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2007年12月10日 (月)

夏目漱石

  • 期末試験が始まりました。頑張ってほしいと思います。

0712yuhi20071210 0712y_kumo20071210 夕焼けがきれいでしたが、

おもしろい形の雲が出ておりました。

中心から放射状四方に飛び散るような形です。今年はほんとうにいろいろ珍しい形の雲をみることができます。

瑞祥(良い知らせ)であればと祈っております。

■書道部■

 このところ書道部の話題を多く載せておりますが、先週土曜日、書道部の皆さんがまた一つ快挙をなしとげました。後日、書道部のテレビ放映の記事を載せるときに一緒にお知らせしたいと思います。お楽しみに。

Soseki_2s ■夏目漱石■

 昨日12月9日は「漱石忌」。夏目漱石の命日でした。1916年(大正5年)没ですから92回忌ということになります。←写真は神奈川近代文学館所蔵のものをお借りしました。

 そういうことで、きょうは夏目漱石のことについて書きたいと思います。

 漱石といえば、今でも中学国語で「我輩は猫である」や「坊ちゃん」を、高校国語で「こころ」を勉強すると思いますが、没後90年以上になる今も日本文学界に最大最高の影響を与えている作家といえるでしょう。

 実際には、明治からこの方、漱石の作品より優れていると思われる文学作品はたくさん出ておりますし、私なぞは、どちらかといえば夏目漱石よりも森鷗外の作品のほうが好きです。

 それでも漱石がもっとも日本文学界に与える影響が大きいと認められているのは、一つにはきっと、正岡子規との交友、そして芥川龍之介や寺田寅彦をはじめ漱石門下生から俊秀の人材が数多く輩出したからだと思われます。それに加えて、「私の個人主義」などで近代啓蒙思想家としての一面を漱石が色濃く持っているからでもありましょう。

 ところで、実は、私の出身地の宮崎は漱石先生に悪く言われたことがあります。
(だから私が漱石よりも鷗外の作品のほうが好きだというのではないですよ-笑)
 「坊ちゃん」の中で漱石は宮崎県延岡について、「猿と人が半々に住んでる」と言っているのです。ずいぶんな言い方でしょ?知人にこの話をすると、きまってどの人も「おまえを見れば理解できる」とこれまたひどい返事をしますので、散々なのです(笑)。

 「坊ちゃん」は、自称「無鉄砲」の坊ちゃんが、四国は愛媛県松山の中学校に赴任して、たぬきのような校長や赤シャツの教頭たちがもくろむ悪だくみと戦う物語ですね。

 延岡を「猿と人が半々」といったのは、「赤シャツ」教頭がマドンナに横恋慕をよせ、そのために「うらなり君」こと古賀先生を計略にはめて、宮崎県延岡に転任させるときの話です。

 坊ちゃんは赤シャツにたいそう憤るわけですが、延岡に行かせることを「延岡くんだりまで落ちさせるとは何事だ」と言いつつ次のように言うわけです。

  •  「延岡と云えば山の中も山の中、大変な山の中だ。赤シャツの云うところによると船から上がって、一日、馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎からまた一日、車へ乗らなくっては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿と人が半々に住んでるような気がする。いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、何という物数奇だ」

 宮崎県出身の人間としては、はなはだおもしろくない表現ですが、漱石先生に言われていると思うと別に悪い気がしないから不思議です。

  •  ちなみに延岡は山の中ではありません。電車も汽車もなかった当時、人力車か大八車に乗って宮崎市から一日というのは本当ですが、江戸時代から城下町として開けたところです。宮崎出身の歌人若山牧水が延岡中学に通ったところであり、古くから開けた町です。漱石先生の地理観はまちがっていたのですね。

 思えば、愛媛県松山の人たちは「坊ちゃん文学賞」を制定したり、「坊ちゃんの湯」を設けたりして、夏目漱石のことを大いに気に入って町おこしのために漱石先生に今も働いてもらっていますね。そういう愛すべき松山の人たちのことを漱石は「坊ちゃん」のなかで、いろいろひどく書いています。

  •  松山について漱石いわく、「こんな田舎へくるもんか」「ひねこびた子供」「こんな土百姓」などと悪態をついているのです。

 しかし、どんなに言われても、松山の人達は漱石を敬愛し続けています。そういうことからすれば、私などが「猿と人と半々」といわれたぐらいで怒っては罰が当たります。
 ましてや、宮崎のことは次のようにも言ってくれていますから、なおさら腹をたてては罰当たりです。

  •  「(宮崎は)聞くところによれば風俗のすこぶる淳朴(じゅんぼく)な所で、職員生徒ことごとく上代樸直(じょうだいぼくちょく)の気風を帯びているそうである。心にもないお世辞を振りまいたり、美しい顔をして君子を陥(おとしい)れたりするハイカラ野郎は一人もない」と褒めてくれています。

 夏目漱石のことよりも宮崎のことについての話が長くなりましたが、実は「坊ちゃん」の舞台となった愛媛県松山といえば、本校ゆかりの地でもあるのです。

 というのは、橋本真理子先生という方が昭和50年代、本校国語科教諭として勤めておられました。源氏物語の研究家でしたので、本校にはわずか数年いらしただけで、目白女子短大の教授として転任していかれました。

 でもその数年の間に古典研究部などの指導を通して大勢の古典研究にはげむ卒業生を育て、卒業後も「橋本塾」とでもいうべき形で卒業生が慕って先生のもとに通っていました。その中から文筆業で生計をたてる人材も出ていますので、本当に素晴らしいことです。しかし大変惜しいことに平成13年にお亡くなりになりました。夏目漱石について触れた機会に橋本先生のことも記録しておきたく、ご紹介いたした次第です。合掌。

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