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2008年11月29日 (土)

畝原さんのお母さんからのお便り

  • 昨日(28日)9時ごろ21万アクセス(210000)に達しました。ヒットされた方、ご連絡ください。大倉山高校の封筒で粗品をお送りします。

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ここ数日、雨模様でしたが、今日は晴れてくれました。

通勤途上、先日掲載の青天と同じアングルで写真を切り取ってみました。通勤途上は曇天でしたが、渋谷に着いてみるとご覧のような青天。空は場所によってずいぶん違います。

 渋谷がどしゃぶりなのに15kmほど離れた自宅は晴れているなんてこともよくあります。 

 さて、先日、齋藤さんの「生徒会長日記」で大倉山高校の校庭掃除のことに触れましたが、それに関して畝原さんのお母様からメールを頂戴しました。大倉山に対する思いあふれるお便りです。ご紹介します。

pen畝原さん(49期)のお母様からのお便りmaple

ご無沙汰いたしております。
49期 卒業生 畝原の母親です。

校庭のお掃除をしていただいたとのこと。
感謝の気持ちでいっぱいです。

山桜はもちろんのこと、校庭の草木が誰のお世話もいただけないままに佇んでいるのだと、寂しく思っておりました。

もう1つ 個人的な気がかりがございます。

2月21日に 特別講座で「ラットの解剖」を森口先生に開いていただきました際の埋葬されたラットのその後・・・落ち葉に埋もれて土に帰っては居るのだと思いますが。

昨日、娘と久しぶりに話をした時に、ラットの解剖を先日して、今日はそのテストがあったと申しておりました。

高校時代のラット様(そう呼ばずには居られません)のおかげで、実習もレポートも、テストも良い点を取れたとのこと。

今朝、校長日記を拝見して、すべてに感謝の気持ちとお礼を申し上げたくて、メールを打たせていただきました。

これから寒さが厳しくなってくる事と思います。
校長先生 お体ご自愛くださいませ。

           畝原

※今年3月10日の校長日記でご紹介した森口先生の「ラット解剖講座」(←クリック)のことに触れられていますが、そのときを思い返して「ラット様」と呼ばれる畝原さんの御心持に感心せずにはいられません。

 畝原さんは自宅を離れて千葉の大学に通っています。子を思う母の気持ちがよくあらわれているお便りです。この校長日記を通して畝原さんにお母様の気持ちが届くことを祈ります。

081129_0906rat_no_haka ←今年9月6日に大倉山に行ったときの写真です。

 通りすがりに立ち寄っただけで校内には入りませんでした。

 そのときふっとラットのことを思い出して外から撮影したラットのお墓です。畝原さんのお母様から上のようなお便りをいただき、あのとき撮影しておいて良かったなと思いました。

 ただ、もう暗くなった夕方で、ストロボ照明も遠くまでは届かないため、鮮明には撮影できませんでした。赤い○で囲んだあたりがラットのお墓です。皆様、合掌願います。

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2008年11月28日 (金)

文化祭報告その1:武蔵工業大学(来春より東京都市大学)世田谷キャンパス

  • 10月21日の校長日記で(←クリック)、帝京大学の文化祭を報告しましたが、日曜日(11月23日)、武蔵工業大学世田谷キャンパスの文化祭に行ってきました。
  • やっぱり大学の文化祭は迫力が違います。当然といえば当然ですが、なかなか楽しいものです。どこの大学の文化祭も広く一般に門戸を開いていますので、皆さんもお近くの大学などにぜひお出かけになることをお勧めします。今は文化祭情報は、インターネットで簡単に調べられます。

081123musakoudai_bunkasai97武蔵工業大学(来春より東京都市大学)文化祭hotel

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今年の2月、卒業式前の特別講座を開講しましたが、その一つに、大谷先生が「放射線観察講座」を開かれました。(クリック参照→2008年2月19日校長日記)。

081123musakoudai_bunkasai90 ←そのときに大谷先生が使われた「放射線観察装置」の精巧なものを、この武蔵工大の文化祭で見ました。

  • さすが大学だけあって、こちらの装置は100万円近くするものだそうです。大谷先生のは学校に予算がないこともあって、・・・・・・大谷先生、申し訳なかったですね。でも大谷先生の授業も当時の日記に書きましたように感動的なものでした。

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←上の写真ではもやもやとしていますが、私が写真に写して良いか尋ねると、学生さんがサービス満点に特別な演出をしてくれました。

「自然界に存在する放射線だけではもやもやですので、もっとくっきりとご覧に入れましょう」といって、脇からホースを差し込んで、ラジウムを入れてくれました。そうしたら、ご覧のようにくっきりと線が浮かび上がり、感動的でした。

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←この原子力研究室の展示では、ウランガラス(ウラン鉱石を少し混ぜ込んだガラス)で作った食器が展示されていました。綺麗な黄緑色です。

081123musakoudai_bunkasai93←ウランというのは、ある光を当てると紫に光るのだそうです。

これをガラスに混ぜ込むと、上のような幻想的なガラスができるというわけです。

081123musakoudai_bunkasai7081123musakoudai_bunkasai8081123musakoudai_bunkasai9←原子炉模型のの展示もありました。

そしておもしろいのは、原子力をテーマにした川柳が展示されていたこと。原子力学科の学生さんたちが作った川柳ですが、理系の学問からは普通は想像できない文学をたしなむというところに、武蔵工大の学生さんたちの心意気を感じました。

まだたくさん見所がありました。明日以降に続けたいと思います。

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2008年11月27日 (木)

生徒会長日記@齋藤美紀49期会長 vol.26

  • 土曜日(29日)までに→右のアクセスカウンターが210000(21万)に到達しそうです。ちょうどの番号をヒットした方、ご連絡ください。大倉山高校の封筒で粗品をお送りします。

齋藤美紀さんから「会長日記」が届きました。

順調に大学生活を送っておられるようですが、大倉山への思い出は汲(く)めども尽きないようです。いろいろと思いを馳せた日記となっています。

virgo49期生徒会長日記vol.26pen

 寒い日が続いていますね。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、先日大学の友だちが私の誕生日会をひらいてくれました。とっても嬉しかったです。みんなが手作りの豪華な昼食を作ってくれました!!

 私の好きなものをたくさんつくってくれたので、かなりハイカロリーでしたが、美味しすぎてお箸が止まらず、帰宅すると母に「太った」といわれました(笑)。

081126icho_of_kouyo_by_saitomiki  話は変わりますが、私が通ってる大学のイチョウが色づきはいじめました。銀杏はたくさん落ちて独特のニオイをはなっているのに、なかなか葉っぱが黄色くなってくれなくて・・・。写真にやっと収められました。

 そういえば大倉山高校の敷地内はどうなっているのでしょう。寒い中、石段掃除をしていると掃いたそばから葉っぱが落ちてくるので「もぉー、落ちてこないでッ!!」と葉っぱに文句を言ってました。

 今は誰も、学校を掃除していないので、校舎や山桜は寂しい思いをしているのではないかと思ってしまう、私なのでした…。

※重永注:報告しておりませんでしたが、先日、五島育英会として学校の草刈り、掃除をしました。齋藤さんが心配してくれた校舎や山桜も、さっぱりした気持ちになってくれたと思います。

 その日、私は仕事がかさんでおり、草刈り、掃除に参加できなかったのですが、後で嬉しい話を聞きました。

 皆さん、管理員の上村さんを覚えておられると思います。その上村さんが草刈のお手伝いに来てくださったというのです。

 「お隣の家との境目がどこか、草刈りをどのようにしなければならないのかよく知っているので、来ました」とおっしゃって、終日お手伝いいただいたそうです。

 その話を聞いて、とっても嬉しくなったわけです。

 先日、11月22日の記事で、丸山さんのことをお知らせしましたが、丸山さんと同じように、上村さんも本校のことを思い続けてくださっているわけです。本当にありがたいことです。

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2008年11月26日 (水)

