2013年3月25日 (月)

横綱の品格

久しぶりに大相撲の話題です。ただし、以下の文章は、付属小学校のfacebookに書いたものとほぼ同じ内容です。

【横綱の品格】

春場所は早々と優勝が決まり、最終盤の盛り上がりに欠けましたが、千秋楽は最後まで見る価値がありました。

 というのは、白鵬関の優勝インタビューに感動することができたからです。

優勝インタビューの最後に、「初場所で優勝したら、皆さんにお願いしたいことがあったのですが、今、この場でやっていいでしょうか。」とインタビュアーにたずね、了解を得ると、「亡くなった大鵬親方に黙祷をささげたいと思います。」とマイクを通して観衆に呼び掛けたのでした。

 そして、その呼び掛けにこたえて、大阪場所の全観衆が立ちあがり、黙祷をささげました。

 「大鵬」が「双葉山」と並び立つ昭和の名横綱であることは衆目の一致するところであり、相撲ファンならば誰しも、その冥福を祈ることに異論のあろうはずがありません。 

 しかし、そのことを本場所千秋楽で優勝力士インタビューの場を借りて実現しようという発想は、なかなか生まれるものではありません。

 私は白鵬関の提案に心がうちふるえました。強いだけでなく横綱として品格を高める努力をしているが故のことだと思いました。かつて横綱曙関が「相撲取りとして立派であるためには、日本人の心を持てるようでなければならない」と言っていたといいますが、白鵬関も同じように日本というものを理解しようと努めていると聞いています。

 日本人にも欠点はいろいろあり、反省すべきところも多々ありますが、しかし、この島国で千何百年も、あるいは二千年ほども独特の文化を営々と築き上げ、ハンチントンの「世界の八大文明」では「一国で一文化」に分類されるほどのものとなっており、世界有数の伝統文化を持つことは誇って良いことと思います。

 もちろん、日本文化はひとりで形成されたものではありません。民族としてはモンゴロイドの血を引き、文化の面では、黄河文明および長江流域の文明に始まる古代文明や朝鮮半島の文化の恩恵を受け、また琉球を始め、さらに南方諸島の文化、アイヌ文化を含む北方系の文化などの好ましい影響を受けた文化が日本文化です。しかし、その融合のさせかた、発展のさせ方には独特のものがあり、今日も世界の人々を魅了する要素に満ち溢れているわけです。

 そういう誇らしい日本文化を吸収しようとする白鵬関の態度には並々ならぬものを感じます。それは言葉にも表れています。外国出身なのに、「恐縮です」とか「精進(しょうじん)します」というような謙虚な言葉をすらりと使える力士はそう多くないと思います。

 私は白鵬関の日本国籍取得(帰化)を勧めるものではありませんが、白鵬関の日本文化受容には日頃から大変感謝しております。

 そんな白鵬関が昨日の千秋楽で故き大鵬親方に黙祷をささげる提案におよんだので、私はあらためて素晴らしい横綱だと思いなおしたのでした。「横綱の品格」ということがよく言われますが、白鵬関はそういう横綱の一人として将来に名を残すことは間違いないように思います。  

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。本校創立者五島慶太先生は建学の精神で「風格ある人間」ということを言っておられ、それを本校では「気品あふれる女性」と表現しておりました。言うまでもなく、これは「品格」に通ずるものです。

      以上

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2012年7月28日 (土)

ロンドン五輪開幕

ロンドンオリンピックが開幕致しました。

そのことについて付属小学校の先生ブログで執筆しましたので、ご覧ください。

本校創立者の五島慶太翁と日本オリンピック委員会の父「加納治五郎」との縁についても書きましたので、どうぞお読みいただければと存じます。

http://tcu-elementary.ed.jp/blog/2012/07/post-369.html

携帯でご覧の方で、上のリンクにジャンプできない方のために、「加納治五郎と五島慶太」の部分だけ、以下に転載しておきます。

     ↓

【日本オリンピック委員会の父=加納治五郎と五島慶太】

  ※以下敬称略

日本オリンピック委員会の父は、講道館柔道の租である加納治五郎(1860年生まれ)です。

現在のJOC(日本オリンピック委員会)は、加納が1911年に大日本体育協会を作ったのが始まりです。

実は、加納治五郎は日本オリンピック委員会を作る前から、いや、日本選手が一人もオリンピックに参加していない段階においてといったほうが正確でしょう、つまり、日本人とオリンピックがまったく縁もゆかりもない段階において、1909年、駐日フランス大使を通してクーベルタンより「国際オリンピック委員会(IOC)」の委員に就任するよう要請されて就任しています。加納治五郎という人はそれほど国際的に注目されていた人物だったのです。

