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2008年3月17日 (月)

3月2日卒業式に寄せて(3B望月奏美さんのお父上望月浩次様からのお手紙)

≪大変ありがたいお便り≫

080302sotugyousiki20080302 感動のうちに終えることができた本校最後の卒業式にあるお父様からとてもありがたいお手紙を頂戴しました。

080302sotugyousiki20080302_3私どもだけのものにするのはもったいないと思い、掲載のお許しを得ました。

080302sotugyousiki20080302_2 卒業式の写真とあわせて掲載します。※写真は すみれ写真工房の高橋社長にご提供いただきました。

080302sotugyousiki20080302_1卒業式の雰囲気もわかると思いますので、皆様、ぜひ全文をお読みください。

お便りをくださったのは3-B望月奏美さんのお父上です。望月さん、ありがとうございました。

080302sotugyousiki20080302_5080302sotugyousiki20080302_4 感動の卒業式でした。お疲れ様でした。

   こん なに感動した卒業式はありません。

080302sotugyousiki20080302_7 感謝と御礼をこめて、また、娘の卒業アルバムに私のことも気にかけてくださったことのお礼も含めて、手紙という形で挨拶させていただきます。

080302sotugyousiki20080302_6   卒業式は途中から父兄のすすり泣く涙であふれてました。私自身も涙をこらえるのが精一杯でした。
 教職員の皆様方にとっては、統合が決まってからこの日がくるのが全てだったと思います。

080302sotugyousiki20080302_10  娘がこの学校にお世話になろうと思ったのは、彼女が中学三年の時の学校訪問からです。当時の生徒会長が、とても立派なあいさつと話ができると、女房が絶賛していたからです。私も何回かこの学校におじゃましたときに、生徒達にあいさつしていただき、毎回感激しておりました。

  •  (重永注:当時の生徒会長は高橋牧子さんといいます。中学校長から折り紙付きで推薦されて入学してきた生徒です)

080302sotugyousiki20080302_8 学校の統廃合の話を聞いたときは大変びっくりしました。
 しかし、私が知ったときは「決まったこと」ということだったので、それならば、前向きに学校側が考えていただけるのならば良いと思いました。

 080302sotugyousiki20080302_9その結果、なかなか手に入らない劇団四季のミュージカルや宝塚歌劇などを見せてもらい大変幸せだったと思います。
 (我が家もキャッツを全員でみました)←娘がすすめてくれたので。

 また、先輩たちの来校も多かったのではないでしょうか。
080302sotugyousiki20080302_11 (娘の美術部はそのようだったようです。)
 そしてなにより、生徒と教職員が全員顔見知りである。
ということは大変な強みではないでしょうか。

080302sotugyousiki20080302_14 その結果が答辞を読んだ生徒会長との壇上での会話です。卒業式という公の場で(ほとんどが台本通り進む)あれだけ話ができるのは常日頃からコミュニケーションがとれていたからではないでしょうか。

  • 080302sotugyousiki20080302_15(重永注:「壇上での会話」というのは、生徒会長の齋藤美紀さんが答辞を読み終えたあと、壇上に答辞を持ってきてくれ、私が受け取ったときのことです。
  •  齋藤さんが「先生が校長先生で、佐野先生が教頭で良かったと本当に思います。この学校の卒業生であることを誇りに思います」と言ってくれたのです。
  •  校長が泣くと式典が崩れますので、私は卒業式では泣かずに卒業生を立派に送り出してやろうと思っていました。式辞も練習のとき二箇所でこみあげるものがあり、これはまいったなと思いましたが、本番では崩れることなく務めることができました。
  •  しかし、齋藤さんから思いもかけない言葉をいただいて、張り詰めていた気持ちが一気にはじけてしまいました。胸からこみあげてくるものがあり、すぐには言葉が出ませんでした。
  •  それで齋藤さんが壇上から降りようとするので、お礼を言わないまま壇上から降ろすのは失礼だと思って、やっとの思いで「ちょっと待って」という言葉をかけました。
  • 080302sotugyousiki20080302_16齋藤さんは振り向いてくれましたが、私は言葉にならず、ただただ涙がこみあげてくるだけでした。どのくらいたったのか覚えていませんが、「ありがとう。私こそあなたがたの校長になれて幸せでした」というようなことをやっと言えたように思います。あのときを思い出すと今でも胸がじーんとします。齋藤さん、ありがとう。

 生徒会長は校長先生が「珠玉の72人」とおっしゃってくれたことをすごく感激していたのが印象的でした。

 私からみれば、教職員の皆様は「黄金のスタッフ」です。
 最後まで手を抜かずに全力で送り出していただいたと思っております。

 校長先生がおっしゃっていた季節はずれの「山桜の花」はその象徴だと思います。

080302sotugyousiki20080302_12 その中でも、古川明美先生は「大倉山の真珠」ではないでしょうか。いいえ、もっと大きな輝きがあるかもしれません。背筋が伸びた姿勢、優しさと厳しさをうまく表現できる先生だったと思っております。

 こんなことがありました。修学旅行の娘を空港まで迎えに行ったときのことです。空港のゲートから一番最初に出てきたのが古川先生です。荷物は全て送ったということで手荷物のみでした。全員を見送るようにと思ってしたことだとは思いますが、いろんな事を考えている人だと思いました。この人は只者ではないと感じました。流行の「女性の品格」そのものです。

080302sotugyousiki20080302_13 卒業式に話は戻りますが、古川先生の送辞は感激でした。この時が感動と涙のピークです。古川先生が、この学校の卒業生とは聞いていましたが、公立高校に不合格になったことからお話しになり、「この学校を卒業して良かった」と思えるようにしてあげたいと言っていたことが、今でも頭の片隅に残っております。

080302sotugyousiki20080302_17  卒業式当日、娘が卒業パーティから帰ってきました。「家に帰ってくるのが辛かった」と言ってました。「いつまでも友人や先生たちと一緒にいたかった」そうです。この一言を聞いて、娘をこの学校に行かせてよかったと思いました。

080302sotugyousiki20080302_18  さて、最後にはなりますが、美術部の渡辺先生には会えませんでしたが、お体が悪いのでしょうか。娘が美術短大に進学できるのも渡辺先生の指導のおかげです。

080302sotugyousiki20080302_19  また船戸先生には三年間も担任としてお世話になりました。娘は目立ったところや特徴も少ないので、成績表のコメント欄の記載も大変だったと思います。

 重永校長先生におかれましては、ご健康にお気をつけください。「校長日記」も楽しみにしております。

080302sotugyousiki20080302_20  それにしても、卒業式というのは、終わった後に生徒と振り替えれない唯一の行事ですね。

 校舎も生徒もいなくなり、引越し等ますます忙しくなると思いますが、お体にお気をつけください。健康第一です。

 追伸:娘の靴磨きも終りました。さみしいやら嬉しいやら複雑な気分です。

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