2018年9月14日 (金)

我流翻訳「般若心経」

ご無沙汰しております。いつも齋藤美紀49期生徒会会長が寄せてくださる記事に「おんぶに抱っこ」状態で、私は少しも記事をアップしないまま過ごしておりますことをお詫び申し上げます。

本日は、東京都市大学付属小学校の「父母の会広報誌」に掲載する文章を、皆様にもご紹介したく、記事をアップします。ご一読いただけましたら幸甚に存じます。

        ↓ 

般若心経は、漢字でわずか二百八十字足らず、色即是空という言葉で有名な仏教の経典です。釈迦が弟子のシャーリプトラに聴かせた話ですが、有名な割に意味はあまり知られていません。意味をつかむとなかなか味わい深いので、私なりに日本語に翻訳したことがあって、いつか紹介したいと思っておりました。

但し仏教を奨励する意図ではありませんので誤解なきようお願いします。古代東洋世界の一思想ということで読んでください。では以下、翻訳です。「空(くう)」はどう翻訳したら良いか未だに分からないので、そのままにしてあります。また途中、意訳を入れてあります。

     般若心経(我流翻訳)  ※原文は末尾に掲載

 観音(かんのん)様という尊い菩薩(ぼさつ)の話だ。この方が昔、「真理」を求めて修行なさった。そして、人は見たり感じたり想ったりしているがそれら五感というものはすべて「空」であるということを悟られた。その悟りによって、あらゆる苦しみから逃れられた。

 シャーリプトラ君、よく聴いてくれたまえ。見えているもの形ある物の本質は「空」である。「空」なるものが見えたり形となっているわけだ。君は毎日感じたり想ったり行動したり何かを心に浮かべたりして生活しているが、それらの本質は「空」だということを知って生活しなさい。

 シャーリプトラ君、すべてのことは「空」なのだから、君が、物が生まれたり滅びたり、また何かが汚れたり清らかであったり、増えたり減ったりしていると思っていても、本質からすれば、生も滅もない。汚れも清浄もない。増減もない。また、形は有って無く感覚も想念も行動も意識も本来は無いものだ。

 ということは、形を見ている目も、音を聞く耳も、匂いをかぐ鼻も、味わう舌も、体も心もそれらすべては無い・・・目や鼻が無いというと君はこんがらかるだろうな。まあ聴き給え。

 何かが明らかになるとか暗闇のままだとかいうこともありえない。でも実際には君の回りでは、常に何かが明らかになったり不明のままであったりしている。そのように見えても本質は「空」だ。

 ここから大事なことを言うよ。以上のようなことを考えると、本質的には人が老いるということはない。だから亡くなるということもないんだ。でも実際には人は年寄りになって亡くなったり、若くして亡くなったりしている。どういうことだろう?

 「他界」という言葉を知っているかな?亡くなることの別の表現で、「別の世界へ移る」という意味だ。亡くなるのではなく別世界で生きておられるということだ。別世界というのは「君の心の中」も含まれているかもしれない。要は、亡くなっても亡くなっていないということだ。

 さて君は、この世は思い通りにならない、自分は迷ってばかりいる、迷わないで安らぎたい、悟りたいと思っているかもしれない。が、そんなことをいくら思っても、その迷い自体が「空」だ。

 また知識があるとか何かを得たとか自惚(うぬぼ)れ(れ)てはいけない。菩薩になった尊い方々は、迷いや煩悩(ぼんのう)から解放されたが故に、心からわだかまりが消え、あらゆる恐怖から解き放たれ、つまらない夢想が一切(いっさい)消えた。こうして永遠の幸せの世界に到達された。

