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2008年5月17日 (土)

魚谷先生の「ライポンF物語」

virgo魚谷先生よりメールをいただきましたmemo

0805raiiponf_ana_58 5月13日の校長日記(←クリック)に私の「≪ライポンF≫失敗談」を書きましたが、それについて、魚谷先生がメールをくださいました。

 メールを下に掲載しますが、「ライポンF」などを使って野菜を洗うことは寄生虫対策などにより、厚生省からも推奨されていたようです。

  • つまり、私がライポンFで野菜を洗ったことは、当時の感覚からは「間違っていなかった」わけですね。・・・今はあらゆる観点から「間違い」でしょうから、若い読者の方々、絶対にしないでくださいね。←蛇足?釈迦に説法ですね。

 小学生の私は「ライポンF」で洗ったあと、それをしっかり落とさなかったので、野菜に洗剤くささが残ってしまったのだと思います。

 母に怒られたのは「ライポンFをしっかり落としなさい」という理由だったところを、怒られた印象が強いあまり、「ライポンFで洗ったことを怒られた」と思い込んでしまったのかも知れません。

  •  人の記憶のおもしろいところです。というか、記憶だけで物事を語ることの危険な点です。いずれにしても、私が食べられない味噌汁を作った「失敗」は消えないのですが・・・・・。

 それでは魚谷先生のメールをお読みください。文中イギリスの話が出てきますが、魚谷先生は大学ではシェイクスピアに関心をもって勉強されたといいます。またイギリスには、一回一回は短期ということではありますが、5回も渡られています。

私も50年前、ライポンFで野菜を洗っていました。
ただもう一度すすぎましたけれど。。。

そのころはまだ、化学肥料ではありませんでしたので、
回虫対策もあったのではないでしょうか。
それに  ・・・ とここまで書いてほんとかな?と
思い、WEB検索をしましたらありました。

http://www.maboroshi-ch.com/sun/ana_11.htm

話は変わりますが、イギリスでは食器洗い用の
洗剤をボールに溶かし、泡を立てて、その中に熱めのお湯
(43度くらい)をいれて洗います。そしてすすがずに
そのまま拭きます。

私がすすがなくていいの?
と尋ねても、すすがないのよとホストマザーに
いわれました。生来の気の小ささがわざわいして(?)
どうして?毒よとはいえませんでした。

娘のホストマザーもすすがなかったといいます。
お二人とも70歳くらいでした。

お料理は味が濃いせいか洗剤の味は
しませんでしたが、いただく前には《ま、
死ぬことはないから》といいきかせました。

イギリスの今の若い方はどうかわかりません。
所詮、人間のすることなんて、・あちらを立てれば、
こちらがたたず・ なのかもしれませんね。

私の『ライポンF』物語です。

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コメント

小野純恵さん。コメントありがとうございます。

「大倉山に帰りたい病」にかかっているとのこと。

 これまでの卒業生も皆さん、そうでした。

 ただ、今春卒業生のあなたがたは大倉山に帰ってこれない、等々力に行けば先生方には会えるけれども、でも大倉山の地ではない・・・このことがあなた方にとって大変悲しいことですね。

 本当によく気持ちが伝わってきます。

 皆さんの思いにこたえるべく、ここは(校長日記)バーチャルだけども、現実よりも現実らしい大倉山高等学校にしたいと思って、毎日更新を続けています。

 いつでものぞいてみてください。

 大倉山をふりかえることができる、ほっとすることができる、先生たちに会える・・・そういう日記にしていきます。

 また後日、本文で、小野さんのコメントに触れたいと思います。私も頑張りますので、大学という新しい環境に負けず、自己実現のためにマイペースを取り戻して頑張ってください。小野さんだったら、絶対にできると思います。

 それでは後日。

投稿: 管理人 | 2008年5月19日 (月) 11:24

校長先生、お元気ですか?
校長先生でいいのかな?(笑)
でも私にとってはいつまでも校長先生です!

思い出に浸りたくて、ふと校長日記を開いてみると、高校時代のたくさんの思い出がよみがえってきて、涙をこらえきれませんでした。

大学の中に自然と身をおくことが出来ず、いまだに違和感を感じています。
それは、高校生活が私の中でとてもとても大きな存在だからだと思います。
 

大学に入ってから、より一層友達と過ごした大倉山での生活、暖かい先生方の存在がいかに私にとって大切なものかを感じるようになりました。

今私は大倉山に帰りたい病にかかっています。
(笑)
たくさんの人がそうなのではないでしょうか?
帰りたいのに帰ることができない。
その事実にどうしても目を背けてしまいたくなります。

だけど、会えなくなったわけじゃない。
東横学園大倉山高等学校は大倉山の先生方、生徒達の心の中にある。忘れなければいいんだ。
そう思いつつ、みんなとの思い出を胸に頑張っています。

校長日記をみて、あぁいつでも“ここ”に戻ってきていいんだなぁっと、なんだか安心してしまいました。

投稿: 小野純恵 | 2008年5月18日 (日) 00:32

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