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2010年11月30日 (火)

昭和40年代の生徒会誌「しばつゆ」より(その1)≪大倉山五十年史vol .35≫

きょうで11月もおしまい、平成22年=2010年もあと一ヶ月となってしまいました。これからあわただしい年の瀬となりますが、お体にお気をつけて年末をお過ごしください。

さて、きょうは、久しぶりの【大倉山五十年史】からの引用掲載です。

五十年史は、昨年の12月24日に私の校長巻頭言を掲載して以来のことですから、一年近くもほったらかしにしていたことになります。途中、【大倉山の歴史】カテゴリーに属することは書いてきましたので、一年近くも大倉山の思い出振り返りを放っておいたつもりはないのですが、【五十年史】を放っておいたのは反省いたします。

  • 今までに掲載した【大倉山五十年史】の記事は、左欄カテゴリーの「大倉山五十年史」をクリックすればすべて読むことができます。あわせて「大倉山の歴史」、そして「ありし日の母校」、その「番外編」も、お時間のあるときにご覧ください。一度お読みになっている方も、読み返していただくと思い出にひたっていただけるのではないかと思います。
    この年末に、思い出にひたるなど、そんな悠長なことはしていられないかもしれませんが・・・m(。。)m

平成年間に入って生徒会誌「やまざくら」が創刊され最後まで続いて発刊されましたが、本校草創からまもないころ、昭和40年代に「しばつゆ」という生徒会誌が発行されておりました。

その中から、いくつかの記事を【大倉山五十年史】に収録しております。それを何回かに分けてこの校長日記ブログに掲載いたします。

↓ きょうはその第一回。どうぞお読みください ↓

昭和40年代の生徒会誌「しばつゆ」より

(「しばつゆ」 1964.3月より)

【 わがクラス 】

 尊敬すべき先輩には、見習う事も沢山あろうが・・・・。

ある日・・・・・。

先生が なかなか来られないとみえて、教室の中は、ペチャペチャワイワイ、見張りらしきものが、

「先生きたわよ シー」

とたんに、ガタガタ、シーン、この静けさは 義務教育九周年間プラス二年間に習いおぼえたとみえる。

先生に礼をして着席、先生は、B組一同をにらみつけるような顔つきで見わたす。

一言お小言を言いたそうな感じだが、女生徒のお喋り好きなのを、理解してくれているのか、いないのか、やはりやめた様な様子。

私達は、今までの騒ぎとは、まるで関係のないような、そしらぬすまし顔。

さて、一時間目が始まってみると、

 じっと先生の顔を見つめたままの者

 忙しそうに後をふりかえっては、小さくたたんだ白い紙を渡すペンパル。

 鉛筆を削りながら、おとなりに時間を知らせる篤志家、

 ドロンとした目つきで、話を聞いているのか、いないのか、机にしがみついているナマケモノ。

そのうちに、終りを知らせる美しいチヤイム。

とたんに目がさえざえとして

「鳴った!!」

・・・とわね。            (以上)

1964年3月発行の「しばつゆ」ですから、昭和39年。ですから昭和40年代の生徒会誌というのは一年不正確ですが、ご勘弁ください。

この時代に在校していなくても、なんだか、誰もがにんまりとするような教室の活写ですよね。文学的情緒のある文体で書かれてあって、いろいろと想像させられます。

そういえば、昭和39年は私はまだ小学生。高校生はあこがれの的でした。

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