 その後、加納治五郎は日本選手を参加させることに奔走するとともに(そのために作ったのが大日本体育協会でした)、1940年東京オリンピックを招致することに成功しました(実際は戦争のために中止の憂き目にあいましたが)。

このような加納治五郎から親しく教えをうけた人に、都市大グループの創立者である五島慶太がいるのです。五島慶太(1882年生まれ)は青雲の志を胸に1901年上京し、東京高等師範学校(現筑波大学)に入学しましたが、そのときの校長が加納治五郎でした。まだ40歳をこえたばかりの若き校長です。

五島慶太は、この加納治五郎校長から「修身」(倫理)の授業を直接教わりました。

加納校長は、この講話において、毎回、同じフレーズを強調したといいます。

それは、

「人間たるもの、『なあにの精神』(なあにくそ、これぐらいのことでへこたれてたまるか)をもって事にのぞむことが一番大事である」

ということだったそうです。

その後、五島慶太は東京帝国大学(現東京大学)に入学しなおしますが、学資に困って、加納治五郎校長に相談をし、家庭教師の口を紹介してもらっています。

オリンピックにゆかりの深い加納治五郎と本校創立者五島慶太の深いえにしを知ると、このたびのロンドン五輪を見る目がまたちがってくるのではないかと思い、以上、ご紹介いたしました。

 以上のことは、いま執筆中の「五島慶太伝」にも盛り込む予定です。

            以上

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2011年9月26日 (月)

第35代木村庄之助立行司

しばらく相撲ネタの記事を書きませんでした。

相撲は本校とはとくに関係があるわけではありませんから、書く必要もないのですが、大相撲が私は好きで、たびたび記事にしてきたこともあり、私の相撲記事が好きだとおっしゃってくださる読者の方もいらっしゃるので、たまには書いてみたいなあと思ってはいるのです。

それなのに、こんなに長い期間、記事ネタにしなかったわけですが、別に「八百長問題」があったりしたからというわけではありません。

私は、落語などでかたられる初代横綱谷風の「人情相撲」の話が好きで、相撲をスポーツという片面からだけ語られるのは好みません。

もちろん、草創のころから、力くらべ、技くらべであることは明確であり、そうである以上、どの時代にも「八百長」相撲は諌められてきましたし、ことに現代は、他にも多くのスポーツが隆盛をきわめており、大相撲もそのスポーツの一つに数えられるわけで、八百長があってよいはずはありません。八百長があれば記録も何の意味もなしません。

それでも大相撲というのは、伝統芸能の側面が色濃くあり、大相撲をとりまく環境の全体をふくめて、歴史的ともいってよい「大相撲文化」と呼ぶべきものがあります。ですから、八百長問題のときにも語られた「大相撲=スポーツ」だけにする単純化論はどうも好きになれないのです。

それはともかくとして、今日、相撲のことを話題にするのは、昨日の千秋楽結びの一番をもって引退することになる立行司木村庄之助さんのことがあるからです。

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「第35代立行司木村庄之助」は、私の郷里宮崎県出身だったことを今度はじめて知りました。県民栄誉賞を受けられているほど宮崎県内では旧知のことなのに、私は知らず、宮崎出身としても大相撲ファンとしても、まことに不覚不明のことです。

宮崎県出身の力士の最高位は関脇で、十両以上の力士もたまに生まれるぐらいですから、行事の横綱格である立行司木村庄之助に上り詰めた方が宮崎県出身というのは、私にもとても誇らしいことに思えるのです。

