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2008年9月 6日 (土)

16期井上まきさんの原稿≪大倉山五十年史よりvol.7≫

  • 五十年史より卒業生の原稿を掲載します。写真も五十年史の同じページに載せたものそのままです。
  • 既掲載の「五十年史」原稿は左欄(←)のカテゴリー「大倉山五十年史」をクリックすれば読むことができます。

    謝恩会に届いた新校舎建設の朗報

          16期生徒会長 井上 まき(旧姓 高橋)

1423_yamazakuramankai1 昨今は毎日のように大事件をメディアが報道し、世の中少々マヒ気味ですが、私たちの高校受験の頃、連合赤軍の浅間山荘事件に日本中がテレビに釘付けとなりました。

その1972年の4月私達は櫻満開の大倉山高校に入学しました。

 沖縄が返還されたり、中国からのプレゼントのパンダが上野動物園に来たのもこの頃です。

   128名で3クラス、少人数制で全員が友人という感じでした。担任は、足立先生、安西先生、浜島先生(後古川知子先生)の女性教諭。

 現在の教頭、佐野先生や森先生、土屋先生もこの頃の新任です。

 青春ドラマから抜け出して来たように下駄を履いて現れた佐野先生は印象的でした。

1423_1976sotualbum_kousya 丘の上の赤い屋根の木造校舎が目立つ大倉山高校でしたが、東校舎と呼ばれるこの木造の建物は老朽化が進んでおり、

 床は抜けそう、雨漏りはする、夏は日当たりが良く暑いが窓を開けると風は強い、虫が入る、そして痴漢も出る始末。

 女子高校生が勉強するには悪環境でした。

 東校舎を建て直して欲しい。私が言うより前から先輩が運動をして基礎を築いて下さったお陰で、私は16期生徒会長という立場で五島育英会にお願いする事が出来、

 「学校運営上でなく、授業を受ける生徒の代表である」事を主張させていただいた結果、話し合いに応じてくださる事になりました。

1423_1978sotualbum_sinkousya 朗報が届いたのは卒業謝恩会を行っていた東急ホテル。

 私はキャンディーズのものまね?で歌い終わった時、坂東校長先生から報告が有り涙が溢れました。

 残念ながら新校舎で授業を受ける事は出来ませんでした。

 自由で楽しい高校生活でした。

 自由にするには「自立し責任を持つ事、楽しむ為には努力も必要」、

 それを教えてくださったのが大倉山での高校生活と先生方です。

 「男女は平等、しかし同質ではない。」足立先生が教えてくださいました。

 私は今も事あるごとにこの言葉を思い出し、女らしく頑張ろう!と思っています。

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