第三話 荻野アンナさん;鎌倉アカデミア創立60年
←蓮華草(れんげ草)といえば、昔は田舎の田植え前の田んぼや土手に群生する姿が目の保養となっていたものです。私の田舎も春はれんげ草だらけでした。花を踏み潰して遊んで怒られたものです。そのれんげ草を右欄で紹介している「万事塞翁が馬で 行こう」ブログさんが載せていただいていますので、ご紹介します。
さて、きょうの鎌倉アカデミアに関する第三話は、荻野アンナさんに由らせてもらいます。
芥川賞作家で、慶応大学教授の荻野アンナさんがテレビのBSiで、「荻野アカデミア」というゲスト対談番組をやっておられるということですが、その5月20日放送予定で「鎌倉アカデミア」について触れられるそうです。以下、その内容です。
敗戦から間もない昭和21年5月。戦火を免れた鎌倉光明寺に、斬新な大学が作られた。
「鎌倉アカデミア」
愚かな戦争をくり返さず、真の民主主義の土壌を作り上げようと、哲学者三枝博音を学長に、高見順ら多くの知識人たちが教壇に立ち、知に飢える若者たちと相互練磨しながら、揺るぎない教養を身につける場を作り上げた。
それまで「敵か味方か」「生か死か」など、二者択一しか持ちえなかって若者たちにとって、ここは、生きる根源を問い直し、再構築していく場となった。
国の認可を得ない私塾ではあったが、慣習に囚われず外に開かれ、自由に溢れていた。
わずか4年で廃校となったが、ここでの「学びの実践」は、今なお語り継がれている。
鎌倉アカデミアは、日本におけるリベラル・アーツ実現の場所であった。
リベラル・アーツ。古代ローマでは、自由人だけが教養学を学び、教養が自由人と奴隷を分かつ境界であった。いま欧州では、この志を継承した高等教育が進められている。
これに対して、我が国の現状は寂しい限りだ。
人々は、ただ日々の仕事や暮らしに追われ、本質的な難しいことから遠ざかり、「善か悪か」「勝ちか負けか」という、単純な思考に縛られ、そのことに気づかずにいる。
その結果、真実を見極め、物事を柔軟に判断していく力が、痩せてきてはいないだろうか。
<敵か味方か>、<善か悪か>、<勝ちか負けか>などの二者択一(○×)思考の愚なることは、昔から言われてきたことです。そこに陥らないためには、教養(または教養をはぐくもうとする心、ないし教養を尊敬する心)が必要です。教養は民主主義が衆愚政治に落ちないために社会全般に行き渡る必要がありますが、そのためには、私達一人一人が実は何も知らないのだということを知る謙虚さが必要となります。(ソクラテス「無知の知」)。
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