本名を内田順一さんとおっしゃるそうですが、昨日、白鵬関の20回目の優勝パレードに際し、横綱の誘いでパレードカーの中央に座らされて労をねぎらわれたということですが、横綱の粋なはからいが私も嬉しい。

上の写真は第35代木村庄之助さいごの軍配さばきとなった秋場所千秋楽結びの一番、白鵬対日馬富士の立ち合いの様子です。

相撲記事といいながら、なんだか私事のようなことになってしまいました。申し訳ありません。

                  (以上)

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2011年8月29日 (月)

言霊

  • 今日の記事も付属小学校の記事と同じものですが、小学校の内容ではありませんので、リンクジャンプする必要のないように、本ブログの直接記事としてアップします。

韓国大丘市で世界陸上が開かれていますが、昨夜、大変なことが起きました。

100m競走の驚異的な世界記録保持者(9秒58)で、2連覇を狙ったウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)が、まさかのフライングを起こし失格となりました。

スタート号砲が鳴る前に飛び出したことが素人目にも分かるぐらい歴然としたフライングでした。その瞬間、競技場はもちろんですが、テレビ観戦していた全世界の人々が凍りついたのではないでしょうか。

実は、私は、100m走スタート地点に並ぶボルト選手をはじめとする8名のアスリートを眺めながら、なんとなく嫌な予感がよぎり、家族に「ボルトがフライングするような気がするなあ」と口走っていたのです。

今までと違って、今大会から、一回のフライングで即失格とするというルール改正がなされましたが、私は、これは大変なプレッシャーを選手に与える「改悪」だと批判的に受け止めていました。

そういう中で世界新記録の期待がのしかかるボルト選手であったわけですが、これまでの今季の成績が本来の力ではないことからプレッシャーは相当なものがあるだろうなと思っていました。でも準決勝では、相組の選手の中で中盤まで圧倒的な強さを示す走りをし、その故であるわけですが、終盤80mを過ぎたあたりから力を流して走り、タイムは10秒06という平凡な記録で決勝進出を決めました。

その走りに私は嫌な予感がしたのです。記録が9秒台ならば、力を流しているのにいつものボルト選手らしいなと驚嘆したでしょうが、平平凡凡とした記録でしたから、ボルト選手ほどのアスリートならば、やっぱり決勝で名誉挽回のために気負うだろうと考えたのです。何につけても「気負い」はミスを生むものです。

それともうひとつ、ボルト選手ほどの人がフライングをしてしまったら、今回のルール改悪に走った国際陸連は後悔するだろうなという気持ちもよぎりました。

それで、私は「ボルトがフライング・・・」と言ってしまったのですね。

そうしたら、そのとおりになってしまいました。私は、後悔して「やっぱり言霊(ことだま)ってあるんだから、下手なことを口走ってしまって悪かったな」と家族に話しました。 そこへ、息子が「そうだよ、余計なことを言うから・・・」とのたまいました。

実際には私の言霊が本当に災いしたのかどうかわかりませんが、また、国際陸連がどう受け止めたかは知りませんが、災いなるかな、ボルト選手の走りが見られなくなったことに、世界中の人々と同じように、私は十分うちひしがれてしまいました。

日本では万葉の昔から、「言霊」信仰があり、声に出した言葉には力が備わっているので、良い言葉を出すことにつとめ、忌み嫌う言葉は口にしないということが行われてきました。「言っていいことと悪いことがある」というのもその流れです。結婚式のスピーチでは、「わかれ」「おわり」「ふたたび」などの言葉を言わないようにするのもその流れです。

若いころの私は、「言霊」など迷信にすぎず、古代研究などの学問上の問題だと、切って捨てて考えたこともあるのですが、年をとるにつれて、やっぱり、古くから言われていることは大事にしたいと考えるようになっています。その私が・・・ボルト選手、ごめんなさい。

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2010年11月29日 (月)

白鵬関、祝二年連続「86勝4敗」、そしてもうひとつの楽しみ

大相撲九州場所が終わりました。白鵬関の連勝記録は63でストップしましたが、その後、大崩れをせず、14勝1敗で優勝をかざりました。

下の方にNHKテレビから撮影した写真を4枚掲載致しますが、連勝記録こそストップしたものの、昨年、圧倒的な強さで年間最多勝記録を打ち立てたばかりのところ、本年も二年連続でその記録を続けたのですから、本当に大したものです。

