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2009年3月13日 (金)

本校の歴史年表:その4≪大倉山五十年史より vol.21≫

昼食:長崎ちゃんぽん店にて、木耳定食(きくらげ定食):ご飯、木耳と豚肉・玉子の炒め物、蒸し餃子2個付き。

いきなり何だ?と思われたでしょう。今日の日記から、私がお昼に何を食べたかを記していくことにします。早稲田大学の大久保孝治教授のブログを真似することにしたものです。

大久保先生は三食ご披露になっていますが、私は昼食のみ。朝と晩は自宅でとりますが、ちょっと自宅のメニューを公表するのは私には恥ずかしい。

昼食は渋谷道玄坂付近のお店で摂っております。私の食事の好みが知られること自体はそう恥ずかしくないので記すことにします。

大久保教授の真似をすることにした趣旨はまた後日記しますが、≪まったくくだらぬことをするものだ≫と顔をしかめる方もお出ででしょう。私の酔狂とご容赦ください。

  • 土曜日曜(13-14日)は校長日記をお休みいただきます。
  • 今日の本記事は、久しぶりに「大倉山五十年史」より≪大倉山高校の歴史年表≫を掲載します。今から20年前から30年前の時代です。
  • 今までに掲載した「大倉山五十年史」の記事は左欄カテゴリの「五十年史」をクリックしてご覧ください。

1980年-1987年の大倉山高校の歴史

1980 昭55年(全校生徒338人)

学園祭で飲食店規制(研究発表展示に重点)の試み(※翌年より飲食店復活)

1981 昭56年(全校生徒364)

0903fire_storm_68bunkasai 学園祭飲食店規制緩和

学園祭後夜祭最後のキャンドルファイヤー

  • (注:)ここに掲載した写真は、この年のキャンドルファイヤではありません。もっと前の1968年文化祭のファイヤーストームです。この火の祭典がキャンドルファイヤーへとつながり、そして名物火文字へと発展していくわけです。 

1982 昭57年(全校生徒331人)

創立25周年誌発刊   

1983 昭58年(全校生徒325人)

0903kado_82bunkasai  "華道を必修授業科目とする。

写真は、1982年文化祭における華道展示品です。華道部の作品。

0903_1978suzukijirokocho この年から華道を必修科目に位置づけられたのは当時の鈴木次郎校長先生(写真←)。先見の明でした。

0903_060414_kagami_dai24ki_sotugyok 同年、校内廊下各所に「姿見大鏡」を設置(卒業記念品)"

 校内の各所に姿見を設置するというのも鈴木次郎校長先生の発想です。女子高生として身嗜み(みだしなみ)に気を配って欲しいという願いからです。

1984 昭59年(全校生徒338人)

0903rinkan_2004rinkangakkou本年を最後に林間学校宿泊ホテルを清明荘からホテルプリンスシラカバに変更。

  • 写真は白樺湖から峠一つを越えた所にある牧場での農作業体験。この20年後の2004年の1年生です。ちょっと時期がずれて恐縮ですが、2004年の林間学校では、郷土体験学習の折りに、私が生徒の豆腐作りを邪魔してしまうという失敗をしたとき。生徒の皆さんは怒りながらも許してくれた心優しい人でした。高田さん、君塚さん、相田さん、木内さん。

1985 昭60年(全校生徒362人)

0903_50nensi_photo_of_memorial4_6_h "夏季保育園実習開始(神奈川三保育園と提携)、

写真の白百合保育園別館は、1985年にはまだ建っていませんでした。

古川明美先生が始められ、長年手弁当で実施されたもの。三保育園との連携は明美先生の信頼の賜物でした。

051019miagerutokeitou_sotugyokinen_051019miagerutokeitou_sotugyokinen   見上げる時計塔設置(卒業記念品)

この時計塔は、後輩の時間厳守意識を呼び覚まそうと卒業記念品に置いていってくれたものですが、「見上げる時計塔」と名づけられたのは、これまた鈴木次郎校長先生。

そして、この20年後に時計は寿命となってしまいました。見上げる時計塔を残そうと、2006年の卒業生が卒業記念品として時計を交換してくれました。

 2回目の九州修学旅行(翌年は北海道修学旅行に戻す)" 

1986 昭61年(全校生徒393人)

051203_60nendo_sotugyo_kihinzo 051203_60nendo_sotugyo_kihinzo0 051203_60nendo_sotugyo_kihinzo_1  「気品」ビーナス像設置

正門を入ったすぐの花壇に立派な土台石とともに飾られて、生徒の登下校を見守り続けてくれたビーナスです。

卒業記念品。この像に「気品」と名づけられたのも鈴木次郎校長先生。

1987 昭62年(全校生徒393人)

"創立30周年記念式典 30周年誌発刊 

3回目の九州修学旅行(翌年北海道に戻す)"   

0903_2003gakuensai_himoji  学園祭フィナーレ火文字でナイヤガラ花火始める。

以来、20年にわたって火文字と共に本校になくてはならないものになりました。私が始めたものですが、渡辺英雄先生、森先生に手伝ってもらいながら続けました。毎年、雨や風を心配しながらの実施でした。

 樋口先生が赴任してこられてからは、樋口先生が担当してくださって、よく伝統を守っていただきました。

 でも、苦い思い出も・・・・・このナイヤガラを生徒たちは本当に心待ちにしてくれましたが、火がつくや否や落ちてしまったり、また花火店が配送時期を一ヶ月間違えていて届かなかったりして、生徒たち、特にこれで卒業という三年生をがっかりさせたことがあります。今、思い出しても悔やまれる私の失敗談です。

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