思い出の写真コラムその1 ≪大倉山五十年史vol.12 ≫

  • 今週のうちにアクセスカウンター21万(210000)に到達しそうです。ヒットした方、右欄メールなどでご連絡願います。大倉山高校の封筒で粗品をお送りします。

「五十年史」 写真コラム(その1)

 これまでに「大倉山五十年史」から11ページ分を掲載しております。

  • これまで掲載したものをご覧になるには、左欄カテゴリー「五十年史」をクリックしてください。

 今までにご覧いただいた方はお分かりだと思いますが、「大倉山五十年史」には、大倉山高校の思い出の写真をたくさん載せました。

 ページ数では70頁足らずの小冊子ではありますが、よその学校の記念誌より多くの写真が載せてあると自負しています。その面でも充実した資料となったと思います。

 今後もこの校長日記に随時アップしていきますが、きょうは、「写真コラム(その1)」のページをご覧ください。

fuji富士登山denim

64fujitozan_2  草創期の年代は「富士登山」を行っていました(←写真)。

 全員必修ではなく1年生か2年生のときに、希望者参加だったようですが、写真で数えると、引率の先生を含めて23名が登頂しています。

 入学定員100名の時代の23名ですから、学年の4分の1が参加していることになります。

 引率の先生は鈴木忠重先生(数学、後に教頭)です。鈴木先生は写真の左端上に顔を半分だけ出しておられます。若い頃は群馬県の自宅から本校まで3時間かけて通勤しておられたそうです。

  • 草創期は大倉山高等女学校時代を引き継いで入学定員100名の2クラス体制でした。しかしながら、大倉山高等女学校自体が2クラス100名体制で経営困難に陥ったわけですから、本校も早晩3クラス-4クラス体制に移行することとなります。昭和40年代後半から定員160-180名という時代に入っていきます。

hotel最初の鉄筋校舎新築sign05

68sintiku_djitinsai  大倉山高等女学校時代は全部木造校舎でした。

 東横学園大倉山高等学校になってから10年目の1967年、西側校舎が鉄筋コンクリート校舎に新築され、1970年には体育館が鉄筋コンクリートで新築されました。

↑写真は、体育館の地鎮祭の模様です(1969年)。生徒代表が榊を献納しているシーンですが、外の風景から察するに、場所は鉄筋コンクリートとなった西側校舎の3階ですね。

basketball東校舎屋上使用okban

68okujo 写真は、西館の屋上です。

 1967年の風景(1968年3月卒業アルバムより)

 この屋上へは生徒会室がある階段から外に出ます。

 まだ東館は木造のままで、この写真奥の下にある訳です。

 西館が新築されてから、写真のように防球ネットを張り巡らして屋上でバレーボールなどを行っておりました。

 しかし、その後、「防球ネットを張り巡らして活動の場所に使う屋上は「建て屋床面積」に算入する」と建築基準法の制限が厳しくなりました。そうなると本校がそのまま使用すると建築基準違反になってしまいます。・・・こうして屋上は使用できなくなりました。

 防球ネットも取り外されました。

 従って、屋上を使えたのは、1970年代まで。西館に加えて東館が完成したのは1977年のことですから、東館を含めて、屋上でスポーツなどをした経験のある人は、わずか5-6年間の生徒に限られます。

 その後も、「屋上を使いたいのですが・・・」と言ってくる生徒がいましたが、以上の事情から無念の涙を呑んでもらっていました。

 それでも、やっぱり、全校がフル稼働する学園祭や体育祭の前は、あっちこっちで部屋使用時間がバッティングします。校庭も同様。それで窮余の策として屋上使用を認めたこともあります。・・・消防には内緒でした。「今だから言える」話です・・・。

 言葉を変えれば、それぐらい、大倉山の生徒は活動的であったわけです。生徒の活動力に対して敷地が狭すぎました。

 いずれにせよ、↑上の屋上風景写真は私共のような古い教職員、中高年になった卒業生には懐かしい風景でありますね。

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2008年11月25日 (火)

報告≪大谷先生の訪欧科学研修≫その1:ベルギー編

  • 日曜日、月曜日の連休、武蔵工大文化祭と武蔵工大二高野球部対横浜高校野球部の練習試合に行ってきました。文化祭では卒業生の有光さんに会いました。後日報告したいと存じます。

 さて、今年の夏休みに入る前、この日記で、「今夏、大谷先生が科学研修視察に訪欧する」旨書いたことがあるのですが、覚えておられるでしょうか。

 校長日記に報告を載せるのが大変遅くなりましたが、いよいよ報告開始です。

 これから全8回ないし10回ほどに分けて連載していきます(連日ではなく断続的に・・・かなりの飛び飛び連載になります)が、どうぞお楽しみにご愛読ください。

 これらの原稿、写真は全て大谷順二先生に著作権があります。絶対に無断転載しないでください。

 それでは、第一回の報告をお読みください。

carouselpony科学テーマパーク in ベルギー国key

EARTH EXPLORER=地球探検(所在地 Fortstraat 128b 8400 Oostende)

Earth_exproler_verguee1  火、水、空気、土の4つの分野の自然科学に関するテーマパークのような施設。

 体験型であり、様々な自然現象の原理を学べる。(オランダ語、フランス語、英語のガイド付き。)

 どれも一度触れておくと、今後の理科の学習への理解が深まると思われる現象を取り扱っている。

 アトラクションだけでなく、メタンハイドレートなどの大人向けの展示もある。

Earth_exproler_verguee2 展示や体験施設は、ほとんどのものがそのままであり、館員による解説は見られない。

 高額な入場料の割には、丁寧さに欠ける施設であることは否めないが、ベルギーにはこのような施設は少ないらしく、(天候の悪さもあり)混雑していた。

   なお、パリ、ロンドンの同じような施設と比べると、どうしても展示物、アトラクションの規模、精巧さで劣る。科学技術の歴史の重みの差を感じてしまう。

◆下の写真は順番に(1)空気砲の体験装置、(2)ベルヌーイの定理の体験装置、(3)プレートテクトニクス(大陸移動の原理)の解説。
Earth_exproler_verguee3Earth_exproler_verguee4Earth_exproler_verguee5Earth_exproler_verguee6 ・・・空気砲や圧力に関係する実験、巨大シャボン玉などは体験を重視したものと、プレートテクトニクスなどの主に解説を中心としたものがある。解説の理解には知識が必要であり、子ども(中学生程度)が理解するには難しいものであった。

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2008年11月22日 (土)

丸山さん(管理員さん)のお手紙(to植木さん)

  • 23日-24日は校長日記も連休をいただきます。
  • 24日(月)武蔵工大二高が信州より遠征してあの強豪校の横浜高校と練習試合をします。お近くの方、応援見学に行っていただければと存じます。→横浜高校長浜グランド(京浜急行能見台駅からすぐ近く)
  • 22-23日、武蔵工業大学世田谷キャンパスの大学祭です。→ホームページ(大学は東急大井町線尾山台下車15分)

081122seiten2081122seiten1今日も青天の写真からご覧ください。私の通勤途上の風景。

081122seiten3081122seiten4081122seiten5_cerlean_tower最後の写真は五島育英会ビル前に立つセルリアンタワー東急ホテルの高層ビルです。

   

さて、昨日の続きです。昨日の記事(←クリック)を未読の方はそちらからお読みください。

 今日は、本校管理員丸山さんから植木さんへの返事です。お二人の私信ではありますが、丸山さんもご了解いただいているということですので、掲載致します。

丸山さんを思い出しながら読んで欲しいと思います。

  • ところで、丸山さんの記事をどのくらい校長日記に書いただろうかと見直してみました。そうしましたら、ざっとでも12個見つかりました。一つ一つ丁寧に読み返したら日が暮れる分量です。それだけたくさんのことを大倉山高校のためにしてくださった証でもあります。一番最後にリンクを張りました。皆さんが時間を見つけてゆっくり読み返していただくと私も嬉しいです。
  • それでは丸山さんから植木さんへの手紙をお読みください。 