そして、これはあまり語られないことですが、昭和の大横綱大鵬が45連勝でストップしたあと、またすぐに30連勝をつづけました。つまり75勝1敗という大記録を大鵬は打ち立てているわけです。双葉山の69連勝の陰にかくれていますが、この大鵬の75勝1敗という記録も実はとてつもない大記録なのです。さすがは双葉山に並び立つとも言われる大横綱大鵬なわけですね。

  • 後日訂正:上の大鵬の「75勝1敗」という記録はまったくの記憶違いでした。大鵬は45連勝でストップした後、その三日後から体調不良で休場しているようです。このほかにも大鵬の連勝記録はいろいろとありますが、どこをさがしても1敗をはさんで75勝したという記録はないようです。どうして、私はこのような思い違いをずっとし続けてきたのか思い出しようもないのですが、不明を詫びます。そして得々と上のように書きなぐったことを恥じます。

ところが、今場所、白鵬関はそれを破ったのです。実に立派と言わなければなりません。

つまり、白鵬関は、63連勝のあと1敗したものの、その後13連勝をしましたので、76勝1敗ということになりました。来春初場所初日に勝てば、この記録はさらに77勝1敗と伸びることになります。その後も連勝を続けると、78勝1敗、79勝1敗というようにぐんぐんと伸びます。

私は、69連勝がならなかった白鵬関のこの記録にも注目しています。どこまで伸びるか楽しみです。

それでは、昨日の優勝決定戦の写真をどうぞ。優勝決定戦としては物足りない内容でしたが、平幕ながら決定戦に出場した豊の島関、14勝1敗の優勝同点の豊の島関、大変立派だと思います。地力がありかなり前から有望株といわれてきました。はやく大関昇進をとげ横綱をめざしてほしいと思います。

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2010年11月15日 (月)

偉大なり双葉山、無念白鵬関及ばず

  • 本日は別の記事を一本立てておりますが、もうひとつ書きます。齋藤まさ子さんの記事も必ずお読み願います。

typhoon・・・白鵬関破れたり・・・だが伝説の横綱谷風と並び立つthunder

時間に余裕がないのですが、どうしても、今日のうちに少しなりとも書いておかざるをえない心境なのです。

いま、15日の午後7時40分。63連勝中の白鵬関が敗れたと知らせてくれた人がありました。私がファンであることを知ってのことですが、その知らせを聞いて私は今ちょっと、いやかなり頭が呆けた(ほうけた)状態にあります。

先場所(秋場所於国技館)、白鵬関が、昭和の名横綱千代の富士の53連勝を抜いた時もこのブログの記事にできず、4場所連続全勝優勝をしたときも記事にできず、あとですぐに書けばいいやと思いつつ忙しさにかまけてしまった・・・、さあ書こうかと思ったときはあまりに日が間伸びしてしまっていた・・・、こうして結局執筆しないままに終わっていました。

執筆しなかったことが心残りだったのですが、今場所(九州場所)、不世出の名横綱双葉山の連勝記録を抜いたときに満を持して書けばよいと思っていたところでした。

それだけ、今の白鵬関の充実ぶりからは、連勝街道を突っ走るだろうことが私には自明のことに思えていたのです。

  • 現役力士には敬称「関」をつけて表現しております。

しかし、双葉山が≪不世出≫と言われたのには、やはり故(ゆえ)がありましたね。

70連勝ならずして敗れたときに、双葉山が「我、いまだ木鶏たりえず」と言ったことは有名ですが、その「未木鶏」を尊敬してやまない白鵬関は「未木鶏」に6連勝及ばず散ってしまいました。この白鵬関は今は「遠木鶏」になりました。

偉大なり双葉山、流石は双葉山、不踏峰双葉山、孤峯双葉山、絶対の双葉山、尊厳双葉山、形容し難し双葉山、どういったらいいのでしょう、双葉山の偉大さを白鵬関はあらためて証明するために平成に生まれたのか、まことにまことに今日の敗戦は大変なことに思います。

