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2008年12月 6日 (土)

草創期の本校by正井校長先生≪大倉山五十年史よりvol.13≫

  • 本日の記事は長い記事です。
  • 第二代校長の正井校長先生が本校草創のころを振り返られたもので大変貴重なものですので、分割ではなく一括掲載しました。
  • ぜひとも最後までお読みください。
  • 今までにアップした≪大倉山五十年史≫の記事は左欄カテゴリーをクリックするか、次をクリックしてご覧願います。http://okurayama.way-nifty.com/kocho/20086/index.html

0810_50nensi_masaiheijiro_from_25_20810_50nensi_masaiheijiro_from_25_30810_50nensi_masaiheijiro_from_25ne草創期の本校について

- 本校25周年誌より再録 -

第2代校長 正井 兵次郎

↑写真は、左から創立者五島慶太翁、五島育英会第二代五島昇会長、正井兵次郎校長

 (1)〔開設当時の有様〕

 中央本校の在る所に、幼稚園舎1棟、高校校舎(3教室)1棟が在った。

 新しい体育館の所に、高校校舎(4教室)1棟が在った。教室が建っている所は、高野平先生の住宅があって、後方は丘の斜面になっていた。

 斜面の底に小さい運動場があった。敷地2000坪の所に、幼稚園と高校が同居している状況であった。

 東横学園が神奈川県下に進出し、横浜市内大倉山に開校した点は意義深い。私も悲観もしないし又失望もしない。木造の校舎で不十分な設備であるが、教育の内容で勝負をしたい。少人数制の特色を活かし行届いた教育、温かい心の触れ合いの出来る教育、一人一人を能く見詰め個性を伸ばす教育を実施し、真価を世に問う決心で勇気が湧いた。

0810_50nensi_masaiheijiro_from_25_4 (2)〔開校初年度から6学級制-更に9学級制に〕

 開校初年度即ち昭和32年度は、百余名の新入生を受け入れ、下の校舎2教室をホームルームに当てた。

 次年度33年度は、百余名の新入生を2クラスに編成、下の校舎に入れた。下の校舎は全部生徒が使用した。

 上の1棟(3教室)は1教室を教員室、事務室等に、残る2教室が特別教室になった。不自由で最も困難を極めた。其の間に6学級完成の準備に取り掛かり、多忙の中にも大きな希望に燃えた時になった。準備は次の通り。

(3)〔6学級校舎の増築問題〕

 校舎増築の場所をどこにすればよいか、工夫に工夫を重ね、将来学校の発展の余地を考慮して、高野先生の住宅(当時東急電鉄(株)社宅に使用)を、端の方に移し、斜面を整地して敷地を造った。敷地費10万円は後援会の寄贈を受けて出来上がった。

0810_50nensi_masaiheijiro_genkou_65(4)〔運動場の拡張〕

 五島育英会が、隣地畑野恒之助氏の宅地を買収、整地を行い現在の運動場の姿になった。

 運動場が借地で円滑な使用が出来兼ねていた。続いて、交渉の結果買収した。又6教室の隣地80坪をも買収した。後に鉄筋コンクリート建設に役立つ事になったと思う。

(5)〔6教室の増築〕

 昭和33年度2学期から資材の運搬が行われ、翌年2月中旬に木造2階建6教室が増築され竣工式が挙行された。

 故五島慶太先生には不自由な御身体でしたが態々お出いただいた。日頃から教育を愛し情熱を注いで下さった様子を知る事が出来、感銘深い思い出になった。

 増築なった6教室は、34年度の入試会場になった。其の後在校生の引っ越しが行われた。

(6)〔各校舎の改造〕

 先ず4教室は、2教室を改造して園児の教室にした。園児が階段を登って教室に行く困難を解除する為に、残り2教室は区切りを撤去し室内体育室、音楽室、生徒集会場に共用した。

 次は、園舎に事務室・教員室、図書室を設け、高校の3教室は理科実験室・被服室に改造して6クラス体制の準備が漸く整った。

(7)〔9クラス体制に〕

 昭和40年頃から高校志願者が急増時期になり、本校でも9クラス体制に移行する機会が熟した。東急電鉄社宅を撤去し、木造2階建4クラスを6教室に続けて増設し、9クラス体制に備えた。

 其の後日本経済の発展は目覚しく、県下の私学は挙って近代建築の鉄筋コンクリート校舎に変貌して行く。本校も木造校舎に別れを告げ、近代建築建設の時期を迎えるに至った。

[近代建築改造期]

(8)〔中央本館建設〕

 最初に本館が鉄筋コンクリート造3階建になった。

 明るい、女子に相応しい白亜の殿堂が立派に建てられた。これで全学年12クラス体制も可能になった。少人数制で充実した教育と効率的経営を行うには、4学級12クラスが望ましい運営であると思われる。

 工事に当たっては、山桜、桧等の大木は、緑の有る学園にしたいと考え、東急建設の配慮により今尚、豊かな緑が趣を添えている有様である。

0810_50nensi_masaiheijiro_genkou_ta (9)〔体育館建設〕

 屋外体操場が狭隘な為、体育館建設が緊急を要する課題であった。格別の配慮をお願いして幼稚園は野川へ移っていただく事にした。

 体育館では、体育校歌を最大限達成出来る様に其の規模は、室内プール・体育館・舞台装置を持つ建物になった。

 プールは全校生徒の皆泳を実現のため、且つ水泳の動作がリズミカルで女子には最も適した運動であり、且つ、身体の均斉な発達を促し美しい容姿と体格を作る上で優れ、女子に最も適する点を考慮しプールを必要とした。

 体育館は、照明に工夫を凝らして設備され、床は東京オリムピック会場と同じ構造に作成し優れた出来映えになった。舞台には放送室を設け学芸会・式場・集会場としても利用された。

 体育館建設は、五島育英会常務理事八木勇平先生・五島育英会局長後藤浩先生の深い理解、御決断に負う所、頗る(すこぶる)大であった。

 又当時後援会々長大川原定男氏、副会長坂本登氏の御尽力は一方ならぬものであった。

 大川原会長は多額の私財を投じて、舞台に立派な幔幕を寄贈していただき感激の極みであった。

 又当時後援会より多額の出費を願い、これを基に県から同額の補助金を受け立派に舞台設備を完成することが出来、感謝に堪えない事であった。

0810_50nensi_masaiheijiro_genkou_fr (10)〔教室の完成〕

 残された教室並に特別教室として、3階建鉄筋コンクリートの1棟が完成し、東横学園大倉山高等学校校舎が完成した。

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