« 再録:素晴らしい出会い 太鼓部慰問演奏「ひかりが丘保育園in四季の森公園」 | トップページ | 本日より四日間連休いただきます。それで、イトカワとはやぶさ物語を »

2010年6月16日 (水)

ありし日の母校Vol.31≪山桜・幼稚園、文化祭後夜祭in校庭写真:1965年アルバム≫

文化祭後夜祭

午後出張ですので、一枚の写真の掲載でご容赦ねがいます。

0_1965album_kousya_koutei_bunkasai_

↑ 1965年アルバムですから、1964年(昭和39年)の文化祭でしょう。

 昭和39年は東京オリンピックの年です。その年、10月10日が開会式でしたから、この本校文化祭もオリンピックたけなわのときか、開幕直前の盛り上がりを見せているときか、いずれにせよ、日本国中がオリンピック一色となっているときに開かれたわけです。

 ♪こんにちは こんにちは 世界の国から ~~♪

 三波春夫さんの歌が連日のようにラジオからテレビから流れていましたが、いや、これは、♪1970年の こんにちは♪ と続きますから大阪万博のときの歌ですね。

 ♪ オリンピックの顔と顔 それ ドトント ドトント 顔と顔 ♪ ですね。

 写真の輪になっている在校生の皆さんも歌ったのではないかと想像しますが、実際はどうだったでしょうか。二重の輪を作って踊っているのはフォークダンスのようですから、オリンピック音頭は歌わなかったかもしれませんね。

 フォークダンスで盛り上がる校庭の真ん中に、キャンプフャイヤーの木のやぐらが組まれています。

 夕闇せまるころ、火がつけられ最高潮を迎えると思われますが、このころはまだ大倉山幼稚園が併設されていたとき、きっと、幼稚園児たちも大勢、高校文化祭の見学にきていて、キャンプファイヤーを楽しみにしていたことでしょう。それとも、幼稚園児は参加禁止だったのでしょうか?

 その幼稚園の園舎は、写真奥のちょっと高みにある建物です。その右側のほうに園庭がみえますね。

 そして園庭のうえに、本校のシンボル=山桜が立っているのがみえます。このころから少し斜めに傾いて立っていたようです。そりゃそうですよね、このころですでに樹齢230年を数えていますから、風雪に耐えた老木です。

 山桜の手前にある木は、私が赴任した昭和52年にはもうありませんでしたから、鉄筋コンクリート校舎建設のときに、建設の邪魔だということで伐られたのでしょう。木がきられるのは悲しいことですが、いたしかたない面もあります。それだけに、山桜を残された当時の関係者のご辛苦がしのばれます。

 一枚の写真から、いろいろなことがしのばれるわけですが、校庭の手前にある一台のバイク、当時は「単車」(たんしゃ)といっていた時代ですが、いかにも時代を感じさせてくれますね。

 嗚呼大倉山五十年。

|

« 再録:素晴らしい出会い 太鼓部慰問演奏「ひかりが丘保育園in四季の森公園」 | トップページ | 本日より四日間連休いただきます。それで、イトカワとはやぶさ物語を »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ありし日の母校Vol.31≪山桜・幼稚園、文化祭後夜祭in校庭写真:1965年アルバム≫:

« 再録:素晴らしい出会い 太鼓部慰問演奏「ひかりが丘保育園in四季の森公園」 | トップページ | 本日より四日間連休いただきます。それで、イトカワとはやぶさ物語を »