 さらには、あらゆる世界におられる仏様は「空」ということを悟られたから、欠けるところのない円満な境地に到達なさった。

 君が、そういう境地になることは普通では難しいかもしれない。でも、君が悟りの境地に到達できる方法がある。それは「真実の言葉」を唱えることだ。

 「真実の言葉」とは、神の言葉であり、全てを明らかにする言葉であり、これ以上尊いものはないという真実、これと同じものはありえないという真実を持った言葉だ。これを唱えれば、あらゆる苦から逃れられる。それだけは真実だ。ではさっそく唱えよう。

 「ぎゃーてー ぎゃーてー はーらぎゃーてえ はらそうぎゃーてー ぼーじーそわか」 (意味 悟りの世界に行こうとする者は幸いである)

原文 (意味ごとに半角空欄を入れました)

仏説 摩訶 般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深 般若波羅蜜多 時

照見 五蘊皆空 度一切苦厄

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

受想行識 亦復如是

舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法

無眼界乃至無意識界 無無明亦無無明尽

乃至無老死亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得

以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提

故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪

能除一切苦 真実不虚故 説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若心経

                                                   本記事は以上です。

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2013年4月17日 (水)

山上憶良

二子幼稚園の先生ブログに書いたことですが、お読みいただければと思います。

大倉山高校卒業生の皆さんのなかには子育て真っ最中の方もおられます。どうぞお読みください。

        ↓

http://www.tcu-futako.ed.jp/blog/2013/04/17/406/

山上憶良の次の歌を題材に書きましたので、↑ ご覧ください。

憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も吾を待つらむぞ

 (おくららは いまはまからむ 子泣くらむ それ その母もわれを待つらむぞ)

 現代語訳:
  私は 今帰宅するよ きっと子も泣いているだろう それにその母親(私の妻)も私を待っていることだろう

銀も金も玉も 何せむに まされる宝 子に如かめやも

 (しろがねも くがねも たまも 何せむに まされる宝 子にしかめやも)

 現代語訳:
  金銀も宝石も何になろうか どんなに優れた宝があったところで 私にとって こどもの方がはるかに上等だ

瓜食めば こども念ほゆ 栗食めば まして偲はゆ

 (うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしのばゆ)

 現代語訳:
 やわらかい瓜を食ったと聞いただけで こどものところに駆け付けたいほどこどもが思われてならないのに、固い栗を食べたと聞くと 気もそぞろになって ますますこどものことが偲ばれてならないよ

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2013年1月24日 (木)

幸せのはひふへほ

一週間以上も間をあけての更新となってしまいました。

先週、福岡県で全国私立小学校校長研修会があって出張したものですから手が回りませんでした。

きょうは「幸せのはひふへほ」という言葉をご紹介します。

 は:半分でいい

 ひ:人並みでいい

 ふ:普通でいい

 へ:平凡でいい

 ほ:程々でいい

以上です。 高望みばかりしていると思わぬ落とし穴にはまることがありますので、それを戒めるために作られたのでしょうが、なるほどと思わされます。

「臨済禅・黄檗禅公式サイト」の法話で知りました。

      ↓

http://www.rinnou.net/cont_04/myoshin/2011-04a.html

ネットの世界を散策していて見つけました。私の菩提寺は曹洞宗で臨済宗とおなじく禅宗ですので、目にとまり訪問してみたのですが、とても良い言葉に出会いました。

ただ、ときには高望みをしたり背伸びをしたりする「挑戦」の心や「先駆者」の心をもつことも忘れてはならないと思います。 挫折しそうになったとき、ふっとこの言葉を思い出すことができると、しばし落ち着いて、また一から出直すという意欲をやしなえる・・・そんな風に私は受け止めています。

           以上

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2013年1月 1日 (火)

大倉山賛歌

あけましておめでとうございます。

大倉山高校讃歌の折り句を掲載して、皆様とごいっしょに新春を寿ぎたいと存じます。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。 一昨年の元日にも掲載しましたが、今回少々手を入れました。

