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2006年5月26日 (金)

飛行船ふたたび

  • 中間テストが終わりました。明日は実力テストです。一夜漬けのかなわぬ試験ではありますが、今晩勉強したところが出るかもしれません。試験前はいつも勉強してから休む習慣をつけましょう。

060526sarubia_over_photo_by_seimon 060526sarubiauetuke_by_seimon 060526himawari_nae_by_seimon ←正門の花壇にTさんとSさんがサルビアとひまわりの苗を植えつけてくださいました。畝(うね)をこさえての本格的な植え付けです。Tさんの足元が向日葵(ひまわり)です。ついこのまえまで、すみれの花が目の保養でしたが、これからはサルビア、そして、あと一月もするとひまわりが登下校の皆さんの目を楽しませてくれることでしょう。 

  • この4月、東横短大から武蔵工業大学三年に編入したMさん(平成16年本校卒業)が昨日、来校してくれました。職員室でK先生に数学を教わっていました。聞くところによると、大学の数学授業は簡単だと友達にきいたので履修したところ、友達には簡単でも自分には大変難しいので、先生に教わりに来たとのことでした。教科書をみるとΣ(シグマ)の記号などがいっぱい並んでいます。来年、就活(シュウカツ;就職活動)にいそしめるように単位を何が何でもとらなければならないことなど、いろいろ話してくれましたが、困難に負けずぜひぜひ頑張ってほしい。

060526hikosen_biyond_hotel_1 060526hikosen_up_1 さて、おととい、飛行船が年に1-2度、本校上空を舞うという話をしましたが、年に1-2度どころか、二日目にして現れました。色からすると別の飛行船のようです。・・・いや、同じかな。おとといの写真、遠目でもなんとなく赤っぽくみえます。何か宣伝を日を置かず、何度も繰り返しているのかも知れません。

こんどは文字もわかるように撮影してお目にかけますと約束しましたのに、きょうもまた拡大しても文字までは判明しない写真で申し訳ありません。

それでも前よりも近くに見えました。おとといよりも西よりの航路で新横浜のプリンスホテルの上を飛んでいきました。飛行船の上から見る新横浜周辺はビル、道路、新幹線、国際競技場などが所狭しとみえて圧巻でしょうが、あのあたりは30年ほど前までは田んぼだらけの中を新幹線が走っているだけでした。

いま港北区誌(昭和61年3月刊)に目を通しているのですが、明治41年の大倉山周辺の地図が載っていました。060526kouhoku_ookurayamatizu_meiji41nen 左の写真の一番右側の線が綱島街道。一番左が鶴見川。横切っているのは今のレモンロードです。点々が家。数えてみても全体で6-70軒ほどしかありません。そして今のレモンロードの南側には家は皆無です。

もっとも地図は明治41年のもので(100年も前)、比較するには無理もありますが、事務室のTさんはご当地出身。ご本人の小さいころでも、そのあたりは低湿地で住宅には適さなかったといいます。鶴見川が氾濫すると一面、水の海でどうしようもなかったということですので、明治大正の昔からわりと最近まで住宅事情に変わりはなかったと思われます。明治41年に飛行船が飛んだとしたら新横浜は殺風景にうつったでしょうか、それとも目に優しい自然の姿だったでしょうか。想像力を働かせてみてください。

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