双葉山に土をつけた安藝ノ海は後に横綱になりました。今日白鵬関に土をつけた稀勢の里関にも必ずや横綱になるべく精進してほしい。

白鵬関は昨日、栃乃心関に勝って63連勝、江戸時代伝説の大横綱谷風に並びたちましたが、そこまでだったというべきか、いややはり、谷風に並び立つ平成の大横綱とたたえるが良いか。

どんなこんな表現をしようとも、いまは、ただただ双葉山の偉大さが際立ちます。

かなり頭の呆けた(ほうけた)状態で筆の動くままに書いていますので、何がなんだかわかりませんが、「双葉山、谷風、白鵬、そして稀勢の里」の四力士の名前をここに刻んで、私の思いとします。

嗚呼それにしても無念なり白鵬関。

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2010年7月27日 (火)

大相撲放映のとりやめについて

昨日に続く記事です。

下に掲載する文章は、名古屋場所が始まるまえに書きとめたものです。

名古屋場所の前に一石を投じたいと思いながら、果たせませんでした。内容的に不十分さを感じていたからですが、場所が成功裡に終わった今、私の筆跡に不十分さがあっても披露しておきたいと思い、アップいたします。

公共機関、公的団体にかかわる不祥事や事故等の緊急事態に対する処理という問題を考えることにも通じると思っております。

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こんどの日曜日より大相撲名古屋場所が始まります。

名古屋場所を前にして、大相撲界が揺れに揺れています。

部屋あげての暴行による力士死亡事件や外国人力士の麻薬汚染問題、元横綱朝青龍の暴力沙汰に続き、この間、野球賭博をはじめとする親方や関取衆の賭博問題です。

このことをめぐって、企業の懸賞金取りやめなどに続き、NHKが実況中継を取りやめるという結論を出しました。一度は名古屋場所の興行中止という議論すらなされました。

これまでブログ記事で、大相撲をたびたび取り上げてきましたから、私が大相撲ファンであることは周知のことと思います。今回の「騒ぎ」について、何度か記事にしようかと思いましたが、悪い事は悪いなので黙ってきました。企業の懸賞金取りやめなどはあって然るべきことだと思います。

しかし、NHKの大相撲中継取りやめという決定はいかがなものかと思います。

かつて(40年も前のことですから、もう大昔といってよいかもしれませんが)、プロ野球で黒い霧事件と呼ばれる暴力団がらみの八百長事件が世間を大騒ぎさせたとき、受信料徴収公共放送のNHKを含めてテレビ局やラジオ局はプロ野球の実況中継をとりやめるという決定はしませんでした。

それは大多数のプロ野球選手が「健全」であると評価したこと、そしてプロ野球ファンへのサービスを継続するという良識的観点に立つものでした。

今回の大相撲野球賭博問題は、死亡事件、麻薬汚染、暴力事件に引き続いて露見したもので、大相撲界の体質が決定的に「悪」に染まっているからという理由で、プロ野球の黒い霧事件よりも重大なものとNHKが判断したものなのでしょう。

しかし、一連の悪質な問題が露見してきたといっても、本当に大相撲界は決定的な「悪」の組織になってしまっているのでしょうか。

私は、バランスからいえば、「悪」に染まっているマイナス部分よりも、神事に由来する古典的興行芸能、庶民の娯楽としての価値のほうが高いと思っております。仮に大相撲がなくなってしまったとしたら、後世に必ずや後悔の世論が彷彿と起こるでしょう。

ですから、マイナス部分を矯め(ため)るあまり、大相撲が廃れる(すたれる)ようになったら本末転倒だろうと思っているぐらいです。

大相撲界は独特な世界です。

  • タニマチと呼ばれる独特の後援者や後援会組織、
  • 茶屋制度という特異な入場券販売の仕組み、
  • 部屋住み込みで稽古・修行・生活を親方とともにするという現代離れした「徒弟」制度

