感じてきたところですから。
    • 上文のなかの「人生のセイムスケール」というものを明日ご紹介しますので、それをご覧になれば分かっていただけると思います。本日の記事は明日のものとセットとしてご覧願います。

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