2014年9月26日 (金)

五島慶太翁のこと

ながらくご無沙汰しました。8月5日以来、ずっと更新しておりませんでした。

付属小学校の「先生ブログ」更新にばかり力を入れていること、申し訳なく存じます。

きょうは、付属小のこどもたちに創立者五島慶太翁のことについて書きましたので、それを紹介します。

といいましても、この4月に私の執筆で上梓した「五島慶太伝」の一部を抜粋掲載したものです。

どうぞご一読いただければと存じます。

 

「五島慶太伝」終章より

 

慶太が亡くなったのは、昭和三十四年(1959)八月十四日のことだが、まさにその年その月に発行された「ロンドンタイムス」の記事「世界の代表的人物」に五島慶太が選ばれている。日本人ではただ一人の選出だった。(中略)また、慶太の死を当時の新聞は「巨星墜つ」と表現した。「巨星墜つ」という大きな見出しをつけた読売新聞夕刊をみた当時の小学生が筆者の身近にいる。彼は「五島慶太って、どんな素晴らしい人なのだろう」という感想を持ったそうだ。この『五島慶太伝』を読み終えた君なら、その小学生に「こんなに素晴らしい人物だったんだよ。」と教えてあげられるはずだ。

 

慶太が亡くなった時は、たくさんの方が弔問に訪れ、弔電も山ほど届いたが、そのお悔やみの言葉のなかに、「地球が寂しくなりました」というものがあった。山口県の人からだったという。慶太の影響力がどこまで広がっていたか偲ばれるエピソードだ。「地球が寂しくなった」という表現はまさに、生前の慶太の豊かさ、深さ、大きさを表していると言えよう。

 

五島慶太は、いま、東京都世田谷区九品仏の「浄真寺」に眠る。戒名を「明徳院殿慶愛天道剛徹毅翁大居士」という。とても長く格の高い戒名だが、真ん中に「愛」の一文字が入っていることに注意してほしい。戒名とは「これから仏さまの弟子になります」という意味でつけられる名前だから、寺の住職に名づけを依頼する。最初は「愛」は入っていなかった。「愛」が入っていなくても素晴らしい戒名ではあるが、慶太を慕う人々には物足りなかった。それで、「愛」を入れてほしいと、住職に諄々と話して頼み込み、住職もなるほどと思って入れてくれたのだ。そう依頼した一人は、「五島慶太という方は、強いばかりでなく優しく温かい人だった」と書き残している。

 

終章もそろそろ終えなければならない。これを読んだ君には五島慶太の強さ、賢さ、志の高さ、文化理解と教養の深さ、そして五島慶太が根底にもっていた優しさと温かさ・愛を受け継いでほしい。君の通う学校には建学の精神というものがあるが、これは慶太自身の考えである。(中略)建学の精神を日々、心にとなえて精進してほしい。

 

平成二十四年(2012)、ベトナム政府が東急電鉄とある契約を結んだ。首都ホーチミン市の近郊(ビンズン省)に田園都市をつくるため、ベトナム政府はその計画や建設、運営のパートナーとして田園都市開発では日本で群を抜く実績のある東京急行電鉄を選んだのだ。都市まるごとの輸出ということで大変な話題になった。思えば、この田園都市構想もまた、五島慶太自身のアイデアによるものだ。慶太の思想は没後も世界をかけめぐっているのである。そのことも覚えておいてほしい。

 

いずれにしても「巨星墜つ」だったり「地球が寂しくなった」だったり、そんな表現で送られた人、五島慶太を、夜空に輝く本物の星のように一つの人生の目標として生きていきたいものである。(以上)

 

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2010年11月25日 (木)

第1回海外語学研修(ホームステイ)報告集より その8(完結)

  • 今日の記事は、11月17日の続きです。←11月17日の文字をクリックして、ジャンプしてもらえれば、そこから、順繰りに(その6)→(その1)までたどれるようになっております。
  • この記念すべき「第一回ホームステイ報告集」(1990年実施)からの記事は本日で完結します。ご提供いただいた和田まことさんに心より感謝いたします。ありがとうございました。

bell第1回語学研修(ホームステイ)報告集(その8)horse

1990homestay27photo16 ← 8月15日(水)、さよならパーティ。みんなそろってお世話になったホストファミリーにお礼の歌を送りました。日本情緒をあらわして、ゆかた姿で勢ぞろいです。

1990homestay27photo18← 8月15日(水)、これも、さよならパーティにて。英語を教わったり、いろいろとお世話になったネイティブの先生から「終了証」を授与されました。生徒だけでなく、そのホストファミリーにも「ホームステイホストをやりとげました」という趣旨の「終了証」が発行されます。そういうわけで、生徒もファミリーもともに感激の一瞬です。