など、一般世間とは違う仕組みを持っているため、大相撲ファンでなければ理解しにくいというか、とっつきにくい世界であることは確かでしょう。

しかし、その内部(しきたり等)が一般世間の流儀とかけはなれているという世界は、大相撲にかぎらず、歌舞伎・能などの伝統芸能、大衆演劇・サーカスなどの巡回興行芸能など、数多くあります。

しかし、そういう世界は、一般社会から隔絶されているがゆえに、伝統が守られもし、新たな伝統が付け加わっていくということがあることを理解することも大事ではないかと思います。

「そうはいうが、大相撲は税金で優遇されているという公共的性格を持っている以上、隔絶した世界だから許されるものではない」という声もありますが、だからこそ、それを踏みにじった力士は譴責を受けているわけです。当然のことです。

でも、NHKが放映を中止するというのはいかがなものでしょうか。大相撲をファンの目に届かない世界にするという決定、大相撲を支えてきたファンの楽しみを奪うという決定、これらは大相撲を発展させるのではなく衰微させるものです。

日本国じゅうにいるファンが場所に通うことは不可能です。昔はそうだったといっても、今は、NHK放映を通してファンが大相撲を支えているという側面が大きいわけで、どう考えても、放映中止はいきすぎです。

全国の視聴者から「譴責の意味で、放映中止せよ」という声があったからといいますが、譴責という点では、相撲協会が世間に遠慮して、天皇賜杯をはじめとするあらゆる表彰を辞退し、また多くの企業が懸賞や広告を拒否したということで十分ではないでしょうか。

放映中止を求める視聴者と同様、放映を望む大相撲ファンも視聴者です。ファンまでをも譴責する形になる放映中止はいかがなものでしょうか。

きわめて残念な決定です。

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2010年7月26日 (月)

讃!白鵬関

  • 先生物語、また延期させてください。私としては、どうしても大相撲名古屋場所の白鵬関のことを書きとめておきたい。
  • 明日は出張で、期日指定で名古屋場所のことについてアップ予定ですので、予告の「先生物語」が遅れます。楽しみにしておられる方々に申し訳ないと思いますが、お許し願います。

three白鵬関の偉業onefive

 日本相撲協会の親方衆や関取衆の野球賭博問題など不祥事の連続によって、世間の大きな批判をあび、開催まであやぶまれた名古屋場所でしたが、どうにか、千秋楽まで興行することができました。ファンの一人として何よりのこととほっと胸をなでおろしております。

 謹慎休場や解雇退職の関取が大勢いて、盛り上がりに欠けるかと心配された土俵でしたが、出場した力士たちの頑張りによって、成功のうちに幕をとじたといえます。

100725hakuhoseki03100725hakuhoseki01 100725hakuhoseki02   その中でも白眉(はくび)は、やっぱり、横綱白鵬でした。

 この初場所、いきなり3敗を喫して、昨年の年間86勝4敗が色あせるかに思われたのも束の間、翌春場所から連勝街道を突っ走りはじめたのですから、白鵬関の心は計りしれない深さをもっていると思います。

 弱冠25歳。

100725hakuhoseki04 100725hakuhoseki05  全勝優勝7度。大横綱大鵬の全勝優勝が8回で最多ですが、その大鵬は32回の優勝のうちで8度の全勝です。白鵬関は今場所の優勝をふくめて15度の優勝、その半分が全勝というものすごさ。

 そして今場所の優勝で達成した3場所連続全勝優勝は、15日制になってからの大相撲では初めての偉業。来場所、もし全勝となると62連勝ということになって、九州場所において稀代不世出の名横綱双葉山の69連勝を破る可能性が生じます。

 大相撲という世界、そうは甘くない世界です。そこまでは難しいだろうという観測が普通でしょうし、またファンの中には外国人力士に破られたくないという心理も働いたりするだろうと思いますが、私は双葉山の記録が破れるものならば、今の白鵬関に70連勝という大記録を打ち立ててほしいと思っています。

 なんといっても、白鵬関は日本の大相撲の心を理解しようと努力している人です。大相撲を単にスポーツとか力競べ、勝負というレベルでなく、神事をはじまりとする伝統芸能であり、心身一如(しんしんいちにょ)の技の体得ということを追求しているからです。

