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2007年2月23日 (金)

「カンボジアと私」(その2)2月10日   シナリオライター小山内美江子先生講演

■昨日の続きです。2月10日(土)の小山内美江子先生講演・後半部分のご紹介■

  • 昨日2月22日の記事(←クリック)
  • 樋口先生の「カンボジア視察記」は明日から連載復活です。

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070223_0210_50osanai_zoutei5070223_0210_50osanai_zoutei6 ←左は、講演後、齋藤生徒会長らより小山内美江子先生へお礼の花束を贈呈した折りの写真です。

 一番右側の写真に写っている二人の青年男女は、大学生ボランティア隊で活躍している方です。大変フレッシュでバイタリティのある挨拶をしてくれました。それでは講演の後半をご覧願います。

  • 見出しは、校長の私がつけたものであり、全体の文責も校長にあります。

「音楽や絵画の授業」 1994年に熱海市長がピアニカ、メロディオンをたくさん寄贈してくださったので、それをカンボジアに持って行きました。ところがカンボジアの教育局長さんが音楽教科書を見て「この符号(♪)を読める者がカンボジアにはいないから先生も派遣してくれ」と言うのです。だから楽器もたくさん送ったけれども、当時プノンペン(首都)にあった47の小学校全部から先生を集めて先生に音楽を教えました。

 足踏みオルガンも持って行きましたが、しっかり勉強しなかった先生はオルガンが鳴らなくなったから薪(まき)にして燃やしたりしたのですね。ひどい話ですが、それで私たちはもっとしっかり教えなければならないと考えて、音楽専任の先生を育てることにしました。

07022223_0210_50osanai_kouen3  その先生方が師範学校で先生のタマゴに教える。その学校の学生全員にピアニカ、もっとも中古だけどもプレゼントしました。皆、生まれて初めて見るわけだし、初めて吹くわけで、またその音色を聞くのも初めてだから、一回吹き始めたら、百何十人の先生のタマゴがピーピ-ヒャラヒャラやって止まらない。まるで幼稚園のようでした。私はおかしくって笑い転げましたが、途中から笑いながらも感激の涙が出てきました。

 もう師範学校ではカンボジア人の教師が音符の長短や高低など楽譜の読み方などの理論も教えることができるようになっています。音楽は世界につながります。カンボジアの音楽だけでなく、「さくら さくら」などの日本の音楽、ベートーベンなどのすばらしい洋楽がたちどころにわかるわけです。

 ピアニカを毎年2,000台欲しいと言うので、皆さんも家に使わないのがあれば寄贈してほしいと思います。小太鼓も贈られたのでマーチングバンドもつくりました。今秋、文化交流という名前でその30人ぐらいのメンバーを呼べるかもしれないと思っています。

 絵画の授業も進めていますが、残念ながらカンボジアには紙が不足しています。紙を作るには良い水が必要なのにカンボジアには適当な水がないからです。だから日本から余ったカレンダーを持って行って裏を使って絵を描いています。あのアンコールワットの寺院を作った優れた造形技術を持っている民族ですから、授業でやれば必ず絵画が上達するはずなのです。

「教材も送らなければ」 鉛筆もたくさん送らなければなりません。いつでも届けやすい都市部は3本、届けるのに遠い農村部は5本ずつにしています。最初は都市部も5本ずつ渡していたんです。でも、貧しいので、例えば3人兄弟に合計15本渡すと、親は一人に2本ずつ渡して残りの9本を売ってしまいます。

クレヨンも欲しいが、あまり集まらないのでストックしてある程度まとまってから渡すようにしています。

 信じられないでしょうが、カンボジアの学校の70%にはトイレがありません。日本では同じ年齢で一斉に小学校に上がるけれども、学校にカンボジアでは9歳なってから小学校に上がるという子供たちもいます。そういう生徒は6年生になるともう156歳、皆さんと同じぐらいの年齢になるわけで、女の子は生理もある。トイレが無いので裏の草むらで用を足せば、大変不潔で病気にもなりやすい。

 だから私たちはトイレも積極的に校庭に作っています。カンボジアのトイレはイスラム式で水を流します。だから井戸も必要なので井戸とトイレは必ず作ります。井戸を作ると近所のお母さん方が洗濯などに来て「井戸端会議」になったりもしています。

「カンボジアを支援する歴史的な意味」 ところで皆さんに考えてもらいたいことがあります。それはカンボジアを支援するということは歴史的には実は【恩返し】という意味があるということについてです。62年前、日本は侵略戦争に負けた。本来は巨額の賠償金を支払わなければならなかったわけですが、そのときカンボジアは全世界にさきがけて「賠償請求放棄」第一号の国になってくれたのです。そのうえ食糧難の日本にお米も送ってくれました。その国が今困っています。お返ししないでどうするかという気持ちが私にはありました。

 カンボジアの子供たちはゴミの山で働く子がいます。使えそうなものを拾って売って収入源としているのです。拾っている子供の上にゴミ収集車が知らずにゴミを大量に落として死亡するという痛ましい事故すら起きています。

「ご協力のお願い」 いまこのようなカンボジアの支援に多くの方が協力してくださっています。57年間ラジオで「秋山ちえこの談話室」を続けたラジオの神様のような秋山ちえこ先生をはじめ多くの有名人、文化人の方々が立ち上がって下さっているのです。

 大使夫人や大使館の方々のご協力で、戦禍や病気死亡などで親を失った子供のために孤児院も作りました。16歳かなと思っていたら19歳という孤児もいました。言葉が通じなくても抱きしめれば交流できる。アフリカに毛布の支援も行っています。アフリカは一日のなかで温度差が激しいのです。毛布がたくさん必要です。

 絵の交換や文通で世界が広がります。

 今は誰でも海外にいける時代です。私たちの会では、私をはじめ年配の者は若い人達から「半世紀組」と言われたりしますが、若者から中高年まで多くの人が活動しています。

私たちの事務所は六本木にあります。北海道から九州までの人々、東大の学生からあまり知られていない大学の学生まで大勢がボランティア活動をしてくれています。どこの大学だとか、どこの出身だとか、カンボジアに行けば、そのようなことは何の関係も無いです。そして一生つきあえる友情が生まれます。皆さんも是非、ご協力願います。

「最後に」 カンボジアの人達が私のことを何と呼んだら良いかと尋ねるので、おばあちゃんは嫌だし、グランマはきどっているし、それじゃ「ばあば」と呼んでもらうことにしましたら、次にカンボジアに行ったときに子供たちがわーっと駆け寄ってくれて私のことを大声で呼んでくれたのは良いのですが、なんと「ババア」と呼びました。これがオチということで、私の話を終わります。

ご清聴ありがとうございました。

070223_0210osanai_signkai ← 講演終了後、休憩時間には小山内先生の著作サイン会も行われ、多くの著書が完売に近い状態でした。

 私も三冊購入しましたが、いずれも興味深い内容でした。いつか紹介したいと思います。

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