学園祭準備&研究授業
■連休も学園祭準備■
16日ー17日と連休でしたが、大勢の生徒の皆さんが登校して学園祭準備に余念がありませんでした。
学年主任の古川明美先生の御実家の竹林から高さ10mを超え幹回り20cmほどの孟宗竹を五本もいただきました。市販では、きっと数万円するだろうと思って、感謝しながら持ち帰りました。
この竹がどこにどう使われるか、学園祭でご確認ください。
■3年A組「古典講読」研究授業:教育実習生佐久間愛さん■
先週土曜日(15日)、3年A組で教育実習生佐久間愛さんの研究授業(古典講読)でした。
単元は「源氏物語」。900年も昔の平安時代に紫式部が書いた小説で、世界最初の小説とも言われます。
「いずれの御時にか 女御 更衣あまた候ひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」で始まる源氏物語の有名な冒頭部分、「桐壺の巻」です。
「ほとんど全員の貴族の女性が、悔やしーとばかりに口にハンカチを噛んでいる状態」という表現を使いました。
それは次のようなあらすじを思い出させるためでした。なかなか上手いひょうげんですね。
時の帝(みかど)には、弘徽殿(こきでん)の女御との間に「一の皇子(皇太子)」が生まれていました。そこへ、桐壺更衣(きりつぼのこうい)との間に、類まれな容貌をもった「玉のような皇子」が生まれたことから小説は展開します。「玉のような皇子」とは言わずと知れた<光源氏>ですね。
一夫多妻制の時代、帝(みかど)には大勢のお后(おきさき)がいましたが、身分制によってお后もいろいろと位に分かれていました。更衣という位は女御の下。つまり光源氏を生んだ桐壺更衣は、皇太子を生んだ弘徽殿の女御よりも下の位です。
つまり皇太子を生んだ后が上位ですから、順当で、何も問題は生じません。ところが、位の低い桐壺更衣が生んだ光源氏が「玉のような皇子」であったこともあり、帝の寵愛は桐壺更衣に集中するようになります。こうして桐壺更衣は、ほかのお后の嫉妬(しっと)を一身に浴びることになります。
作者の紫式部によれば、帝と桐壺更衣をめぐって、宮中の貴族たちは、「唐(中国)の玄宗皇帝と楊貴妃のように国を傾けることにならなければ良いが・・・」というようなことまで言い出す始末。
玄宗皇帝と楊貴妃の物語は、この源氏物語が書かれた時代より300年ほど前のことです。それがさりげなく源氏物語に書かれてあるということは、この時代の貴族にとってその知識は常識だったことがわかりますね。古典を読むことの面白さの一つです。
授業は、係り結び、二重敬語、使役動詞などの文法事項にも触れながら、源氏物語ワールドに生徒を引き込んでいました。前にも書きましたが、佐久間さん、緊張した様子も見せずに、生徒への発問や説明のときには生徒の表情をしっかりうかがおうと、生徒の顔と耳を傾けるようにしていました。
教室の後ろに先生たちがずらりと並ぶ中、合格点を上げることができます。
- ところで、係り結びとは、「ぞ・なむ・や・か・こそ」の助詞(係助詞)が使われる時、文末の結びの語句が必ず「連体形」(「こそ」の場合だけ已然形=いぜん形)になるという文法事項です。
- 現代にも、卒業式歌などで唄われる「蛍の光」の「♪今こそ別れめ~♪」に残っています。これは「今こそ分かれ目」ではなく、「今別れむ」(今別れよう)という文章に「こそ」を使ったため、文末が已然形になったものです。係り結びの例として覚えておきましょう。
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