  • ※それぞれの句の冒頭を読めば、
     「とうよこがくえんおおくらやまこうとうがっこう」となります。

こしえに語り継がむ

れしかりし日々のことごと

ろこびの日々のことごと

の燃ゆる思いをふるわせ

くも熱き心は

るしきこともあればこそ

がたき友と通いし学び舎に

と多くの足跡残せり

お われらが丘なる

おくらやまの乙女らは

ものごとくに真白き心

しんばんのごとき(羅針盤のごとき)

じるし持ちて

っすぐに歩みすすまむ

れからも強き絆と

るみある瞳をたたえ

こしえの日々へ向かわむ

つくしき心の底に

なしむ気持ちのあふれくるとも

くせぬ思いを語る

ころのあるかぎり 大倉山は

たい継がれむ 人のこころに

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2012年12月19日 (水)

元善光寺「つもり違い十ヶ条」

付属小学校の「先生ブログ」(12月18日記事)にアップしたことなのですが、先日、付属小学校にご来校くださった富士チャイルドという幼児教室の先生が<元善光寺「つもり違い十ヶ条」>というものをお持ち下さいました。

大倉山高校卒業生の皆様にもご興味をもっていただけると思いますので、ご紹介したいと思います。内容はけっこう有名なもので、私も見知っていたものではありますが、プリントされたものを手に取るのは初めてです。これが長野県の元善光寺ご住職の手になるものと知ったのも初めてでした。

※ 元善光寺とは今の善光寺のご本尊(善光寺如来さま)がもともと祀られていたお寺だそうです。長野県飯田市にあり、元は「坐光寺」(ざこうじ)と称していたのが、善光寺如来さまをお遷しになったあと、善光寺の元の寺ととうことから「元善光寺」と呼ばれるようになったとか。

  推古天皇の御代に創建されたといいますから、聖徳太子ご存命のときです。聖徳太子は日本仏教の開祖ともいうべき方ですから、元善光寺(坐光寺)の歴史は日本仏教の歩みにぴったり一致していることになりますね。 素晴らしいお寺です。  今でも所在地の地名として坐光寺がのこっているといいます(「飯田市坐光寺」)。

そのご住職が作られたという「つもり違い十ヶ条」がとても味わい深いもので、二行で一連をなす語句が五連つづいています。どのひとつをとってもなるほどと感じ入ります。 

      【元善光寺「つもり違い十ヶ条」】

    • 高いつもりで低いのが教養
      低いつもりで高いのが気位

      深いつもりで浅いのが知識
      浅いつもりで深いのが欲望

      厚いつもりで薄いのが人情
      薄いつもりで厚いのが面の皮(つらのかわ)

      強いつもりで弱いのが根性
      弱いつもりで強いのが自我

      多いつもりで少ないのが分別
      少ないつもりで多いのが無駄

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2012年8月 1日 (水)

日本をほめていた生麦事件の犠牲者

先日、神奈川新聞を久しぶりに読んでいたら、文化欄に興味深い記事が載っていました。

生麦事件といえば教科書にも載っている有名な事件です。幕末の文久2年(1862)、薩摩藩の大名行列に正面から騎馬ごと乗り入れてしまった英国人が、「この無礼者!」といって薩摩藩士に殺傷された事件です。

殺された英国人をリチャードソン(当時29歳か30歳)といいますが、神奈川新聞(平成24年7月25日付)によると、このリチャードソンが英国の父親に出した手紙のなかで、日本の印象を書いたものが残っていることが、最近わかったのだそうです。