お手紙ありがとう。もうびっくり。大倉山は遠い思い出になっていました。読んでいるうちに、当時の様子、登下校時の植木さんのことがよみがえりました。

「寂しがり屋で、照れ屋が何故わかる。未成年のくせに生意気め(笑)」

変わってませんか!今でもあの時のちょっぴり太めの植木さんですか。
「まだ彼氏いないんだろう。」無理なダイエットはやめましょう。佐野先生の横にいればいつも細く見れますから。

あれから大倉山に一度行きましたが高い塀に囲まれた廃墟に、懐かしさより、寂しさだけで帰ってきました。

今は別の会社で逗子方面のマンション管理人のおじさんをしています。そこの住民の中に丸ちゃんファンがいます。小学一年生の女の子と仲良しで、おじいちゃん役をやっています。

手紙にはもう少し大人になったら電撃訪問すると書いてありましたが、来なくていいです。綺麗になった植木さんを見たくないです。当時のちょっぴり太めでおばさん顔の植木さんが好きです。

校長先生、佐野先生には大変よくしてもらいましたので、お会いしたら元気にしていると言ってください。

手紙の最後に貼ってあったプリクラ、植木さんは面影がありますが、樋渡さんは懐かしいけど誰だかわからなかったです。

大学生活たのしんで、青春うらやまし~い。

     職場にて 丸ちゃんより。

clip丸山さんに関する校長日記記事clip

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2008年11月21日 (金)

管理員の丸山さんのこと@植木さんからのお便り

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今日も雲ひとつない快晴でした。

写真三葉は、私の家の近くの風景です。青天の感じが出るように撮ったつもりですが、成功しているかどうか・・・・・

pencil植木さんからのお便りpen

 快晴の今日にふさわしい、とっても素敵なお便りが届きました。書道部長で「書の甲子園」で大賞をとった植木さんからです。管理員として本校と本校をこよなく愛してくださった丸山さんの交流が描かれています。校長日記に掲載してよいとご了解いただきましたので、今日と明日の二回に分けて掲載致します。

 さて、下に紹介するお便りは、植木さんと丸山さんの交流ということに留まらず、大倉山高校がとっても素敵な学校だったことを偲ばせてくれる内容になっています。皆様、長文ですが是非、最後までお読みください。そして明日もお読みください。

校長先生こんにちは。
ご無沙汰しております。

最近はすっかり冬を感じさせる寒さになりましたね。冬といえば大倉山から見ていた富士山を思い出します。

書道部だった私は、書道室から見る富士山が大好きでした。
毎日色々なことを考えながら、見ていた富士山は私の癒しでした。
最近通学途中に朝の富士山が見えて、感動しました。
さて嬉しいことがあったので、報告させていただきます。

つい1週間ほど前に大倉山の事務員さんだった、丸山さんこと丸ちゃんにお手紙を書きました。
今年卒業した皆はいつもにこにこしてた丸ちゃんを覚えていると思います。

丸ちゃんは、私がよく事務室に行って残留届けをもらいに行くと、話かけてくれた方です。
ちなみに丸ちゃんってあだ名をつけたのは私でした(笑)

「おじさんはね丸山って言うんだよ。」って言われたのがきっかけで、

「じゃぁ丸ちゃんって呼ぶね。」って言って承諾してもらいました(笑)

丸ちゃんは、私に会う度に

「植木さん太った!?(笑)」

と言ってくるおもしろい方でした。

(言われることに関しては、正直気にしていましたが…)
部活中も書道室に来ては、

「頑張ってるね」

と声をかけてくださいました。

また朝早く行った時のことでした。駅で会って一緒に学校まで登校もしたり、私がセブンイレブンの雑誌コーナーにいると、外から窓をドンドンと叩いては、口パクで「おはよう」と言ってくれました。初めてされた時は…不審者かと思いました(笑)

3月3日に卒業してからも、私は佐野先生の指導を受けるために学校に行っていましたが、いつものように書道室にいたときのことです。
丸ちゃんが書道室に入ってこられ、

「植木さんに書いた”ラブレター”。でも今読むと植木さん泣いちゃうから、家に帰ってから見てね。」

と一通のお手紙を渡してくれました。

「植木さん泣いちゃうから」という言葉がひっかかり、「書」に集中できなくなった私は封を開け、手紙を読みました。

そこには私にはもったいない感謝を告げて下さる内容に加えて、

”余計なお世話だけど…早く彼を作って、いい大学生活を過ごしてね。”

と書いてありました。

「また丸ちゃんらしいな」と思ったのですが、最後の一言に涙が出たのを覚えています。

それが、丸ちゃんとの”さようなら。”でした。まるで永遠の別れのようで、つらくなりました。

でもいつも話かけてくれた丸ちゃんが大好きだったので感謝の気持ちを…と思い、一字書で“花”と書き贈りました。

なぜ花を選んだかというと丸ちゃんはお花が大好きだったからです。自宅にもお花で囲まれていると聞いたこともありました。

丸ちゃんから頂いた大事な手紙を8ヶ月ぶりに読み返してみました。
丸ちゃん元気にしてるかな?と思い、お手紙を出すことにしました。

内容は大学生活や佐野先生と二人三脚で頑張っていること、近況報告などを書いて送りました。

前置きが長くなってしまいましたが、丸ちゃんの現状(手紙)をこの場をお借りして報告したいと思います。

※明日は丸山さんのお手紙を掲載致します。

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2008年11月20日 (木)

国内外からの卒業生の便り

fuji在りし日の写真:二年前(平成18年)の富士camera

 さて、今日は、二年前のものではありますが、大倉山からみた富士の写真をいくつかご覧に入れます。在りし日を思い出してください。

Dscf1572 Dscf1576 Dscf2096 Dscf2098 Dscf2102 Dscf2103 Dscf2351 Dscf2352

.

pen卒業生からの便りclip

 富士山の写真をわざわざ掲載したのは実は、昨日掲載した青天の写真を見た卒業生数名の方からメールをいただいたからです。皆さん、大倉山の富士や夕日を思い出されたようです。

 海外に行っている卒業生からもメールをいただきました。以下、ご紹介します。

virgoTさん

お久しぶりです。お元気でしたか?きれいな晴天ですね日本も大分涼しくなってきてると聞きました。先生も体調には気を付けて下さい。こちらは、もうすぐ夏になるものの15度以下の気温が続いたと思えば35度を越える日もあったり気温差が激しいです

virgoMさん

今日電車から富士山が見えて、心が和みました
書道室から見ていた富士山とは違って見えました

virgoTさん

風が強かったですがいいお天気でしたね
大倉山のテラスから富士山が綺麗に見えていたのを思い出します。

virgoSさん

生徒会室からみた夕日を思い出します。

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2008年11月19日 (水)

宇宙世界の成り立ちについて:その1≪日本人ノーベル賞同時受賞に関連して≫

081119tentakashi2 ←今朝、家の近くの空です。晩秋の突き抜けるような青天でした。ほんとうに雲ひとつない空に魅了されました。

 さて、平成20年(2008)10月7日-8日に、相次いで飛び込んできた日本人ノーベル賞受賞のニュースは、暗い世相のなかで、日本人を勇気づけてくれるものでした。

 ちょっと時期がずれた感もありますが、今日はその話題について。

 湯川秀樹博士の日本人初受賞は、60年前、敗戦と戦後インフレで混乱をきわめていた日本人に勇気を与えたと言われますが、このたびの4人同時受賞(南部先生は今は米国籍なので正確には3人受賞)は、凶悪殺人や経済の大混乱の世相のなかに一筋の明るい話題を提供してくれました。

