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2008年9月 2日 (火)

今日は政治向きの話題をお許しください はらさんのコメントも載せています

8月23日の古川明美先生の五十年史寄稿(←クリック)に、卒業生の「はら」さんがコメント(←クリック)をくださいました。お読みください。

 さて、福田首相が昨日辞意を表明しました。

 「お疲れ様」というべきか「だらしない」というべきか。

 ちょっときつい言い方をしますが、昨夜来、いろいろと考えても、やはり、「お疲れ様」ではなく、「だらしないのではないですか」という言葉が喉元をくぐってきます。

 「国よりも党を重んじ、党よりも身を重んずる人のむれ哉」という尾崎行雄(憲政の神様と称される戦前から戦後にかけて活躍した政治家)の言葉が読売新聞に紹介されていましたが、昨今の政治状況を語るにふさわしい言葉だと思います。

 自分の党が選挙に勝つかどうか、政局を乗り越えることができるかどうかではなく、今、己が国民のために全力を尽くさなければならない政治的職責は何かを考える、そのためにはどのような難局も耐え切る、それが政治家でしょう。

 「自分が辞めるのが国民のためだ」・・・そういうように「国民のため」という言葉を政治家は使ってはなりません。

 内閣総理大臣の職務が一般からは想像もできない激務であることは歴代の回顧録や政治家、政治評論家の文章を読めばわかります。私のような凡百の人間には到底務まらないとも思います。だから床屋政談ならいざしらず、マスコミなどが安直な首相批判をすると腹立たしい思いにかられる国民も多いわけです。

 しかし、しかし・・・・・こんな辞め方があっても良いのかと思います。将来を夢見る子供たちに見せられた図ではないという思いがしてなりません。

 昨年の安部首相の辞任劇は、後になって内臓の持病が悪化したことが背景にあることが明かされました。今回の福田首相もそうなのかどうか?

 昨日の記者会見では首相ご自身が「安部首相のような病気辞任とは違う」と断言されていました。

 ただでさえ激務にくわえて、連立政権でかつ「衆参ねじれ」、支持率低迷という現状における首相の立場は相当に大変なものでしょう。しかし、だからといって、いや、だからこそというべきでしょう、「放り投げ」と見まがう形での唐突な退陣表明はいかがなものでしょうか。後任者がたまりません。

 お断りしておきますが、私は、今まで辞めろ辞めろの大合唱をしつつ、いざ辞めると「無責任だ」という人々と同じ意味で福田首相の辞任を論評しているのではありません。

 世の中には、どんなに苦しくても責務を放棄するわけにはまいらないとの思いで頑張っている人々がごまんといます。それは自分のためではなくその職責が抱えている人々、背後で頑張っている人々、そういう人のためです。死ぬわけにもまいらぬ、辞めるわけにもまいらぬ、歯を食いしばって頑張るという人々が世の中を支えています。

 そういう人々の生き方の先頭に立つのが内閣総理大臣という職であるはずです。

 時には支持率が極端な下がり方をしても任期がある限り、果たさなければならない責務をかかえる場合もあるはずです。どんなにマスコミから貶められようとも貫かなければならないときがあるはずです。それが一国の最高指導者のとるべき道です。

 今般の福田首相の辞意表明はそういう対極にある総理の行動として、大変残念です。

 5年も10年も首相を続けてこられたのならばいざしらず、首相になられてから1年も経っていないのです。今般の辞任劇に何か納得できる理由が、後であっても明かされるのであれば救われます・・・

 教育に関する本ブログの性格上、政治向きのことは触れないようにしていますが、今日は一筆せざるをえない思いにかられました。お許しください。

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