しかも、その内容が日本にとって大変うれしい記述です。

神奈川新聞(7月25日付)から一部、引用してみます。

「日本はイングランド以外の場所で私が訪れた最高の国です。

 山や海の景色は抜群です。・・・・・・

 上海から馬を連れてきましたので、人に頼らずに比較的自由に動けますし、

 実際、多くの場所を訪れました。幸運にも江戸に行くこともできました。・・・・・

 江戸という都市の素晴らしさは驚きです。江戸の官庁街ともいえる界隈が・・・

 ちょうどロンドンのリージェント・ストリートほどの道幅の通りが集まっています。」

手紙の写真も掲載されていますが、とても美しい筆記体の英文です。

                  ↓ 版権に配慮して極一部だけを切り取りました。

richadson letter.jpg

日本をべた褒めに褒めてくれている英国青年を殺害してしまった・・・・・なんとも言いようのない気持ちがこみあげてきますね。 

当時、開国して欧米各国から大勢の外国人が来日していた日本において、大名行列が通る時は、幕府から欧米各国領事に事前通達がなされることになっていたのですが、殺されたリチャードソンら英国人は、その日、手違いからか知らされていなかったそうです。

知らないまま、四名の騎馬で東海道を散策していたとき、生麦の地において、大名行列に正面から相対することになってしまい、事件発生となったわけです。

実に残念なことですが、よりによって日本を愛してくれていた外国人を殺してしまったとは、何をか言わんや・・・・・帝国主義世界のなか日本では攘夷運動が盛んであったという当時の状況を考えると単純に「日本の侍は野蛮人」と切って捨てるわけにはいかないのですが、リチャードソンのことを「大名行列」に割り込むなど言語道断と一方的に責めることもこれまたできないわけで、悲劇であることは間違いありません。

ところで、リチャードソンのような「日本称賛」は、幕末に来日した外国人に共通のものでした。

ほかにも「トロイ遺跡の発見」で有名なシュリーマンが来日したおり、日本の風景の美しさだけでなく街路の清潔さに驚嘆していますし、また日本人の礼儀正しさや正義感を激賞しています。ほとんどの外国人は日本の風土と国民性を敬愛してくれていました。

昨年の3月11日東日本大震災にたいして被災者の方々をはじめ多くの日本人がとった態度が世界で激賞されました。これからも、日本が世界から激賞されるような国土と人づくりに励みましょう。そのことが生麦事件の犠牲となった英国人リチャードソンの霊に報いる道だと思います。

 

以上の記事は付属小学校の「先生ブログ」にも掲載しました。

                ↓

http://tcu-elementary.ed.jp/blog/2012/08/post-367.html

                    (以上)

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2012年6月13日 (水)

もうすぐ夏至

付属小の先生ブログに夏の俳句について書きました。

      ↓ 冒頭の部分だけでもクリックしてお読みいただいたら幸甚です。

http://tcu-elementary.ed.jp/blog/2012/06/post-340.html

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2012年5月 3日 (木)

折り句・・・本日同窓会でお集まりの49期生にささげます

東横学園大倉山高等学校49期生にささげる折句

                         平成2453日 

きがすぎておもいだす (時が過ぎて思い出す)
つくしきかみに    (美しき髪に)
こかぜをうけ     (横風を受け)
ころかよわせし    (心かよわせし)
のひび        (かの日々)
ろうも        (苦労も)
がおですごせしひも  (笑顔で過ごせし日も)

りおりのこと     (折々のこと)
もいだす       (思い出す)
やしきことありても  (悔しきことありても)
くてんてきに     (楽天的に)

りすごした      (やりすごした)

じめであかるい    (まじめで明るい)

うこうせいかつなりし (高校生活なりし)

しろをふりむかず   (後ろを振り向かず)

こしえにつづく    (永久につづく)

ちゅうのたびにむかうかのごとくに(宇宙の旅に向かうかの如くに)

んぺきなるこころはぐくみ (完璧なる心はぐくみ)

かれたとけっして口にせぬ (疲れたと決して口にせぬ)

のおおくらやまの   (この大倉山の)

るわしき       (麗しき)

49きせいは      (49期生は)

せきのおみなたち  (奇跡の乙女たち)

かいにはばたけ   (世界にはばたけ)

つまでもはてしなく (いつまでも果てしなく)

                以上

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2011年4月26日 (火)

