42期生 千ヶ崎ひろみさん原稿≪大倉山五十年史よりvol.11≫
本日は≪大倉山五十年史≫からです。
- 五十年史掲載の卒業生原稿の紹介も、その9となりました。
- これまでに掲載してきた原稿(卒業生原稿以外のものもあります)は、←左欄カテゴリーの「大倉山五十年史」をクリックすれば、まとめてご覧になれます。
- 「大倉山五十年史」の原稿は、今後も掲載していきますが、全60頁を超えることになります。校長日記掲載は、まだまだ半ばにも至っておりません。年を明けての断続的な連載になりますことをご了解願います。
- 本日掲載の千ヶ崎さんは、これまでにも度々ご紹介してきましたが、現在、武蔵工大付属中高の教員をしておられます。昨年、カンボジア学校支援ボランティアに参加されました。以下の原稿では、カンボジアで私共と一緒になったことについても触れてくださっています。
「未来に咲く花」
42期B組 千ヶ崎 ひろみ
(武蔵工業大学付属中学高等学校=平成21年度より東京都市大学付属中高校教員)
現在、私は武蔵工業大学附属中学高等学校で講師として働いています。
教師になって2年、毎日を体当たりで過ごしていますが、生徒は日々成長していて、生徒から学ぶことが多く、人と関わることができる喜びを感じています。
教師を志した時、思い描いたのは大倉山の先生方でした。ふとした瞬間思い出すのは大倉山高校の先生が伝えてくださった、さりげない、でも真剣であたたかな言葉の数々です。
大倉山で過ごした日々は、今でも鮮明に懐かしく思い出されます。三年間、泣いたり笑ったりしながら一日一日を過ごし、悩んでも失敗をしても、いつも優しく見守って下さる先生方に支えられました。そして、何事にもあきらめずに、仲間を信じて進んでゆく大切さを教わりました。大倉山高校は私の原点です。
わたしは、一つ一つの言葉に思いを込めながら教壇に立ち、生徒と真摯に向き合い、生徒とともに成長していきたいと思っています。
もう一つ、忘れることのできない出来事があります。2007年8月に「JHP・学校をつくる会」の海外ボランティアに参加し、カンボジアに行くことができました。
現地の小学校を回り、校舎の横にブランコを建ててきました。仲間と一緒に一つの目標に向かって頑張った一ヶ月間は、大倉山高校で行事に取り組んでいた頃のひたむきな気持ちを思い出しました。
大倉山高校は「学校をつくる会」の事業に賛同し、カンボジアのバッタンバンに小学校を寄贈されました(←写真)。
わたしもそのバッタンバンのターナッ小学校に立ち寄ることができ、校舎の壁に記された「大倉山高校」の名前を見たときに、そこに流れる掛けがえのない時間を感じて思わず涙ぐんでしまいました。
カンボジアの教育の現状は、教員の不足、校舎の老朽化、文房具の不足など、まだまだ充実しているとはいえません。カンボジアの小学校にこれからも子どもたちの笑顔が溢れることを願っています。
カンボジアではゆっくりとした時間が流れていました。そこに流れる時間はそこにいる人々が紡いでいくのです。カンボジアの小学校にこれからも子どもたちの笑顔が溢れることを願っています。
カンボジアではゆっくりとした時間が流れていました。そこに流れる時間はそこにいる人々が紡いでゆくのです。また、時が経っても、そこに流れた時間は未来へと語り継がれてゆくのです。
大倉山高校で過ごした時間は、そこにいた人や花や木とともに、永遠にそこに刻み込まれているのだと思います。そして、卒業した大勢の人たちが、大倉山高校で育んだ幸せの種をいろいろな所で蒔いて、いつまでもきれいな花を咲かせています。
わたしもまた、大倉山高校の卒業生であることを誇りに思い、小さくてもきれいな花を咲かせていきたいと思います。
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