 化学賞の下村先生が研究された「オワンクラゲ」は、その映像で私たちを和ませてくれましたが、今日は3博士の物理学賞に関して書きたいと思います。

  •  資料として、後ろに、これまでの日本人受賞者一覧を掲載しておきます。

book宇宙の成り立ちの不思議libra

光あれ!と神が言われた。世界は昼と夜に分かれた。こうして世界は作られた≫・・・・・これは聖書が語る世界観です。世界は昼夜分裂せず一つだったことを示しています。

天地(あめつち)が初めて分れた≫・・・・・これは日本の古事記の冒頭に書かれてあります。世界の最初は天地の分裂がなく一体だったことを示しています。

 洋の東西において、似たような世界観というのはおもしろいことです。

 宗教を頑迷に否定する論者の中には、以上の「光あれ」や「天地分れし」という世界観を古代人の妄想と片付ける人もいますが、私は昔の人々の想像力には頭が下がります。

 現代では誰もが知る「ビッグバン(大爆発)」のことを考えると、洋の東西を問わず、人の直感は、この世の始まりを感じ取っていたのだと恐れ入ります。

  • ビッグバン・・・・・我々人間からみれば無限大に広がるこの宇宙も、わずか137億年前に、ある一点、ある一瞬のゆらぎと爆発から始まったと言われます。それがビッグバンと呼ばれています。
  • 「わずか137億年」と書きましたが、わずかである筈がありません。実際には人間の感覚ではとてもつかめない途方もなく大昔です。「大昔」という表現もおかしなくらい感覚を超絶したかなたのことです。
  • しかし、私はどうしても次のような感覚に陥ってしまうのです。それは、私たちが知っている数詞の単位は「」の上にさらに、「兆・京・亥・ジョ・ジョウ・コウ・カン・・・・・無量大数」というように、ずっとずっと続くことから生じます。
  • 「億」という数詞は一から数えて六番目に過ぎません。その後に15個も数詞単位が続きます。単位の順番としてはずっと小さい方なのです。
  • そういうことを考えると、私には「137億年」という数字が「わずかなこと」に思えてくるのです。ただ、これは単位の作り方の問題なので、錯覚に過ぎないことは分かっています。
  • それでも、「137億年前」という数字だけを聞くと、私には≪宇宙は始まってまだ間もないのだ。だから、人間が誕生した数百万年前なんて、ついこの間のことだ。だからこそ、人間は万能の存在というように、おごりたかぶってはならない≫と思うのです。

 閑話休題、ちょっと話が、脇道にそれましたが、今回の南部先生、小林先生、益川先生らによる研究は、宇宙が始まったビッグバン直後の宇宙世界を解き明かすものだというのですから、びっくり仰天します。聖書や古事記の冒頭の記述に関わることだというのですから不思議な気持ちがします。

 さて、ここまで書いただけで、ずいぶん紙幅を費やしました。

 続きは後日にしたいと思います。

shadow日本人ノーベル賞受賞者(南部陽一郎博士は現米国籍)chair

2008物理学賞
南部 陽一郎
小林 誠
益川 敏英

2008化学賞
下村 脩

2002物理学賞
小柴 昌俊
2002化学賞
田中 耕一

2001化学賞
野依 良治

2002化学賞
白川 英樹

1994文学賞
大江 健三郎

1987生理学医学賞
利根川 進

1981化学賞
福井 謙一

1974平和賞
佐藤 栄作

1973物理学賞
江崎 玲於奈

1968文学賞
川端 康成

1965物理学賞
朝永 振一郎

1949物理学賞
湯川 秀樹 

 

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2008年11月18日 (火)

見聞vol.4 &帰国 :≪2008カンボジア報告最終回:その13≫

本日で今年のカンボジア訪問記は終了となります。帰国の日の風景です。

≪カンボジア風物その4&帰国≫

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(1)バス移動の休憩地で、金子さくらさんがカンボジアの青年たちと談笑しています。

Dsc_7417from_tarnat_school_through_

(2) さくらさんが腕に巻いていた物に興味を示してきたのだそうです。

私も聞くまでは腕時計だと思っていたのですが、これは超音波の虫除けだそうです。また、このとき、さくらさんは別の男の子から「1ドル札5枚を500円玉と交換してほしい」と持ちかけられたそうです。

 それで、上の男の子たちから「交換してあげたのか」と尋ねられて「持ち合わせがなく断った」と答えたところ、「それは良かった。あいつはコイン収集ではなく商売してるんだ」と言って、その男の子を責めたそうです。

 その話を聞いて、私は「なるほど、円高ドル安を利用すれば、500円硬貨を高く売れるので5ドルが5.1ドルに化けたりするからな」と感心したことでした。財テクなわけですが、ただ、やっぱり、そういうことに目ざとく、働かないで儲けようという青年は、どこの国においても仲間内では評判を落とすのですね。

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(3)(4)いずれも土産物店です。左側の写真は、高級客用の店。右側は日本でいえば上野のアメ横のようなたたずまいのお土産品店が集まった一大市場。

この市場に、昨年、本校卒業生によく似た娘さんがやっていたお店があり、その娘さんに「来年も必ず来るから」と言い残しておいたのですが、どこを探してもその娘さんを見つけることができませんでした。 Dsc_7685ankorcockie_shop_1 Dsc_7685ankorcockie_shop_4

(5)(6)アンコールクッキー店

群馬県生まれの日本人女性がオーナーのお店です。

カンボジアで一番のお店だそうです。 Dsc_7716siemreap

(7)カンボジア国立博物館。

建物がアンコールワットの中央タワー(須弥山を模したもの)に似せて作られています。

Dsc_7113siem_reap_riviera_hotel

(8)我々が泊まったシェムリアップのホテル。

リビエラホテルといいます。大変感じの良いホテルでしたが、廊下は明かりがついておらず暗いままでした。

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Dsc_7113siem_reap_river_in_front__2

(9)(10)リビエラホテルの前の川。

シェムリアップ川といいます。橋の欄干は決まって蛇神の「ナーガ」によって縁取られています。

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(11)朝焼けです。

≪帰国へ≫

あっという間のカンボジアの旅でした。いよいよ帰国の途につきます。

機上から拝んだ富士が荘厳でした。最初の二枚はベトナムのホーチミン空港。最後の写真は成田空港。

    Dsc_7839siemreap_airport_4 Dsc_7845houchiminh_airport Dsc_7846mtfuji_from_air_3 Dsc_7855fuji Dsc_7862naritaairport_1

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2008年11月17日 (月)

42期生 千ヶ崎ひろみさん原稿≪大倉山五十年史よりvol.11≫

本日は≪大倉山五十年史≫からです。

  • 五十年史掲載の卒業生原稿の紹介も、その9となりました。
  • これまでに掲載してきた原稿(卒業生原稿以外のものもあります)は、←左欄カテゴリーの「大倉山五十年史」をクリックすれば、まとめてご覧になれます。
    •  
  • 「大倉山五十年史」の原稿は、今後も掲載していきますが、全60頁を超えることになります。校長日記掲載は、まだまだ半ばにも至っておりません。年を明けての断続的な連載になりますことをご了解願います。
  • 本日掲載の千ヶ崎さんは、これまでにも度々ご紹介してきましたが、現在、武蔵工大付属中高の教員をしておられます。昨年、カンボジア学校支援ボランティアに参加されました。以下の原稿では、カンボジアで私共と一緒になったことについても触れてくださっています。

bud「未来に咲く花」cherryblossom

       42期B組 千ヶ崎 ひろみ

(武蔵工業大学付属中学高等学校=平成21年度より東京都市大学付属中高校教員)

 現在、私は武蔵工業大学附属中学高等学校で講師として働いています。

 教師になって2年、毎日を体当たりで過ごしていますが、生徒は日々成長していて、生徒から学ぶことが多く、人と関わることができる喜びを感じています。

 教師を志した時、思い描いたのは大倉山の先生方でした。ふとした瞬間思い出すのは大倉山高校の先生が伝えてくださった、さりげない、でも真剣であたたかな言葉の数々です。

 大倉山で過ごした日々は、今でも鮮明に懐かしく思い出されます。三年間、泣いたり笑ったりしながら一日一日を過ごし、悩んでも失敗をしても、いつも優しく見守って下さる先生方に支えられました。そして、何事にもあきらめずに、仲間を信じて進んでゆく大切さを教わりました。大倉山高校は私の原点です。