哀悼田中好子さん

  • (おことわり)きょうは付属小学校ブログに書いたのと同じ記事ですが、お許し願います。

3月11日の地震に始まる東日本大震災は、日本全国を苦難の淵に追い込んだ大災害ですが、いたるところに感動的な物語も生み出し、世界に感動の衝撃を与えました。

その余韻さめやらぬどころか、国難がまだまだ続く中、再び、新たな感動が日本全国をおおっています。

日本国中を感動の渦に巻き込んでいるのは、4月21日におとずれたひとつの<死>です。

きょうは、どうしてもその話題に触れたいのです。

感動の渦を起こしているのは、元キャンディーズのアイドル歌手で女優であった田中好子さんの死です。

その葬儀で流された生前の録音テープが話題を呼んでいるわけです。

話題を呼んでいると表現したのでは、実に物足りないですね。

このテープを聞いた方はだれしも、田中好子さんの姿に、「凛」という言葉を思い浮かべたのではないかと思います。

テープは、

「こんにちは、田中好子です」

   と始まり、次のように続いたことばが痛切に胸に迫ってきました。

「きょうは3月29日、東日本大震災から2週間が経ちました。
 被災された皆様のことを思うと、心が破裂するような・・・
 破裂するように痛み、ただただ亡くなった方々のご冥福をお祈りするばかりです」

   人の死についてご冥福を祈るという言葉を死期せまる方が
   発するとは、これまで誰も思っていなかったはずですが、
   死期せまる田中好子さんは、次のように続けました。

「わたしも一生懸命病気と闘ってきましたが、
 もしかすると負けてしまうかもしれません。
 その時は必ず天国で、被災された方のお役にたちたいと思います。
 それが私の務めと思っています。」

   死を自覚した方が、
   被災犠牲者の死を哀悼し、天国から「お役に立ちたい」
   とまで、「私の務め」とまでおっしゃるのですから、
   聞く者の胸は打ちふるえないわけにはいきません。

   そして、幸せだったと感謝のことばがつづくのですから
   私どもは、胸がうちふるえつつ、
   しぜんと頭(こうべ)が垂れていきます。

「幸せな幸せな人生でした。心から感謝しています。」

   このあと、キャンディーズのお二人の仲間をはじめ
   皆さんに感謝の言葉でつないだあと、

「お礼の言葉をいつまでも皆様に伝えたいのですが、 息苦しくなってきました」

   と苦しさを告白されながらも、

「いつの日か、妹夏目雅子のように、
 支えてくださった皆様に、社会に少しでも恩返しができるように、
 復活したいと思ってます。」

   と「恩返し」という言葉で結び、
   夫の小達一夫さんへ振り絞るような哀惜の辞を残して
   テープは終わりました。

己を捨てて、人に尽くそうとする田中好子さんのこの姿は、
「凛」、「りりしさ」、「気高さ」の最高の姿があらわれています。

キャンディーズの皆さんは、もちろん私よりもお若い方々ですが、そのおひとり田中好子さん(スーちゃん)がこのように尊い気高さを持っておられたことに、僭越ながら私は打ちのめされました。

田中好子さんに深く哀悼の意をささげるとともに、田中さんに学ぼうと思います。

そして、田中さんの遺志を無駄にすることのないよう、3・11被災者の方々の復興のために、日本の再生のために人生をささげようと思います。 

                      合掌

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2011年2月22日 (火)

折り句

2011年度カンボジア訪問(仮)募集←クリックしてご覧ください

今日は付属小学校の折り句を作りましたので、
それをご覧いただければと思います。
 ↓   ↓   ↓
http://tcu-elementary.ed.jp/blog/2011/02/61-2.html

大倉山高校の折り句を未読の方は次の記事をご覧ください。
 ↓   ↓   ↓

平成20年(2008)4月17日記事

平成22年(2010)7月7日記事

次のは大倉山に関するものではなく宮崎弁の折り句です・
 ↓   ↓   ↓

(2010)10月19日記事

(2010)10月20日記事

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より以前の記事一覧