 大相撲の心を体得するために、双葉山を限りなく敬愛し、大鵬親方に学んできたといいます。朝青竜がいろいろと問題を起こしても、モンゴル出身力士の誉と仰ぐことは変わらないとする謙虚さが美しい。目標とするところは本当ははるかに彼方にあるとしても、横綱輪嶋の優勝記録に並んだときに、「尊敬する輪嶋さんに並べて光栄です」と述べた謙虚さも記憶に新しいところです。

 今回、相撲協会の賜杯辞退のために、優勝しながらも天皇賜杯(しはい)を胸にいだくことができなかったことは白鵬関にとって誰よりも悔しかったことであり、表彰式では目に光るものを浮かべたわけですが、それでも、余計なことは言わない心を持っている白鵬関。

 そんな彼(といってよいかどうか)が、私はとても素晴らしいと思います。

 もっとも、そういう日本の大相撲の心を理解しようとした外国人力士の伝統は、高見山にはじまり、それが、曙をはじめ数多くの外国人力士に受け継がれてきています。

 その外国人力士の築いた伝統のうえに、今の「白鵬」があることを認めないわけにはいきません。それでも私が白鵬関を一等抜けたものとしてたたえるのは、その姿に、伝統の頂点に立つ神々しさをみる思いがするからです。

 今場所の土俵入りは見事でした。蹲踞(そんきょ)の姿勢からせりあがってくるときの、深々とひれ伏すかのように、水に深く潜り込むかのように上半身を折り曲げた体勢は、見事というほかありません。

 彼の心のなせるわざだと思いました。

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2010年6月30日 (水)

お疲れ様 ワールドカップ日本代表チーム

今日もホームルームです。

soccer攻めることと守ることdenim

ワールドカップ南アフリカ大会が一次リーグ予選が終わり、決勝トーナメントがたけなわです。

日本代表が一次リーグを突破し、決勝トーナメントで初のベスト8入りをするかと期待がふくらみましたが、残念ながら昨日、パラグアイに延長―PK戦まで戦った末に敗退しました。

ワールドカップ南ア大会が始まるまでは、岡田監督の手腕をいぶかる声が圧倒的でしたが、一次リーグのゲームが進むにつれ、岡田監督に賞賛の声が浴びせられるようになり、今は、決勝トーナメントで敗れても「岡田監督名将論」が飛び交うほどになっています。

ファンというものは現金なものです。

とにもかくにも前評判を破って決勝トーナメントに勝ち上がった岡田監督と日本代表チームをねぎらい、賛辞と感謝の気持ちを贈りたいとおもいます。

サッカーに限ることではありませんが、対戦相手のあるゲームには必ず「攻め」と「守り」があります。

今回の日本代表チームの「攻め」の陣形=ワントップ(本田選手一人をフォワード先頭に押し立てる形)が話題となりました。

サッカーのその辺のことは、私にはあまりわかりませんが、一般的な形で「攻め」と「守り」について考えることは、人生のさまざまな場面において重要な鍵をにぎると思います。そのことについて少し考えてみたいと思います。

「攻撃は最大の防御(ぼうぎょ)なり」という言葉があります。これは限りなく真実を説いた言葉だと私は思っています。人生も何事においても前向きの姿勢で対処することが大事です。積極的に「出ていく」構えをとることが大事です。

しかし、人間は「攻め」てばかりいると、「守る」ことの大事さを忘れてしまうことになります。自分が「守る」ものを持っていることすら忘れてしまいます。

「守る」ものがあるということを忘れてしまったら、「攻撃は最大の防御」といくら叫んでも、それは「攻撃のための攻撃」となってしまい、本末転倒です。

本末転倒だというのは、「攻撃のための攻撃」は、要するに相手を倒すことだけを考えて、自分は何のために攻めているのか忘れてしまっているからです。

何のために攻めているのかといえば、それは、自分とチーム、自分と家族、自分と仲間、自分のよって立つ組織のために攻めているはずです。

ところが、一旦「攻撃のための攻撃」に陥ると、チームを、仲間を、組織を忘れ去ってしまって、自分だけの悦に入って「攻め」の快感にひたるということが起こります。

そうなると、チームから、仲間から、組織から、「あいつは一体何様なんだ」と思われてしまうことになります。言葉をかえれば、「攻撃のための攻撃」は要するに「無責任」だということです。責任を負うものがない手前勝手な攻撃だということです。