 わたしは、一つ一つの言葉に思いを込めながら教壇に立ち、生徒と真摯に向き合い、生徒とともに成長していきたいと思っています。

0810_50nensi_tigasaki_genkou2 もう一つ、忘れることのできない出来事があります。2007年8月に「JHP・学校をつくる会」の海外ボランティアに参加し、カンボジアに行くことができました。

 現地の小学校を回り、校舎の横にブランコを建ててきました。仲間と一緒に一つの目標に向かって頑張った一ヶ月間は、大倉山高校で行事に取り組んでいた頃のひたむきな気持ちを思い出しました。

0810_50nensi_tigasaki_genkou1 大倉山高校は「学校をつくる会」の事業に賛同し、カンボジアのバッタンバンに小学校を寄贈されました(←写真)。

 わたしもそのバッタンバンのターナッ小学校に立ち寄ることができ、校舎の壁に記された「大倉山高校」の名前を見たときに、そこに流れる掛けがえのない時間を感じて思わず涙ぐんでしまいました。

0810_50nensi_tigasaki_genkou3 カンボジアの教育の現状は、教員の不足、校舎の老朽化、文房具の不足など、まだまだ充実しているとはいえません。カンボジアの小学校にこれからも子どもたちの笑顔が溢れることを願っています。

 カンボジアではゆっくりとした時間が流れていました。そこに流れる時間はそこにいる人々が紡いでいくのです。カンボジアの小学校にこれからも子どもたちの笑顔が溢れることを願っています。

 カンボジアではゆっくりとした時間が流れていました。そこに流れる時間はそこにいる人々が紡いでゆくのです。また、時が経っても、そこに流れた時間は未来へと語り継がれてゆくのです。

 大倉山高校で過ごした時間は、そこにいた人や花や木とともに、永遠にそこに刻み込まれているのだと思います。そして、卒業した大勢の人たちが、大倉山高校で育んだ幸せの種をいろいろな所で蒔いて、いつまでもきれいな花を咲かせています。

 わたしもまた、大倉山高校の卒業生であることを誇りに思い、小さくてもきれいな花を咲かせていきたいと思います。

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2008年11月14日 (金)

生徒会長日記@齋藤美紀49期会長 vol.25

  • 今日、明日と長野に出張です。期日指定でアップします。
  • それから、15(土)-16(日)は、校長日記連休をいただきます。

きょうは、齋藤さんの「会長日記」です。(下のほうをご覧ください。)

  • 会長日記を定期的にしっかり送ってくださっているので、さて、どのくらいのボリュームになっているだろうかと思って、数えてみました。そうしましたら、今回で25回にのぼります。
  • 会長日記の一番最初は2007年(平成19年)5月7日(月)(←クリック)ですから、一年半、18ヶ月で25回です。大変素晴らしいですね。
  • 齋藤さん、今後とも皆さんの期待にこたえて、よろしくお願いします。

今回の日記はタイムトラベルの趣があります。ハリーポッターのことが書かれてありますが、ハリーポッターというと、平成17年度から始めたブリティッシュヒルズ研修のことが思い出されます。

081114_051109refectory_asa_gohan_ta 本日の記事の最後に、ブリティッシュヒルズ研修の模様をリンクしておきましたので、ご覧になってください。

※写真は平成17年のときの大食堂での朝食の様子です。

ところで、齋藤さんは来週がお誕生日だとのこと。おめでとうございます。

それでは会長日記をお読みください。

「生徒会長日記」 

お久しぶりです。最近、寒くなりましたね。1ヶ月が、あっという間に過ぎてしまいました…。

 時がたつのが高校生のときよりずっと早く感じます。

 私は来週、誕生日を迎えるのですが、小学生のころ大学生のお兄さんお姉さんが、ものすごく大人に思えました。

 私が大好きなハリーポッターシリーズが完結するのが大学一年生(今年)なので、その頃の自分はどんな人になっているのだろうと想像していました。

 「一人暮らしが出来る!!」と勝手におもっていた自分が懐かしいです。いざ、大学生になってみると、思ったより大人になっていませんでした。

 でも、親のありがたみがよく分かるようになりました。

 小学生の私が今の私を見たら、なんて言われるんでしょうか?

 多分、第一声は「自分が家族で一番ちっちゃいなんて、嫌だッ!!」だとおもいます(笑)

 まさか、妹二人に抜かされる日がくるとは…。お姉ちゃん、ちょっと悲しい。

 それから、次に、私が生徒会長になるということに我ながらビックリするでしょうね。人生、どうなるかわからないものです。

※第1回ブリティッシュヒルズ研修の記事は下の日付をクリックすると、ご覧になれます。

  • ブリティッシュヒルズ関係記事はほかにもたくさん書いておりますが、とりあえず下の記事をご覧いただければ大要がお分かりいただけます。

2005年(平成17年)11月6日記事  同11月7日記事 同11月8日記事 同11月9日記事

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2008年11月13日 (木)

見聞・話題vol.3≪2008カンボジア報告その12≫

断続的に、約2ヵ月半かけて書いてきた≪カンボジア報告≫ですが、今回をふくめて、あと2回になりました。ご愛読ありがとうございます。

clubカンボジア風物その3banana

子供時代に私は川にせり出した木の上から川面に飛び降りた話を。平成20年8月14日校長日記(←クリック)に書きましたが、今夏、カンボジアを訪れた際、カンボジアの子供たちが同じことをしているのに出会いました。

私がカメラを向けると、にっこり笑って何度も飛び降りてくれました。

その時の写真をご覧ください。また、そのほかにもカンボジアの風物を本記事の後ろに載せています。合わせてご覧ください。

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次の写真は、順に、①②家のお手伝いをする子供たちです。最初のは、大きな石をリヤカーに積み込む子供。二枚目のは牛をひく子供。Dsc_7220childrenDsc_7220children2

次の写真は、③④タイから電力を供給してもらうための変電所と電柱の列の写真。

 昨年はまだ電柱が立っていないところも多く、立っていても電線が張ってありませんでした。今年は電線が張ってあり完成していました。

ところが、今年の7月に入って、世界遺産指定をめぐってお隣のタイと国境紛争が勃発したため、タイが電力供給を拒否したとのこと。せっかく完成したのに、がっかりですね。

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最後の写真は、⑤⑥⑦バッタンバンでお昼を食べた飯店での写真です。昨年も訪れて、小山内美江子先生らと会食したところ。食堂の壁(ポスター)に≪やもり≫がへばりついていました。目を凝らして見つけてください。 Dsc_7307_dinner_in_chinarestaurant_ Dsc_7307_dinner_in_chinarestauran_2 Dsc_7307_dinner_in_chinarestauran_3

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2008年11月12日 (水)

大倉山風景&その2:どっちが正しいのか≪米国大統領選挙に関連して≫

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←先日、大倉山を通りました。

夜になってからでしたので、写真がほとんど真っ暗ですが、正門の「見上げる時計塔」です。カメラを持っていなかったものですから、携帯の写メで撮りました。真っ暗でごめんなさい。かすかには見えますので、よく目を凝らしていただければと思います。

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←これは大倉山交差点(セブンイレブン)から港北公会堂・ロイヤルホストに向かう途中にある古本屋さん。バス停の前にあるお店です。

