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2012年8月 3日 (金)

【どんな状況でもプレーは全力を尽くさなければならない】

  ロンドン五輪に関して、表題について、付属小の「先生ブログ」に書いた記事を転載致します。

バドミントン女子ダブルス競技において、中国、韓国、インドネシアの合計4チームが失格となりました。

 本戦トーナメント初戦の組み合わせを有利に運ぶために、予選リーグを1位で勝ち上がることは得策ではないと判断して、二位になるためにわざと負けようと、だらだらとした試合をしたことが理由だそうです。

私は、失格にした判断を支持いたします。

「子供の教育」ということを考えるとなおさら正しい判断です。非常に大事な勘所をふまえた失格決定だと思います。

 「予選リーグ結果と本戦トーナメント初戦組み合わせを結び付けるようなルールにしたバドミントン協会が悪い」という声もあるそうです。ルールの良し悪しはあるでしょうが、それはそれとして議論を進めるべきであって、ルールが悪いからといって、そのルールを悪用して正々堂々としたゲームをしないということがあって良いわけがありません。

 「最終目標の五輪金メダルを勝ち取るためなのだから、『わざと負ける』というのとは意味が違う。最終的に『勝つ』ための『戦略であり戦術』(作戦)なのだから、あのゲームを負けるように運ぶのは認められるべきだ」という意見もあるようです。

 剣術に「皮を切らせて骨を断つ」という奥義(おうぎ)があります。また、戦国武将の戦い方に、敵方の戦力を分断するために、あちらこちらに戦線を拡大するということがあります。そうすると、中には、「お前の陣営は負けて良い、負けて良いから出来る限り長く持ちこたえよ、その間に我々が敵の本隊を突破する」ということがあります。

 今回のバドミントン競技でわざと負けるようにしたのは、そういう戦略戦術と同じでしょうか。

 断固として違います。上で述べた剣術の奥義も戦国武将の戦い方も、どこにも「手を抜く」という所業は入っておりません。全力全霊をつくすという一点において曇りがありません。命がけといっても良い。

 スポーツは命をかけるわけではありませんが、替わりに「観客」の存在というものを意識するのがスポーツです。観客には二種類あって、実際に観ている人々が正真正銘の観客、そして、もうひとつは、試合をしている相手方も自分の試合の仕方をみあっているという意味で、お互いに「観客」です。

 この観客に手に汗をにぎらせるゲームをする責任がスポーツマンには求められます。だらだらしたゲームを観客にみせるというのは、その一点でスポーツマンシップ失格です。また、相手に対して全力を尽くして戦わないというのは相手を根底から馬鹿にしていることで、相手を尊重するというスポーツマンシップの風上に置けないことです。

 相手が全力を出して戦ってくれているから勝ちがいもあれば、負けても潔く負けを認めることができるわけです。そこに切磋琢磨があり、競技全体のレベルをあげていくことができます。

 予選本選の組み合わせが悪いのだからなどを理由に全力をあげなかった4チームを全部失格にするのは当然のことです。組み合わせルールをふくめて勝負なのであって、不利な組み合わせが理由で負けたら、それも「勝負に負けた」ということになるのです。

 より良いルールを作るために常に知恵を出すということは別問題です。

子供の教育ということを考えたら、

 「ルールが悪いと思ったら、全力を尽くさずにだらだらして自ら負けて良い」とか

 「スポーツにはわざと負けるということもあるよ」とか

 「最後に勝てば良いんだよ。途中はだらだらして良いから」とか

 「観てくれている人の気持ちは関係ないよ」とか

 「そんなルールを作った『偉い』人が悪いんだから、わざと負けるのも仕方ないことだよ」

などということは絶対にありえないことです。

幼ければ幼いほど、そういうことを教えることがあってはなりません。

 世の中に理不尽なことはいっぱいあります。その理不尽さによって自分がつぶされることもいっぱいあります。 しかし、どんな場合でも全力を尽くすのが人生であり、その凝縮がスポーツです。だからスポーツは私たちに「生きる勇気」を与えてくれます。どんな場合でも全力をつくせというのが教育です。 (※息抜きは絶対必要です。でも息抜きは「わざと負ける」こととは百八十度、意味がちがいます)

 以上のべてきたことからすると、なでしこジャパンの佐々木監督がとった

  「最高のプレーをみせるな。引き分けにしなさい。」

 という考えも、「わざと負ける」の一歩手前であり、大変残念でした。せっかくゲームに出してもらえた選手の苦衷は想像に難くありません。佐々木監督は今次五輪で勇退されるそうですが、晩節を汚すものだという気がしてなりません。

                     (以上)

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