最近のサッカーでは「個人技」ということが強調されますが、どんなに個人技が優れていても、それはチームのために使う、チームの組織力を引き出すために使うという発想がなければ、爆発的な得点力には結びつきません。つまり、無責任な個人技はチーム崩壊(共同体の崩壊)につながるのです。

実は「攻め」の大事さは、攻められる経験をして初めて知ることができるものなのです。

攻められることによって、「攻め」の上手下手も見えてきますし、自分が何を守らなければならないのかも見えてきます。

こうして考えを巡らすと、「攻め」るためには、一度、徹底的に「守る」経験をすることが大事だということがわかります。

禅問答のようになってきて申し訳ありませんが、「攻撃は最大の防御なり」という言葉は、実は「攻撃を知る者は防御の術を知っているから」ということなのです。

よく、「脇が甘い」ということが言われます。「脇が甘い」人は、一度も本当の「防御」を経験したことがない人です。「おめでたい人」といってもよいかもしれません。

でも、防御しなければならないような苦しい経験というのは、できれば、しないで済ませた方が幸せです。

ところがありがたいことに、「防御」の訓練は、イメージトレーニングで身につけることができるものなのです。それは、自分は何を守ろうとしているのかを常に考えることです。その守ろうとしているものが本当に守るべきものなのか、もっと大事な守るべきものがあるのではないかを考え続けることです。

それから、もっと大事なのは、相手(敵)を思いやることです。相手(敵)の立場に立って考えてみることです。相手は何を守ろうとしているのか、どこを守ろうとしているのかを考えてみることです。

このイメージトレーニングによって「防御」ということを学ぶことができますので、これはとても大事です。

ユダヤ教の教えに「敵の中に友人を作れるものが英雄である」という言葉があります。これも「攻め」と「守る」の関係を示してくれている言葉だということを記して、今日の禅問答のような長文を終わります。

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2010年3月15日 (月)

パラリンピック・バンクーバー冬季大会

  • 昨週末、都市大グループ校の教頭研修会が信州でありました。佐野教頭先生もご参加になり、久しぶりにお会いできました。研修後、いくつかの学校を回る途中、諏訪湖畔の「諏訪湖間歇泉センター」に立ち寄ってきました。平成に入ってから、白樺湖林間学校の折に見学したところです。後日、写真とあわせてご報告したいと思います。

ski大日向邦子(おびなた・くにこ)選手、自身通算9個目のメダルsnow

 バンクーバー冬季五輪に続いて、パラリンピックが始まりました。

  • パラリンピックは、1948年、イギリス国内において、第2次大戦によって負傷した兵士を勇気づけるために開かれたアーチェリー競技会が原型だといわれています。
  • その競技会に、1952年、イギリス人選手のほかにオランダからも参加があり、それを起点に、障碍(しょうがい)を持つ方々にスポーツができる喜び、生きる喜びをもたらす国際スポーツ大会として発展することになったそうです。
  • オリンピック形式になったのは、1960年夏のローマ五輪のときからです。冬季パラリンピックは1976年のスウェーデンのエーンシェルズビークで開かれたのが最初です。

 

さて、現在、バンクーバーで開かれているパラリンピックで、日本人初のメダリストが誕生しました。オリンピックと同じように障碍を持っている方の競技大会の最高峰を応援したく、本日記事としてアップいたします。大倉山高校も障碍を持っている方に「優しい学校」でありたいと思い続け、またそのように努力してまいりました。

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大日向邦子選手のチェアスキー(回転)です。

大日方選手は、16年も前の1994年のリレハンメル大会からずっと、日本代表として参加され、金メダルを含めてすでに8個のメダルに輝いているアスリートです。

  • ↑写真はNHKテレビニュースより私が撮影したものです。

↓大日方邦子選手はブログを書いておられます。どうぞご訪問になってください。

http://obinata-ski.com/

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