 携帯写メでも、店の明かりのおかげで明るく写せました。

 閉店セールをやっていました。大倉山時代、利用したお店です。中に入ると、あらかた売りつくしていて、私の手の届くものは数点しかありません。

 お店のご主人(といっても若い。30代でしょう。)に「お薦めはこれしかなくなりました」といわれたものは「近代日本思想選集」全10巻。値70,000円也。私にはちょっと高い。20年前でしたら、買っていたかもしれません・・・・・・

clip米国大統領選に関連して:その2clip

 昨日の続きで、今日も堅苦しい話になりますが、Web授業(文系科目)として、お読みください。

 昨日はオバマ氏の勝利演説に触れました。今日は、マケイン氏の敗北演説について、朝日新聞11月6日朝刊より引用してみたいと思います。

 マケイン氏の演説はオバマ氏の演説と同じぐらい高い格調で貫かれています

 潔さ(いさぎよさ)、道徳性(戦いが決着した後に一番大事なことを認識している)、人々への呼びかけなどなど。

 しかし、この演説でマケイン氏がオバマ氏の勝利に触れるたび、また、オバマ氏への協力を呼びかけるたび、マケイン氏の支持者の間にブーイングの声が響き渡りました。テレビで見た人も多いと思います。

 でも、私はマケイン氏の次の演説には、ブーイングを浴びなければならない理由を見つけることは難しいように思います。むしろ良い演説だと思います。

 オバマ氏は、今まで自分たちの影響力などほとんどないと思っていた数百万の人たちに希望を与えることで、この選挙戦に勝った。

 歴史的な選挙であり、アフリカ系米国人には特別の重みがあることを私は認識している。

 オバマ氏と私の間には違いがあり、彼が勝った。

 その違いがなお残るのは間違いないことだ。

 しかし、我々の国にとって困難な時であり、彼が多くの挑戦をくぐりぬけて我々を引っ張っていくのを助けるために、私は持てる力の限りのことをすると誓う。

 私を支持してくれたすべての米国人に呼びかける。

 我々が和解し、必要な妥協点を見いだし、我々の子孫によりよい国を引き継げるよう、次期大統領のために真剣に努力して欲しい。

 今晩、落胆を感じるのは当然のことだ。しかし、明日には落胆を乗り越えて前進しなければならない。

 最初から困難な選挙戦だった。勝つためにほかに何ができたのかはわからない。それを見いだすのはほかの人にゆだねたい。

 以上の演説の間中、ブーイングが飛んだわけです。

 確かに、敗北の悔しさは、マケイン氏よりも一生懸命応援した人々のほうが大きいのでしょう。

 特に、「オバマ氏が政権を握ったら米国と世界は駄目になる」と思って、熱狂的に信条的にマケイン氏を応援してきた人々にとっては、そのマケイン氏が、こともあろうに仇敵のオバマ氏にエールを送ることが許せないと思うのかもしれません。

 しかし、政治上の勝敗を「絶対永遠」のものとしていたら、選挙が終わるたびに、その国は分裂を繰り返し、限りなく滅亡へ進むことになります。

 選挙というものはそうではありません。再び選挙で争うことになるまで、敗者は勝者に協力し、勝者は敗者の主張に今一度耳を傾ける・・・これが基本のはずです。まして民主主義を標榜するのならば、なおさらです。

 私はマケイン氏の姿勢に「さすが民主主義の国」と感じ入り、彼にブーイングを浴びせた人々をみて「米国といえどもいまだ民主主義は途上である」と思ったことでした。

 ところで、確か、ユダヤの格言だったと思いますが、「敵の中に友人を作れる者が英雄である」という主旨の言葉があります。私がいうのも何ですが、オバマ、マケインの両氏は英雄の素質がありそうです。

 「私には夢がある(I have a dream)」という有名な演説を行った黒人解放指導者キング牧師も草葉の陰で、自分の夢をこの二人の候補者にかぶせているのではないでしょうか。

  • ※マーティン=ルーサー=キング牧師は自らは夢を果たせず1968年暗殺されました。今年は、それから40年になります。

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2008年11月11日 (火)

どっちが正しいのか≪米国大統領選挙に関連して≫その1、

  • 今日は先だって予告しましたように、Web授業としたいと思います。

「どっちが正しいのか」・・・ちょっと刺激的な見出しをつけましたが、米国大統領選挙のオバマ、マケインの両候補者のどっちが正しいのかという問いかけではありません。

 それは、後のほうで(ひょっとすると明日・・・)、書きます。

 まずは、現代社会の授業などで、米国大統領選挙については決まって解説を加えていたのを思い出しながら、今日と明日、私の感じたことなどを簡単に触れてみたいと思います。教員が生徒を前にして、生身の政治に触れるのですから、言葉には気をつけなければならないのですが、米国大統領選挙は世界が注目するイベントですので、政治に目を向けさせる教材としては一級の題材だということで、触れてきました。そういう前提で今回の私の以下の話にもおつきあいください。

 はじめに、このたびのオバマ候補の勝利演説について、CNNニュースのWeb版から、引いてみたいと思います。

 自らが勝利したことの歴史的意義を高らかに宣言しつつも、新しい未来に向かって勝者敗者こだわらぬ国づくりを呼びかける格調の高さを示しています。言葉遣いの優れているところは言うまでもなく政治家としての非凡さを示しています。

 新聞等で既に知っている人も、じっくり味わって読んでみてください。

「きょうこの日、米国に変化が訪れた。

 ・・・、米国の可能性を疑い、建国者たちの夢や民主主義はまだ生きているのかと問う人たちがまだいるとしたら、今夜がその答えだ。

 ・・・、この国は単なる個人の集団でも、民主党と共和党の寄せ集めでもなく、アメリカという合衆国なのだ。

 ・・・希望へ向けて、歴史の舵をとる日がやって来た。

 (破れた共和党候補のジョン・マケイン氏から電話で勝利の祝いの言葉を受けたことを報告した後)、

 ・・・私はマケイン氏の国への貢献を祝福し、米国の約束を再生させるために今後も
協力していきたい。

(家族や選挙スタッフに謝意を示した後)、

 ・・・これは皆さんの勝利だ。・・・人民の、人民による、人民のため
の政治は滅びていなかったのです。・・・

(米国が直面する戦争、経済危機などの課題を挙げつつ)

・・・解決には時間がかかる。1年、いや1期をかけてもたどり着かないかもしれない。

だが約束しよう、われわれは1つの国民として、必ずそこへ到達すると。

(できるはずがないという人々にはこう答えよう。)

Yes, we can(私たちにはできる)。

(国民の愛国心や責任感、党派間の分断をいやす精神がなければ、
変化は実現しないと強調して)、

 ・・・私に投票しなかった人々にも言いたい。皆さんの声に耳を傾けたい。皆さんの助けが必要です。私は皆さんの大統領にもなる。

(ジョージ=ワシントンをはじめ建国者らが「丘の上の輝く町」と表現した米国の理想を、世界にもう一度示そうと訴えた後、次のように締めくくった。)

 ・・・ジョージア州アトランタで投票した106歳のアフリカ系米国人女性がいる。・・・この国のいい日も悪い日も見てきた彼女は、知っているのだ。米国は変われるということを。

 ・・・われわれの子どもたちが彼女のように長生きできたら、その時米国はどんな変化を、どんな進歩を遂げているだろう。

 ・・・懐疑の声にはYes, we canの精神で答えよう。

いかがでしょうか。戦った相手に対する融和の呼びかけが入った演説というものは、それだけで人の心を打つものです。まして長年、差別されてきた黒人の次期大統領自身の口から、それが出てくるのですから、格調はいやがうえにも益していきます。

 今日はここまで。明日は、マケイン候補の演説に触れたいと思います。

 そして、見出しに書いた「どっちが正しいのか?」にも触れたいと思います。

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2008年11月10日 (月)

36期生 国井琴絵さんの原稿≪大倉山五十年史より vol.10≫

  • 今までに掲載した「五十年史」記事は←左欄カテゴリーの「大倉山五十年史」をクリックすれば、すべて読むことができます。
  • 本日掲載の国井さんは「卒業生連絡掲示板」に掲載してあります。
  • 下のURLをクリックしてください。
  • birthday※横浜市鶴見駅西口で「いもバタ家」よこはま焼を経営
  • クリック→http://okurayama.way-nifty.com/sotugyosei/2008/03/post_a980.html
  • clip国井さんの「よこはま焼き」は、大倉山五十年・統合記念式典の引き出物としても参加者に配布致しました。

bellポジティブに考え前向きに進んでいく精神力crown

   36期生 国井琴絵(旧姓林)

