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2007年2月22日 (木)

「カンボジアと私」(その1)2月10日   シナリオライター小山内美江子先生講演

210日(土)、シナリオライターの小山内美江子先生をお招きして講演会を開きました。当日の模様は10日の校長日記でご覧に入れましたが、肝心の講演内容はお待たせのままでした。本日と明日と両日連載します。

樋口先生の「カンボジア視察記」再開は土曜日以降となります。

JHP(学校をつくる会)の活動の歴史だけでなく、私たち日本人がカンボジアに学校につくることの意義にも触れていただいています。二日間、どうぞ根気強くお読みください。※見出しは私が付けました。また全体の文責も校長の私にあります。

■卒業記念文化講演:講師 小山内美江子先生

070222_0210_50osanai_kouen3 「カンボジアという国について」 まだ皆さんが生まれていない1970年にカンボジア国王が追放されて以来、カンボジアは内戦状態になりましたが、お隣で激しくなっていたベトナム戦争の余波がカンボジアにも及んできたのです。そういう中でポルポトという人がとんでもないことをしました。カンボジア国民は700万人いたが、ポルポトが政権をとった1975年から79年までの5年間に200万人を殺したのです。ポルポトは中国の毛沢東思想の影響を受けていたのですが、それを批判するインテリやエリートの人達を殺しました。眼鏡をかけているというだけで「インテリ」だといって殺すなど、宗教、芸術、教育を徹底的に壊したのです。王様の前で踊る舞姫まで殺されました。その後、内戦が続いて1991年にやっと和平協定が結ばれてカンボジアに平和がもどってきました。

「活動の始まり」 私たちの「学校をつくる会」はそれ以前から活動していましたが、1992年になって、国と社会の再建に歩み出したカンボジアのために協力するということにしたのです。内戦からタイに逃れていた難民が列車で帰ってきますが、プラットホームがないので、お年寄りや子供や赤ちゃんが降りられない、それを降ろすのに私たちの会の学生が手伝って降ろしてあげます。赤ちゃんは2 ヶ月までは首がすわっていないから首を支えて抱っこしなければなりませんが、それは私がやって、お年寄りは男子学生がおぶって降ろす。

 難民の人は鍋や釜などいろいろなものを持って帰ってきました。鶏も連れてきていたけど、足にヒモが結んであるので食糧なのかペットなのか分からなかったこともあります。とにかく難民キャンプでは私たちの会の学生はよく働きました。英語が得意な人は登録を手伝い、子供が好きな人は子供の相手をする。包丁が得意な人は1,500人分の料理を作る。このとき日本にははじめてPKO協力法案が出来て、自衛隊の皆さんもカンボジアに来ましたが、難民キャンプのお世話は私たち民間ボランティアがしました。

「学校をつくるきっかけ」 そして19935月、その頃には難民もキャンプ暮しから、それぞれの所へ戻っていったので、UNTAC(アンタック)という国連機関が中心になってカンボジアの総選挙を行いました。

 それで私たちは、今度は教育に取り組むことにしたわけです。

始めに話したようにカンボジアはポルポト政権によって教育が破壊されていました。学校の先生の80%が殺されたり国外に逃亡したりしていました。子供たちが通う学校もなく勉強の機会は奪われていたので、私はカンボジアに学校を作りたいと心から思いました。当時300万円あれば5教室の学校をつくることができたので、「継続は力なり」、一年に1校で良いから作っていこうと決めました。それからもう14年が経つ。だから14校が建設できていれば良い話なのですが、実はもう172校=目標の10倍以上の学校を作ることができています。

「箱物をつくるだけでは駄目」 学校を一生懸命建ててきたが、ある時、はっと気がついたことがあります。それは「箱物」(はこもの)を作っているだけでは駄目だということです。カンボジアの学校を見ると、二部制、三部制で授業をやっている。午前中の学年、午後の学年、夕方の学年というように二部、三部に分けて授業している。でも電気が通っていないから夕方は暗くて、三部の子どもは授業にならないのです。それで三部制だけはなくそうと一生懸命学校を建設したから、三部制の学校は無くすことができました。

カンボジアの授業を見ていると読み書きソロバンだけで音楽や絵画の授業がありません。カンボジアの言葉はクメール語といって言葉も字も難しい。だから私たちはクメール語を使っては教えることができない。でも音楽や絵画には国境はありません。よし、音楽や絵画を教えることにしようと決めました。先に難民キャンプの手助けをしていたとき、女子学生がギターを持って行きました。そうしたらキャンプ中から大人も子供も集まってきて手拍子を打ち踊り出しました。これが平和なのだという喜びをギターに合わせて表現していました。私も胸がきゅんとしました。カンボジア国民は本当は音楽が大好きな民族なのです。

(明日23日に続く)

  • 070222_0210_50osanai_zoutei2_1 070222_0210_50osanai_zoutei3_1  ← 講演会の終了後、本校後援会中場会長より、カンボジア学校建設資金の贈呈式が執り行われました。(目録)

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