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2008年9月20日 (土)

22期伊東由子さんの思い出原稿≪大倉山五十年史 vol.8≫

一足先に、≪大倉山卒業生ネットワーク互助連絡板≫(←クリック)の方に掲載した原稿です。

伊東さんの「大倉山五十年史」寄稿原稿

     「まさか」を登ったら
                 22期 伊東 由子(旧姓 勝西)

「人生には上り坂もあれば、下り坂もある。もう一つ は『まさか』という坂だ。」と、ある政治家の名言である。

 おそらく、あの頃、私がいたのは、人生の下り坂だったに違いない。そして、どういう巡り会わせか「まさか」を登り始めることになる。

 「まさか」は、ある日、突然、目の前に立ちはだかった。不幸にも、高校受験に失敗した私は、行く先もないまま、卒業式の練習に参加していた。

 そんなある日、「とにかく、今、すぐこの学校に行って来なさい。」という担任の声。どうやら、私は、入試を受けることになるらしい。気持ちの整理どころか、どんな状況かもわかっていない。

 ただ、先生は、「何も心配することはないから。」と・・・その言葉を私は、素直に聞いた。何も心配する必要ないんだ。昼時に横須賀を出発した。すでに試験は終わりになっていた。

50nensi_1423_1980sotualbum_kotenk_2  変則で、試験の前に面接を終え、新校舎の玄関脇の部屋(古典研究部の活動場所だったところ)に通された。なぜか集中していた。何も感じなかった。

 ただ、担任が言ってくれた「何も心配することはないから」その言葉を何度も自分に言い聞かせていた。試験が始まって、どのくらい時間がたったのだろうか。「合格に決めましたから」いとも簡単に、高校入学が決まってしまった。

 「まさか」がこんなところにあるとは。そして私は、「まさか」にそびえ立つ、東横学園大倉山高等学校に、入学することになった。

 私は、一日も休まず、毎朝「まさか」を登り、本当に、よく学び、よく笑い、よく文句をいい、完全燃焼した3年間だった。

 家の事情で、就職を希望していた私に、大倉山は、さらに大きな「まさか」を登れとささやいた。

50nensi_1423_1980sotualbum_kotenken 「希望の星よ!あなたがやらないで誰がやる。逃げたら、ダメ」と、今は亡き橋本真理子先生(古典研究部顧問)から、おしりに火を付けられ、次なる「まさか」を登り始めていた。

 「まさか」は、どんなところに待つかわからない。「まさか」には、多少、運命的なものはあるかもしれないが、おそれずに全力で登ってみる価値はあると思う。「まさか」にかける人生があってもいいのではないかと思う。そんな「まさか」を登って、その上に待つ大倉山というところは、私の人生のランドマークであり、かけがえのないものである。

■伊東由子さんのモンテセラピー■

070726katunisi_yuko_san  江東区と青葉区でモンテセラピーの店を経営しておられます。(次のURLをクリックしてください) 

近くに行ったときにはお寄り願います。

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