 私が初めて東横学園大倉山高校を訪れたのは今から17年前の秋でした。

 最寄駅が東横線の大倉山と知り、都会的な雰囲気の学校なのだろうと思い、母と二人で学校説明会に参加しました。

 急な坂道を登り学校に着いてみると、とてものどかな雰囲気でアットホームな高校という印象を受け、私は大倉山高校をとても気に入りました。

 帰り道では受験しようと心に決めたのを思い出します。

0810_50nensi_kunii_kotoe_genkou1  学園生活ではバトン部(チアー部の前身;←写真は1998年のもの)に入り、部員30名の中で学園祭前は夜遅くまで練習したことは大人になった今でも本当に良い思い出です。

 元々、気になったことは何でもやってみたい性格の私は茶道部にも入部し、学園祭の時はクラス、バトン、茶道、あちらこちらへ顔を出し、楽しく忙しない二日間を過ごしていました。

 茶道部での私のお点前といったら、それはひどいもので先生にもよく笑われました。今も食べることに大変興味がある私は高校時代もお抹茶と和菓子をただ楽しんでいたのかもしれません。

0810_50nensi_kunii_kotoe_genkou2  朝、「行ってきます」と家を出て学校に行き、友人と過ごす学園生活が楽しくて仕方ありませんでした。友人とよく笑っていた思い出が昨日のことのようです。(※茶道部の写真は2005年のものです)

 一年生の担任は山崎せき子先生でした。入学式の後、先生のお顔を見て私は安心したのを覚えています。

 どの先生もとてもアットホームな雰囲気の中で生徒に接してくださいました。生徒のことを下の名前で呼ぶことが多いのも大倉山高校の良いところだと思います。そのため、生徒と先生の信頼関係を築くのが早いように感じました。

 伸び伸びと高校生活を送る中で培った経験は私の人生にとても大きな影響を与えてきたように思います。

0810_50nensi_kunii_kotoe_genkou3  本校最後の学園祭では、自分のお店を出店させていただきました。当日は大勢の同級生と会えて、たくさん話もでき大変懐かしかったです。(写真)

 17年ぶりの学園祭もやはり、楽しく忙しない二日間でした。若い在校生や卒業生の先輩方、先生方に「美味しい」と言っていただいたことは大変嬉しいことであり、これから仕事をする上でとても励みになりました。

 妹と二人で車の移動販売を始めたお店は商品開発から出店先の営業、鶴見のお店での販売など全てを自分たちでしておりますが、毎日楽しく仕事をしています。また、現在の私の楽しみの一つが一歳半になる娘の成長です。

 仕事をしながらの子育てなので家族に協力してもらいながらですが、娘がいる生活は本当に充実しています。出産をして少々体調を崩した私ですが、無事に産まれてきてくれて本当に感謝しています。

 困難にぶつかってもポジティブに考え前へ進んでいける精神力は大倉山での三年間で培ったように思います。

 これからも東横学園大倉山高校の卒業生であることを誇りに思い、先生方や友人とのつながりを大切にしていきたいです。

 横浜という土地が大好きな私は結婚した現在も鶴見に住み、高校の近くをよく通っていました。

 学校がなくなってしまうのは本当に残念ですが、五十年間生徒を見守ってくれた学び舎に感謝します。(以上)

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2008年11月 8日 (土)

見聞・話題vol.2≪2008カンボジア報告その11≫

今日は、カンボジアの風物写真のうち、興味深い写真ばかりを集めて、ご覧にいれます。

scorpiusカンボジアの風物その2clover

  • 番号は写真の順番です。

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(1)いきなり、ぞっとする写真ですね。カンボジアに蠍(さそり)がいるとは思いませんでした。実際は体長は10cmにも満たない小さな生き物ですが、初めて現物を「拝み」ました。

このサソリ、ターナッ小学校にいました。バスの運転手さんが靴先で蹴ったりして怒らせてもてあそんでいましたが、いくら靴をはいているとはいえ、私にはできない芸当でした。写真のように尻尾を持ち上げるのが怒っている姿だそうです。

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(2)カンボジア名物?焼き玉子。ゆで玉子ではなく、焼き玉子。

アンコールトムで売っていたものですが、殻が破れていて、グロテスクというと怒られそうですが、見るからに汚い。食指がまったく動きませんでした。 Dsc_7220_yukari_no_ki

(3)幹が白い木。白樺ではないかと思わされる木ですが、熱帯に白樺があるはずはないので違うと断定できます。バッタンバンとシェムリアップの間でたくさん見かけました。名前を聞いたのですが失念しました。 Dsc_7220_yuryotoilet1 Dsc_7220_yuryotoilet2 Dsc_7220_yuryotoilet3

(4)(5)(6)トイレ。ホテルのトイレ以外、特に地方ではカンボジアのトイレは使いたくないのですが、バッタンバンに向かう途中、立ち寄った店は有料トイレだというので、期待して使うことにしました。

 日本円で5円ぐらいの料金(500リエル)なので、大層安いのですが、それでも、女子トイレのほうは流す水をくむ水槽が汚くて、あまり良い気持ちではなかったそうです。 Dsc_7220coconat

(7)椰子(やし)の実。束のまま売っていました。

小野香さんに持ち上げてくださいとお願いしましたが、とても重くて持ち上げられないということでした。私も挑戦しましたが、ちょこっと動かすことができただけ。これじゃあ泥棒の心配なしですね。 Dsc_7220house_construct

(8)建築現場、足場を組む棒が竹だったり木だったり。中国流ですね。Dsc_7220sakanatori (9)川漁。急流になっているところを利用して網を仕掛けている様子でした。(10)牛を家に連れ帰る風景です。インドDsc_7220usi同様、通り過ぎるまでバスは待つしかありません。カンボジアは仏教国ですが、ヒンズーのインドの影響が濃いお国柄です。

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2008年11月 7日 (金)

卒業生の小野田薫さん「生け花」

tulip卒業生と8月31日古流展覧会by直江先生御園先生maple

 ずいぶん前に卒業生の小野田さんからお便りと写真を送っていただいていたのですが、掲載が遅れに遅れてしまいました。お詫びします。

08011kado_onoderaadatikaoru

←今、古川明美先生は東横中高で華道部の顧問をしておられます。華道部の先生は大倉山と同じ直江先生、御園先生です。

 8月31日に古流の展覧会があり、古川明美先生が東横の生徒を引率してこられました。そのときに卒業生と会われたということで、私に話してくださったのです。話をきくと、その卒業生は私が担任をした小野田さん(旧姓安達さん)でした。

以下、その小野田さんからのお便りと生け花の写真です。

 

08011kado_onodaadatikaoru

 お久しぶりです。

 華道の花展では、明美先生にお会いして、とっても驚きました!!

