カンボジア報告(2)&卒業生来訪&9万アクセス御礼
本28日午後5時前、御蔭様で、9万アクセスに達しました。ところが大変申し訳ないことに私が踏んでしまいました。校長日記を書こうとしてアクセス数を確認するため開きましたら、ぴったり90000の数字が・・・・・・ 目が点になりました ・・・・・、とりつくろいようもなく、申し訳ないことでした。
罪滅ぼしというわけではありませんが、ニアピンの89999と90001の方に記念品を差し上げます。ご連絡願います。また88888の方もまだご連絡ありません。ご遠慮なくご連絡ください。
校長日記を始めてから、9月1日で丸二年を迎えますが10万の大台も二学期半ばには達成できそうです。在校生、卒業生のために始めた甲斐を感じております。皆様のご愛読の賜物と深く感謝申し上げます。今後ともよろしくお願いします。
※お詫び:6月研究授業その他、「後日掲載」と予告しながらアップされていないものがあることをKさんよりご指摘いただきました。確かにその通りです。申し訳ありません。近いうちに必ずアップします。
■カンボジア報告(2)■
- 報告(1)は昨日8月27日の校長日記です。
■孤児院訪問■
いの一番に、JHP(海外に学校をつくる会)が開設した孤児院(CCHと呼んでいます)を訪問しました。
- 孤児院の由来は次のようなことです。
- カンボジアではポルポト派の大虐殺のあとも内戦が続き、至るところに地雷が埋設されたため、2001年に最終的に訪れた平和のあとも、地雷による犠牲が相次いでいます。日本のJAICAなどのNPO法人などによる精力的な地雷処理が進められていますが、まだ何百万発という数が埋まっているといいます。
- 内戦や地雷によって両親を失った子供たちは自分で稼がなければならないわけですが、その稼ぎの一つとしてゴミ捨て場からめぼしいものを見つけては売るという「商売」がありました。
- ところがゴミ捨て場ですので、ゴミを積んだダンプがゴミを捨てる際に誤って何トンもあるゴミの下敷きになる子供もいたそうです。
それでJHPは政府当局と交渉して、危険なゴミ捨て場を別の場所に移し、その跡地に孤児院を建てて孤児を引き受けることにしたということです。孤児院では英語と日本語の両方を教えています。壁や柱に所狭しと日英両語ならびに数式が書いてありました。
私たちが席に通されたあと、子供たちが一人一人自己紹介とあいさつをしてくれました。5-6歳から17-18歳ぐらいまで総勢50人ぐらいいましたが、みんな英語と日本語でスピーチしてくれました。まだいたいけない子が挨拶するときには、後ろに立っている年長の子が慈愛に満ちた目で見守っているのが印象的でした。
子供たちの挨拶のあと、中場会長の音頭で私たちも全員お返しの挨拶をしましたが、もちろん日本語でした。
この挨拶の途中、JHP(海外に学校をつくる会)の学生夏季ボランティア隊の一行が孤児院訪問に訪れました。
樋口先生が「千ヶ崎さんがいるかもしれない」というので、目をこらしていると、果たしていました。
千ヶ崎さんも樋口先生を見つけて駆け寄ってきます。続けて卒業生の荒川さんや在校生の石渡さん、荻原さんを見つけて抱擁。三年生が一年生のときに教育実習にやってきた「先生」ですので、みんなびっくりしながらも大喜び。嬉しい邂逅(かいこう)でした。
- 千ヶ崎さんについては、5月18日の校長日記(←クリック)をご覧ください。
挨拶交流のあと、孤児院所長の先生の挨拶、全員による日本歌唱(指揮をとる子のほうにつぶらな瞳を向けて一生懸命歌ってくれました)、そして最後に、みんなを代表して5名の少女がカンボジアクメール民族舞踊のアプサラダンスを披露してくれました。
ちなみに、この5名は来る10月31日、来日します。JHP15周年祝賀会に招待されるのだそうです。
時の立つのは早く、お別れのときがきました。いつまでも手を振ってくれたり、こちらが向けるカメラにポーズをとったりしてくれ、本当に名残はつきませんでした。孤児の将来に幸あれ!
| 固定リンク
コメント