« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月28日 (金)

1960年代の卒業記念写真in校庭(その1)

平成21年(2009)2月2日にアップした「ありし日の母校」記事です。

      ↓

camera1960年代校庭での卒業記念写真camera

0_1962album_kousya久しぶりに≪在りし日の母校≫を掲載します。

下の方に、1962年(昭和37年)の卒業アルバムより、校庭でグループごとに撮影した卒業記念写真を2枚掲載しました。

上の写真は東校舎。築20年近く経ったころの木造校舎です。

この15年後に鉄筋コンクリートの校舎に建て替えられますが、旧校舎の屋根は赤く塗られていました(あるいは赤焼き瓦)。

赤い屋根が評判だったようです。 高いビルがまったくない時代ですから、大倉山の商店街からも仰ぎ見ることができたことでしょう。

赤い屋根と仰ぎ見る校舎は本校生徒の誇りでした。

  • ※その後、建築される体育館も蒲鉾ドーム型の屋根も赤く彩られました。赤い屋根の木造校舎がなくなった後も、体育館の屋根の赤さは本校の象徴として航空写真でも目立つ存在です。制服リボンもエンジ色で、本校のスクールカラーでしたね。

0_1962album_kounai_koutei_syodobu

  ←校庭でのグループごとの卒業記念撮影。

校庭を囲む木立が女子校らしい雰囲気に満ちていますね。

体育館がないため、体育はもっぱら、校庭でした。体育館が建ってから4分の3ほどの広さになってしまいました。

当時は、体育館の高さによる圧迫感もないため、広々とした運動場だったというのが、当時の卒業生の感想です。

0_1962album_kounai_baske_goalバスケットボールのボードが雄雄しく(?)据えられています。

この4年後から6年後までバスケットボール部は県大会制覇、女子バスケットボールは東横学園大倉山高校を抜きには語れない存在に育っていきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月24日 (月)

山桜・・・花桜、青桜、雪桜のそれぞれの姿(ありし日の母校再掲)

平成20年(2008)12月18日の記事から山桜のさまざまなシーンをご覧いただきます。

同窓会報が送られてきたことをきっかけに桜を紹介することにした記事です。

 ※写真はクリックすると大きくなります。

pencil同窓会報「山桜」book

081218kaihouyamazakura_daiji_by_san 昨日、同窓会報が送られてきました。

平成8年(1996年)に同窓会が再建されて以来、毎年一回欠かさずに発行されてきた同窓会報です。

081218 ←この同窓会報を作成してくださった矢野朝子会長さんを中心とする同窓会役員の皆さんです

  • 今年6月の総会(新横浜プリンスホテル)の折に撮影しました。

同窓会報の題字の筆は佐野教頭先生によるものですが、この「山桜」という名称は再建9年目の平成16年(2004年)に名づけられました。

 樹齢270年、山桜はいうまでもなく、大倉山高校を象徴する名木です。

 きょうは会報「山桜」発行に感謝して、折々に撮影した山桜の写真を一挙掲載します。満開桜に加えて、最後の二枚はそれぞれ青葉桜、雪桜です。ご堪能ください。

081218_50nensi_p1423_yamazakuramank 081218_0604gatu_no_yamazakuramankai 081218_0604gatu_no_yamazakuramank_2 081218_0604gatu_no_yamazakuramank_3 081218_0604gatu_no_yamazakuramank_4 081218_0604gatu_no_yamazakuramank_5 081218_060425aoi_yamazakura 081218_50nensi_p1423_yamazakurama_2

いいね!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月17日 (月)

平成18年、19年、20年の大雨にけぶる大倉山

平成20年(2008)7月31日の記事です。

typhoon大雨rain

080730_070616 ニュースによると、一昨日(7月29日)昼すぎ、横浜はものすごい雷と雨に襲われたということですね。

 その日、私が帰宅したのは夜の9時近くでしたが、そのときも、ものすごい雷でした。雨こそ降っていませんでしたが、横浜方面から届く雷鳴の激しさに肝をつぶしました。

 その雷雨が昼過ぎからだったとは今朝の新聞をみるまで知りませんでした。

 横浜では一時間に最大三〇ミリの雨量を記録したそうです。

 JR横浜線は昼過ぎに1時間ほど、鴨居~長津田間で徐行運転を行ったほどだといいますから、すぐ近くの大倉山もかなりの豪雨だったと想像できますね。

↑↓昨年と一昨年の大雨のときに学校から撮影した写真を掲載しておきます。

 080730_060616

左の写真と上の写真と両方とも暗雲たれこめたときの写真です。

このときも大粒の雨が落ちてきましたが、昨日の豪雨はこの比ではなかったようです。080730_060520

←暗雲たれこめ、真っ暗になったとき、自動点灯した通学階段のところの照明です。一昨日も学校でこのような状態でしっかり点灯したと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月15日 (土)