 まさか明美先生がいらっしゃるとは思ってもみなかったので、明美先生とは一瞬分かりませんでした。

 私が大倉山に通っていた頃から華道を学び始めて12年になりますが、ここ3~4年は古流伝統花を習っています。

 自由花とは違って、花の長さや生け方が決まっていますので、その手順に従えば簡単にできるように思うのですが、やはり生のお花や枝はそれぞれ形が異なるため、習得するのには、まだまだ何年もかかりそうです。

 今回の展覧会では初めて「中流生」という花形に挑戦しましたが、花器の高さもあり、バランス良く生けるのに苦労しました。

 次の花展が来年の2月頃、銀座松屋でありますので、時間をつくってお出かけいただければ嬉しいです。

     小野田薫より

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2008年11月 6日 (木)

富士五景&沖縄エイサー

  • 米国大統領選挙、民主党のオバマ氏の勝利となりました。世界中が注目する米国大統領選ですから、結果がでた後の現代社会などの授業で触れていたことを思い出します。そういうことで、後日、Web授業として、敗れたマケイン氏陣営のこともふくめて、触れたいと思います。
  • 今日明日と外回りです。時間指定で次の記事をアップします。お読みください。

fuji富士五景 in 御殿場~信州路fuji

11月2日、信州塩尻に行く途中、富士を拝むことができました。

大倉山からの富士を皆様にご覧に入れる機会がなく、私も悲しい思いをしていますが、久しぶりに雄大な富士を眺めることができました。各方面からの富士の姿五景をご覧ください。ただし撮影は私ではなく、五島育英会事務局の村上さんです。

081102siojiri_sakka_fujisan081102siojiri_sakka_fujisan2_2 081102siojiri_sakka_fujisan3 081102siojiri_sakka_fujisan4 081102siojiri_sakka_fujisan5

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scissors沖縄エイサー「ミルクムナリ」in武蔵工大付属中高文化祭clover

11月3日の文化の日、武蔵工大付属の文化祭に行ってまいりました。

081103huzokubunkasai大倉山の文化祭で皆さんが先鞭をつけたミルクムナリ(エイサー)を、同校中学1年生が披露しました。

081103huzokubunkasai3081103huzokubunkasai2 偶然なのですが、等々力にくわえ、成城にも大倉山の伝統が引き継がれたような思いがして、大変嬉しく思いました。

同校文化祭は1万人近い観客を集める盛大なものです。大倉山出身の先生方にも何名かお会いしましたが、頑張っておられました。

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2008年11月 5日 (水)

快挙!武蔵工大二高(来春より東京都市大学塩尻高校)サッカー部 県優勝!全国選手権大会出場!

  • 晩秋を迎え、上着をはおっていても朝夕の冷え込みを感じる気候となりました。先日、木枯らし一号も吹きましたが、お体に気をつけて御過ごしください。だらしないことながら、私はもう一ヶ月ちかくも風邪がぐずぐずと長引いています。

soccer二高サッカー部、大晦日(12月31日)に、東京で全国大会一回戦です。皆さんの応援をお願い致しますsoccer

081102siojiri_sakka01応援をふくめ三週にわたって塩尻詣でをしましたが、二高がお蔭様で「優勝」という栄冠を勝ち得ました。

まずは、次の動画をご覧ください。二高優勝が山形新聞ニュースで配信されています。

081102siojiri_sakka14信州工業高校という名前の時代から強豪校として知られてきましたが、インターハイでこそ二度の県大会優勝をしたものの、冬の選手権大会では涙をのんできました。

081102siojiri_sakka04今度の決勝も相手は何度も全国大会に出場している松商学園ということで、勝利は容易な道ではないと思われましたが、蓋をあけてみると、快勝でした。

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081102siojiri_sakka07081102siojiri_sakka08

0-0のまま、延長戦とはなりましたが、本戦からボールキープ率、シュート数ともに二高が圧倒していましたので、観戦している私たちも気持ち的に押せ押せムードでした。 081102siojiri_sakka02 081102siojiri_sakka03 081102siojiri_sakka05

全校応援体制をとって生徒たちもバス四台によって駆けつけ、力強い声援を送りました。武蔵工大二高としては最後の大会でしたが(来春より東京都市大学塩尻高校)、見事に有終の美を飾りました。   

081102siojiri_sakka11 081102siojiri_sakka12   081102siojiri_sakka10081102siojiri_sakka13優勝を決めて大喜びの選手たち。胴上げでは高橋監督が3度、宙に舞いました。最後の写真は武蔵工大二高サッカー部の応援旗ですが、今回を最後にMUSASHIの文字が消えます。その横の方に私が写っているのですが、お分かりになりますでしょうか?

大晦日に全国大会一回戦が開かれることが決まっています。

対戦高と競技場は未定です。

決まり次第、ご案内しますので、皆様の応援をよろしくお願いします。

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2008年11月 4日 (火)

五島育英会「八ヶ岳山荘」をご利用ください

bus八ヶ岳山荘は、2007年8月の勉強合宿で利用した施設ですhappy01

 勉強合宿の記事を未見の方は、次をクリックしてください。

  • 2007年8月4日記事
  • 2007年8月6日記事
  • 八ヶ岳山荘は、卒業生、ご家族、親戚、友人・・・・・大倉山高校の関係者なら、どなたでも安い料金でご利用いただけます。(1泊3千円程度です)。五島育英会(←クリック)人事課にお申し込みください。

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081025yatugaqtaqkesansou1先週10月24日、武蔵工大二高のサッカー応援に行った帰りに「五島育英会八ヶ岳山荘」に立ち寄りました。

冷たい夜気のため霧が出ていて幻想的な風景のなかを山荘に着きました。

 今の建物は平成5年に新築されたものです。新築されてから私は一度も訪れていませんでした。昨年の勉強合宿も、引率責任を教頭先生にお任せして、私は学校に残りましたので同行しませんでした。

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フロントロビーと天井の飾りです。昨年、勉強合宿に参加した皆さんには懐かしい風景だと思います。

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大食堂に飾り付けてある山鳥の剥製(はくせい)。端っこに飾ってあるので見覚えのある人は少ないかもしれません。

実は、この山鳥はもう20年ほども前、旧い建物の時代、窓ガラスを突き破って部屋に入ってきたものだそうです。

 山荘のご主人が、鳥の怪我を治療して食べ物もあげて静養させられたのだそうですが、甲斐なく数日で昇天してしまったとのこと。思い出に残そうと伝手(つて)を頼って剥製にされたのだそうです。枯れ木の枝ぶりとともにたいそう立派な飾り物でした。 081025yatugaqtaqkesansou5

山荘近くの土産物店に植わっていた白樺の立ち木です。

昭和50年代から平成16年まで、一年生対象の林間学校を、八ヶ岳の向こう側、霧が峰高原のふもと、白樺湖畔で開きましたが、この白樺をみて、林間学校の数々の思い出にふけりました。

また、≪在りし日の母校≫で林間学校など校外行事のことも振り返りたいと思います。

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2008年11月 3日 (月)

武蔵工大第二高校、県大会優勝

2-0でした。詳しくは後日報告します。

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2008年11月 1日 (土)

武蔵工大二高サッカー部&工業系学科の授業

2日と3日は校長日記も連休をいただきます。

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←信州は、平地もすっかり色づき始めました。左の写真は信州松本のアルウィン総合競技場の紅葉です。

 ここで、明日(11月2日)、全国高校サッカー選手権大会の長野県予選大会決勝戦です。都市大学グループの武蔵工業大学第二高校が松商学園と戦います。勝てば選手権大会県予選初優勝です。先週につづいて応援に行きます。

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  • 今日掲載の写真は、先週の準決勝試合の模様です。サッカーの前日見学した武蔵工大第二高校の総合工学科や自動車科の授業風景も後ろのほうに掲載しておきますので、合わせてご覧ください。

↓Jリーグの試合も行われる信州でも有数のサッカー競技場、アルウィン競技場で行われました。

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↓二高の生徒たちは、バス2台の応援団を組んで、力強い応援を繰り広げていました。

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↓シュートを決めた瞬間。二高が2対1で創造学園を破って、勝ち上がりました。

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 二高はもともと≪工業高校≫。今は普通科もできていますが、工業系設備を誇る学校です。実習棟を覗くと、そこはまるで工場です。

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↓さて、下の写真をご覧ください。スポーツカーというより・・・未来の車のように思えませんか。081022siojirikougakka2

これは二高の自動車部が誇る<リッターカー;Litter Car>なのです。

リッターカーとは、≪1リットルのガソリンで、超長距離を走ることをめざす車≫のことです。その走る距離を競うコンテストもあります。リッターカー:コンテストです。

ちなみに、我が二高のこれは、800kmも走ります。直線ならば、東京から北海道の札幌まで走ります。ガソリン高の今でも、わずか160円ぐらいで東京から札幌まで走っちゃうのですから驚きですね。二高の生徒さんはこういうものも作っているのですよ。

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