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2008年8月20日 (水)

13期古川明美さん原稿<五十年史より vol.6>

大倉山五十年史に寄せられた卒業生原稿 「その3」 です。

  • 既掲載の「五十年史」原稿は左欄(←)のカテゴリー「大倉山五十年史」をクリックすれば読むことができます。

いやだ、いやだ」から「この学校に入学して良かった」へ

 13期生徒会長 古川 明美(旧姓田中昭和52年より本校教師)

 合格を信じて公立高校のみを受験し不合格となった私は、2次募集で本校を受験しました。

 評判を聞いたことも学校案内を見たことも無く、とにかくここに入るしかないという状況でした。

 入学式当日、第一希望不合格の失意に沈み、いやだ、いやだと思ってバスに乗った為、次の停留所まで乗り過ごしてしまい、普段、何も言わない母から「何をしているの」と言われた記憶があります。

 入学式は昔の港北区庁舎(今より菊名駅寄り)で行われ、式後その場で、生徒手帳などが配られ説明がなされましたが、3人の先生が同時にそれぞれのクラスに説明するので聞き取れずみんないらいらしていました。

 それで、「良く聞こえません」と聞きなおし、私がみんなに説明したのを覚えています。翌日、委員長に指名されました。

 母が毎日深夜まで着物の仕立てをして家計をやりくりするのを見て育った私は、学費の高い私立に入学して申し訳ないという気持ちもあり、学年トップの成績と皆勤で卒業する決意をしました。

 毎日、予習をするようになり、学習意欲は中学時代とは大違いでした。

0808_50nensi_hurukawaakemi_yuki  登校は8時と決め、大雪でバスが止まった日、父に「電車が止まらない限り学校はある」と言われ、横浜駅まで歩き登校したことがあります。でも、学校に着くと「休校」・・・自宅に電話が無い時代です。(←写真:雪の日の山桜)

 2学期になると、毎朝、生徒会長の葉山さんから生徒会役員立候補を勧められました。

 大勢の生徒を前にして話す生徒会役員の方々をすばらしいと感じていた私は、新しい体験が自分を成長させると考え立候補しました。

 2年になって生徒会長になりました。全ての委員会の会議を放課後に行いましたので、各委員会の委員長と充分コミュニケーションをとることが出来ました。

 毎日18時まで活動しお腹がすいてしかたがありません。ある日、私と風紀委員長で、駅の「立ち食いうどん」に寄りました。顧問の先生に目撃され、翌日、二人とも注意を受けました。

 ところが私だけは他の先生からも何度も呼び出され「生徒会長たるもの・・・」と注意されました。そのときは、なぜ私だけこんなにと先生方が疎ましく思えましたが、この経験が一番上に立つ人間の心構えを作ってくれたように思います。

 1・2年の時は木造校舎で、春の授業中、隣の席の友人の背中の毛虫を手で払い落とし、「なあに」「うん、毛虫がいたから払った」「ありがとう」・・・実にのどかでした。

0808_50nensi_hurukawaakemi_stove  冬はだるまストーブで暖を取り(→写真)、教室一番乗りの人が火を起こし、灰の始末は週番の仕事でした。

 3年生は鉄筋コンクリートで暖房スチームのある校舎。3年生になるのを待ち遠しく思いました。

0808_50nensi_hurukawaakemi_okoujou  体育の授業は屋上、

 雨天の時は廃園になった幼稚園の木造校舎でした。

0808_50nensi_hurukawaakemi_syunkosi  2年生の時に体育館が完成し、

 神奈川大学吹奏楽団に竣工式の演奏依頼に山口先生と行きました。(←写真は起工式地鎮祭)

0808_50nensi_hurukawaakemi_hasidume  プール開きでは元オリンピック選手橋爪四郎さん(1952ヘルシンキ五輪1500m自由形銀メダル)の豪快な泳ぎに感激しました(←写真、記念講演もしていただきました)。

0808_50nensi_hurukawaakemi_taiikusa  3年生の時に先生方に提案して川崎市等々力競技場で体育祭を復活させ、高校生活で初めての体育祭を体験、学園祭では生徒によるクラス別仮装行列を行いました。

 3年生の夏、保健のレポート作成の為に横浜市「公害局」に通って資料を読ませていただき、職員の方から「あなた、高校卒業したら横浜市に勤めなさい」と言われ、悪い気がしなかったことを思い出します。

 こうして振り返ると、さまざまな思い出にいろどられ本当に充実した高校生活でした。

 やったことがなく困難だと思われることでも可能性が少しでもあれば「出来る方法はないか」と、より前向きに考えるようになった土台がこの東横学園大倉山高校で培われたと感謝しています。

 「いやだ、いやだ」が「この学校でよかった」に変わった三年間でした。

              (以上)

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コメント

普段は耳にしない昔の学校や先生の学生の頃のお話しが
とても楽しく、また自分の学生の頃を振り返ってみて懐かしく感じました。
学生だった頃の時間は違いますが、
学校と一緒にいろんなことがよい思い出なのは同じですね。
私もまだまだこれから。
どんな困難も笑い飛ばして前進する力強さを培って頑張ります!
今度じっくりお聞きしてみたいなぁと思います(^-^)

投稿: はら | 2008年9月 1日 (月) 22:57

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