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2009年1月17日 (土)

東横学園に合併前の大倉山学園:「お寺の本堂で授業」≪東横学園二十年史よりvol.1≫

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発見!「東横学園二十年史」

 五島育英会の資料室で「東横学園二十年史」を見つけました。昭和34年の発行となっています。大倉山学園が東横学園と合併して第一期生を入学させてから三年目の発行です。

 そこに大倉山学園の創立者である高野平(たかの・たいら)先生が「合併前の大倉山学園」と題して寄稿されています。

 大倉山高校にこの本が蔵書されていれば五十年史を編む際に掲載したものをと悔やまれますが、五十年の歴史を超えて五島育英会に残されていたことに感慨を覚えました。

 五十年史もまだ全部掲載し終わっておりませんが、ちょうど1期生の中島様「草創期のころ」を掲載したところですので、この機会に、二十周年誌より、これから何回かに分けて連載してまいります。

 また二十周年誌には、大倉山高校の風景も何葉か載っておりますので、それも連載の中で掲載してまいります。お楽しみにご愛読願います。

 高野平先生の写真を掲載しましたが、端正な顔立ちで教育者然とされご立派ですね。私も初めて拝顔しました。

090113touyoko20nensi00_ookurataka_2 「合併前の大倉山学園」

 高野 平

一、大倉山台地に

 五島育英会と合併前の大倉山学園は、昭和十五年大倉山女学校として発足したのである。創設者高野平は、当時満州新京(重永注:現在の長春市)の建築材料商柳田正氏の後援を得て、長年に亘る(わたる)教育経験を自らの経営による学園に於いて実践するの機会を、与えられたのであった。

 昭和十四年も十二月に入ってから、その話が具体化し、校地選定に当たった。当時、北海道選出の代議士坂東幸太郎氏が横浜市港北区綱島町居住の飯田助丸代議士に紹介して呉れ、太尾町前川清一郎氏の世話で、千坪の土地を借り受けたのが、現在の校地の一部である。大倉山の駅をはさんで、西には、当時の大倉山精神文化研究所(重永注:現在の大倉山記念館)があり、東の高台が借り受けた校地で、駅から五分のところである。

 校地が決まったので、愈々(いよいよ)学校設置申請の書類に取りかかった。申請書には、一定の方式があり、学校建築にも一定の規定がある。校舎建築の見積書は専門家に依頼し、申請書の出来上がったのは、翌十五年一月中旬であった。早速神奈川県学事課に提出し、毎日の如く仝課(重永注:同課)を訪ね、一日も早く認可せらるることを懇願した。願いが叶って二月十九日附を以って、設置認可が下附された。

 校地の地均し(ぢならし)、校舎の建築、生徒の募集と目のまわる程の多忙さであったが、創設の希望のため、少しも疲労を感じなかった。各小学校を訪問して、烈々たる教育精神を説いて廻った。

090113touyoko20nensi001_ookurachizu  四月に入って、五十名の生徒が入学したが、校舎は竣工しない。勧乗院(かんじょういん)という寺の摩尼住職の厚意によって、一時お寺の本堂を借りて授業を開始した。

(重永注:勧乗院と書いてありますが、正しくは勧成院(かんじょういん)と書きます。上のグーグル地図で四角く囲いましたのでご参照ください。また次のURLをクリックしてご覧ください。) http://whitemary.at.webry.info/200703/article_6.html

 (続く)

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