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2010年1月25日 (月)

「大相撲」というもの(その1:なにごとも稽古、練習や稽古は裏切らない)

昨日、大相撲の千秋楽でした。朝青龍関が千秋楽を待たず前日に優勝を決めたにもかかわらず、星取りは13勝2敗に終わりました。これは、横綱の優勝としては平凡な成績です。

昨年は、横綱白鵬関が年間86勝4敗という空前の成績を上げたわけですが、優勝場所は白鵬関3回、朝青龍関2回、日馬富士関1回、うち3回は優勝決定戦までもつれこむという混戦で大いに盛り上がりました。優勝成績もすべて14勝と全勝という高レベルのものでした。

それに対して、今年は初場所から、平凡な優勝成績に終わったわけです。たった一場所のこととはいえ、大相撲ファンとして、とても危機感にかられた場所でした。

そのことについて、数日かけて、いくつか書きとめておきたいと思います。

人生訓の趣も持たせたいと思いますので、おつきあいください。

(1)稽古をしないといわれる関取たち

 まず、白鵬関がよもやの3敗を喫したことについてです。

 昨九州場所において、年間86勝4敗を決めたとき、「この大記録を破るのは白鵬しかいないだろう」とまで言われたのですが、それも、今年は、早々にして、不可能になりました。

 というのも、初場所だけで3敗ですから、86勝を上回る87勝をあげるには、春の大阪場所から年末まで負け無しの75連勝をしなければならないからです。

 不世出の大横綱双葉山の69連勝を破って、さらに連勝を6伸ばせば可能ですが、まずありえないことでしょう。

 もっとも、年間86勝は、偉大すぎる記録です。ですから、それ以上を上げるべきだと言っているわけではありません。初場所にして3敗したことをファンとして不甲斐なく思い、十分な吟味が必要だということを強調したいために言及しているまでです。

 二人しか横綱がいないのに、横綱の勝ち星が12勝止まりというのは、やっぱり、白鵬関がこのところ稽古から遠のいていると報道されていることと無縁ではないでしょう。

 場所直前でも、あまり稽古をしなかったと報道されていましたね。平成の大横綱一号の貴乃花(現貴乃花親方)は稽古の虫だったといいます。昭和の大横綱大鵬も稽古の虫でした。

 長嶋茂雄選手をはじめ、どんなスポーツでも、天才と呼ばれる人々のほとんどは稽古の鬼、練習の虫です。

 現代の関取は、昔と比べると本当に稽古をしなくなったといわれます。日本人力士が伸びてこないのも、ある程度の地位まで上ると、途端に稽古から遠ざかるからだと聞きますね。今の力士は体が大型化していますが、大型化すればするほど、もっともっと稽古を重ねて足腰に筋肉をつける必要があります。筋肉によってしか体重を支える力を身に付けることはできないからです。

 筋肉がつかなければ怪我もしやすくなります。稽古をしない限り、相撲勘を伸ばすことはおろか、筋肉をつけることもできません。

 白鵬関は筋肉がついてこそいても、稽古不足によって相撲勘が狂ったのでしょう。

 稽古がおろそかになったら、横綱といえども、また、どんなに大記録を打ちたてたあとだといっても、急速に失速することを証明したのが、今回の白鵬関でしょう。今回の不甲斐ない成績(12勝3敗。横綱は13勝がノルマと言われます)に懲りて稽古を重ね、自身の精進だけでなく後進の模範となってほしいものです。

 朝青龍関も、今般の25回目の優勝(昭和の大横綱北の湖を抜く単独3位の優勝回数)を単純に喜ぶのではなく、横綱の優勝レベルは14勝以上であることをあらためて認識してもらいたいと思います。そして、13勝でしか優勝を飾れなかったのは、やはり稽古不足にあるのだと発奮していただきたいものです。

 ただ、白鵬関が千秋楽の土俵をものにしたことについて、アナウンサーの「横綱の意地がありましたか」という質問に対して、「いいえ、”千秋楽の相撲”をとりたいと思いました」と答え、朝青龍関が優勝インタビューで「横綱の強さがもどってきたのはなぜでしょう」と問われたのに対して「心だと思います」と答えましたが、両横綱のこの二つの言葉に「光」を見ることができました。

  • (後日追記:優勝インタビューで、強さの秘訣を「心」と答えた朝青龍が、その直前、場所中に暴力沙汰を引き起こしていたことが、場所後に判明し、引退に追い込まれた事件が衝撃的に報道されました。何たること。これは、暴力沙汰を起こしながら、自ら、「心」という言葉を弄ぶ(もてあそぶ)心なき所業というほかありません。

(つづく)

 

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