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2008年12月10日 (水)

校章の謂れ(いわれ)by正井兵次郎第2代校長≪大倉山五十年史vol.14≫

  • 今までに掲載した≪大倉山五十年史≫の記事は左欄のカテゴリーをクリックすれば、すべてご覧になれます。このシリーズは約60回に及ぶ予定です。今回でまだ4分の1ほどですね。

さて、本校の校章が創立者五島慶太翁の家紋であることは知っている人は多いと思います。でも、その詳しい謂れについて知っている人はそう多くはないでしょう。

今日は、「大倉山五十年史」から、その謂れを紹介しましょう。もともとは生徒会誌に掲載された正井校長先生の文章です。

  • 下の写真は、すべて大倉山高校に植えられた卒業記念植樹の「桐」の木の写真です。

校章について

 第2代校長 正井兵次郎

 ― 1966.11月「しばつゆ」(生徒会誌)より ―

0810_50nensi_masaikousyo_genkou1 0810_50nensi_masaikousyo_genkou2 東横学園の校章については三度変更された歴史がある。

 初めは東横学園女子商業学校時代で、「八咫(やた)の鏡」の形の中に「女商」の文字を入れたものであった。

 第二回目は戦後学制の改革に伴って、女子商業を東横学園中学校、同高等学校と校名が変った。

0810_50nensi_masaikousyo_genkou3 0810_50nensi_masaikousyo_genkou4   その際、校章の変更が行われて、「矛(ほこ)」の中にToyoko Gakuenの「TY」の文字を入れたものになった。

 昭和29年、学校法人五島育英会が設立されて、従来の中学高校のほかに幼稚園、小学校、大学が設置された。

0810_50nensi_masaikousyo_genkou5 0810_50nensi_masaikousyo_genkou6  ここで各学校の校章の統一が図られ、「五七の桐」の紋(本校創立者五島慶太翁の家紋)の中に、「矛」の中に「TY」を配した従来の校章を小さく入れて全部の学校で校章にするようになった。

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