体育祭の思い出より「女性らしい人間ピラミッド」

ありし日シリーズで懐かしんでいただいています。きょうは平成20年(2008)7月1日記事の再掲です。

 ※最近、小中学校の運動会で人間ピラミッドが巨大化して崩れ落ちるなどの危険をおかすところがあって、人間ピラミッドは物議をかもしています。

 しかし、今から16年前の大倉山の人間ピラミッドはそういう心配がないどころか、女性らしい優雅さに彩られたものでした。

tennis平成12年(2000年)の体育祭virgo

この年は予備日も雨天のため、体育館で実施致しました。

080628_2000taiikusai_in_taiikukan

←見事な組み体操ピラミッドですね。

080701_070224fuji  ピラミッドというより「富士の山」と言ったほうが良いでしょうか。

 単に組み上げただけでなく、裾野を表現する生徒たちの姿が見事ですね。

この組み体操の完成の瞬間、体育館中に拍手が響き渡ったのは言うまでもありません。

080628_2000taiikusai_in_taiikukan2 ←この年は、応援合戦でも組み体操が見られました。

 3年D組の応援合戦。祭り姿の生徒たちが最後にピラミッドを組み上げ、「3年D組参上」の垂れ幕(横になっていますが)を掲げて、アピールしました。クラス担任は坂本先生。

 以上のように、本校の体育祭は雨天の場合でも、体育館でできる種目を実施しましたので、欠かさず行ってきました。(体育館建設のために中止した年が数年ありますが)。

 歴代の体育祭実行委員の皆さん、本当によく頑張りました。

いいね!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月11日 (火)

プール併設の「お風呂」の思い出

「ありし日」シリーズを再掲して懐かしんでもらっています。きょうは平成20年(2008)6月28日掲載の記事です。

clubお風呂@プールdiamond

080613_pool_no_huro2

←平成に入ってからの卒業生では、本校プールに風呂が付設されていたのを知る人は水泳部の人ぐらいでしょう。

080613_pool_no_huroでも、プールができてから昭和60年(1980年代前半)ぐらいまでの、およそ15年ほどの期間の卒業生は、多くの人が知っていることでしょう。

 その頃は、部活動の夏合宿を学校で行っていました。

 教室の机をくっつけてベッドにし、蒲団屋さんから蒲団を借りて、食事を調理室で作って部活動の合宿をしました。学校での部活生活です。

 そういうことで、お風呂はプールの風呂を利用しました。

080613_pool_no_huro3 この風呂はもともとは水泳部が冷えた体を温めてから帰宅するためのもの。

 それを部活動合宿のときにも提供していたものです。

 私も合宿の指導で当然、学校に泊まり、この風呂を利用しました。

 生徒は数名で利用するわけですが、顧問は最後に一人で使います。そのときは当然、夜中で真っ暗な中をだだっぴろいプールサイドを通って、この風呂まで来るわけです。

 日本全国、いや世界中がそうでしょうね・・・夜の学校が静まり返って<怖い>のは有名な話、一人でこの風呂まで来るのは本当に嫌でしたね。

 風呂を使っている間はもちろん電灯があるから明るいので、どうってことはないですが、つかったあと、教室まで帰るのがまた、こわごわ。

 しかし、当時はそんなことはオクビにも出さず、「大人が怖いことあるものか」とうそぶいて生徒の前では平然としておりました。

                 以上です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 3日 (月)

創立者 五島慶太翁について

平成20年(2008)6月26日(木)の記事の再掲です。(記事カテゴリー「ありし日の母校」)

  pen創立者五島慶太翁についてeyeglass

080616gotokeita_ow今まで、写真は掲載しても、今まで一度も五島慶太翁について触れないままでおりました。

 本校ゆかりの写真は慶太翁の肖像写真(職員室と校長室に掲額)だけではありますが、お読み願います。

  • 1882年(明治15年) - 1959年(昭和34年)、享年78で亡くなっています。本校創立四年目でした。東急電鉄の事実上の創立者であり、東急グループを築いた立志伝中の人物としてよく知られている方ですので、略歴紹介は省きますが、信州長野の出身。若き日は英語の教師も勤められました。
    •  
  • 実業家に転進した後も、教育への情熱やみがたく、学校経営を始めたといわれています。美術品愛好家でもあり、そのコレクションが現在の五島美術館です。

能書家としても知られ、本校にはありませんでしたが、姉妹校の武蔵工大第二高校(現東京都市大学塩尻高校・・・信州塩尻にあります)と系列上位校の東横短大(現東京都市大学等々力キャンパス)には、その書があります。

080616gotokeita_ow_syo_sonohitori←慶太翁の書。武蔵第二高校(現東京都市大学塩尻高校)の校長室に飾られています。

 <其の獨(独)りを慎む>と読みます。

もっと分かりやすく記せば、<その一人をつつしむ>。

儒教の祖、孔子の「大学」に出てくる語です。意味は、「たった一人でいる時でも、言行に注意してつつしみ深く生きることが大事である」ということです。

 人間、ともすると、誰にも見られていない、自分一人であるときは、いい加減なことをしても気がとがめなくなりがちですが、それを戒めた言葉です。

高野陽一校長先生が校長訓示で「天知る、地知る、我知る」という言葉を教えられたことがありますが、それに通じます。

  • 「天知る、~、~」は、「誰も見ていないからと思って悪事を働いてはならない。天が見ているのだよ、大地も見ているよ、いや何よりも自分自身が、悪事を働いたことを知っているではないか」というような意味です。

080616gotokeita_ow_syo_wawomotte

←これも慶太翁の書。東横短大にあります。

聖徳太子の憲法十七条の有名な一条・・・<和を以って貴しと為す>です。意味は言うまでもないですね。 080616gotokeita_ow_tue

←これは遺品。慶太翁愛用の杖(つえ)。これも東横短大所蔵です。

 晩年はこの杖を手放されることはなかったと言います。

 以上、今日は、ほんの一部ではありますが、本校創立者についてご紹介しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »