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2006年8月21日 (月)

早稲田実業野球部の優勝で幕を閉じた甲子園大会

■10日~20日までの期間、過去の校長日記から再掲してまいりましたが、懐かしく読み直していただけたでしょうか。本日より通常スタイルの校長日記に戻ります。

060821himawari_by_nikezo 060821himawari_front_counsering_room 060821nemunohana 久しぶりに学校の風景をご覧に入れます。ひまわりの写真ニ葉です。書道室前、ナイキの像(ニケの像)の横とカウンセリング・ルーム(4科研究室)前に咲いている向日葵の花です。一番右側は、合歓の木(ねむのき)の花が、ちらほらですが、今も頑張ってくれています。写真では、ほぼ真ん中左よりにあります。目を凝らしてご覧ください。合歓の木の花満開状態は、6月28日の日記で紹介していますので、ご覧下さい。

■今日の話題は、早稲田実業高校野球部が駒澤苫小牧高校の三連覇を阻むとともに悲願の初優勝を遂げて幕を閉じた本年の甲子園大会についてです。

毎年8月前半、日本中を釘付けにする高校野球甲子園大会。高校生活におけるどの群像も同じひたむきな高校生であるところ、一つのスポーツだけにスポットライトを当て過ぎるのは嫌いだという人もいますが、私はそう思わずに、この年まで生きてきました。私自身は剣道に明け暮れた青春時代でしたが、自分らの成績よりも野球部の成績に一喜一憂したものです。

きっと本校在校生の中にも甲子園の攻防から多くの感動を得た人が大勢いるだろうと思って、きょうの日記を書きたいと思います。

37年ぶりに、決勝再試合を早実と駒苫の選手諸君が再現してくれたのは、とても感動的なことでした。今回の決勝両試合は小論文補習などで十分観戦できませんでしたが、37年前は私は高校一年生。太田投手(三沢高校)と井上投手(松山商業)の投げ合いを固唾をのんで観戦したのを思い出します。太田投手の方に女子高生の黄色い声援が全国から飛んだ状況のなか(高校野球に<全国区アイドル選手>が登場した最初の年でした)、松山の井上投手が太田投手に投げ勝ち、ヒール役とならざるをえませんでしたが、そんな展開に、私は青い高校生ながら、二人に<人生>を感じたものでした。

ところで、今大会の白眉は、決勝の両校もさりながら、私が思うには、もう一つあげさせてもらって、準々決勝、帝京高校と智辯和歌山の試合ではなかったかと思います。7回までの攻防によって、観戦していた誰もが帝京高校の負けを予想した8回表と9回表、特に9回表2アウト、文字通りの土壇場からの攻撃で一挙8点を挙げ大逆転を果たした帝京高校の粘り腰に息を呑みました。そして今度は逆に、誰もが帝京に勝利の女神が微笑んだものと疑いをはさまなかった9回裏、ところがところが、3ランホームランなどで逆転サヨナラ、智辯和歌山に勝利の女神は凱歌(がいか)をあげた。エースをはじめ投手駒を使い果たし、最終回、臨時に登板指令を受けた帝京の三投手。いずれも今夏初登板で制球に苦しみ痛々しい気持ちが観ているほうにも伝わってきます。しかしそんな三投手に同情などものかわ、智辯は執念で勝利をもぎとりました。帝京がかわいそうにも思えましたが、黒白(こくびゃく)つけざるをえない勝負事の厳しさを痛烈に感じた最終両回の攻防でした。

今夏、東東京大会3回戦で帝京の試合を観戦しましたが、強いというのを通り越して、相手チームも必死の練習を重ねてきた同じ高校生なのに、そのチームにひとつも<野球をさせない>帝京というチームでした。そのチームが敗れ去っていく甲子園です。

その頂点に立つために、それも史上まだ一校しかなしえていない偉業、三度続けて立つために、方や王貞治氏以来、40数年かけた悲願をかけて頂点に立つために、力を出し切ってたたかった駒苫早実両校に敬意の拍手を送って、きょうの日記を閉じたいと思います。

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