1990homestay27photo19← 8月15日(水)、これもさよならパーティ。この語学研修ホームステイをコーディネートしてくださったNPO機関のC.H.I.のBoss、ベティーさんへ感謝の花束を贈呈いたしました。これは引率の進藤、渡辺両先生のお役目。お二人も生徒と同じように浴衣姿ですね。進藤先生は兵児帯、渡辺先生は角帯。帯にも種類があるのですよということをカナダの皆さんに教える心憎い演出ですね。

1990homestay27photo17 ←8月16日(木)、バンクーバーのガスタウン。スティームクロック(蒸気時計・・・水蒸気の力で動く時計)の前にたたずむのは渡辺英雄先生。

1990homestay27photo20← 8月16日(木)スタンレーパークの水族館にて。ティーチャーコーディネーターの先生方といっしょに。※この写真には、このホームステイ報告書を提供くださっている和田まことさんが写っています。

1990homestay27photo21← 8月16日(木)、これもスタンレーパークの水族館。いるかではありません。シャチのショー。ほっぺの白いアクセントマークでシャチだということがわかりますね。

以上です。

次は、時代がずっと下って、2001年のホームステイ報告を掲載する予定です。

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2010年11月17日 (水)

第1回海外語学研修(ホームステイ)報告集より その7

  • この週末か来週初めに35万アクセス(350000)になりそうです。キリバンヒットした方、右のメールボックスからご連絡ください。大倉山高校の封筒で記念品をお送りします。 
  • 11月9日記事の続きです。9日の記事(その6)にジャンプしてもらえれば、そこから、順繰りに(その5)→(その1)までたどれるようになっております。

bell第1回語学研修(ホームステイ)報告集(その7)horse

 この記事は(その1)から全部、32期生和田まことさんのご提供です。

写真につけたキャプションは、もともと報告集につけられているキャプションです。ただ、ところどころ、私の文章を入れたりしてありますことをご了解ください。

キャプション原文は、写真をクリック拡大すれば、お読みになれます。

1990homestay27photo15← 7月31日(火)、リッチモンド市内のミノルパークにて。”美しい花の前で、美女の記念撮影”。

1990homestay27photo11←8月1日(水)、フォートラングレイにて。ブリティッシュコロンビア州発祥の地であるフォートラングレイの古き歴史を学ぶ施設を訪問しました。渡辺進藤両先生の間に立つ女性の服装は18-19世紀の開拓時代の衣装ですね。

 ↑ それにしても両先生も若く、こちらにも「歴史」を感じます(失礼)。

1990homestay27photo12← 8月1日(水)、遊園地にて。みんな、いろいろな乗物にのって満足顔。北アメリカの遊園地は小さくても乗り物が派手ですね。国民性なのか、必ず恐怖のマシーンがあります。それも小さいくせに怖い。私は米国オレゴン州の小さな遊園地のものに、乗ってみましたが、年配になったら乗るしろものではありません(笑)。

1990homestay27photo13← 8月7日(火)、サウスアームパークにて。各々スポーツを楽しめる公園。写真は、テニスを楽しんだ面々、テニスをした後の顔は、みんなさわやか。

1990homestay27photo14← 8月8日(水)、ビクトリアにて。学習センターに利用させてもらっているキリスト教会の旧式バスの中。当日宿泊予定の別の教会へ移動する最中。”ぎゅうぎゅう詰め”のバスの中でも、みんな元気です。日本通勤ラッシュ顔負け状態ですね。それでも、生徒はニコニコ笑顔です。

(まだ続きます)

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2010年11月 9日 (火)

第1回海外語学研修(ホームステイ)報告集より その6

昨日(←クリック)の続きです。私の自前の文章がなくアーカイブ記事になりますが、ご勘弁ください。

第1回海外ホームステイは三週間。今日の写真は、最初の一週間です。

goodいよいよ英会話の授業や市内見学run

1990homestay27photo05←平成2年(1990)7月27日(金)、午前中授業を受ける前。「みんな時間どおりに集まるかな」とは引率の先生の心配の弁。

1990homestay27photo06←7月27日(金)、リッチモンド市内見学に行く前。スタディセンターの礼拝堂前にて。(※スタディセンターはキリスト教会を借りていますので礼拝堂があるわけです。)

1990homestay27photo07←同日、スタディセンターにて、いよいよ英会話授業の開始。どんな授業するのかな?と興味津津。

1990homestay27photo08←同日、スタディセンターにて英会話授業。

1990homestay27photo09←8月1日(水)、遊園地で楽しく遊んだあと、帰りのバスに乗る前のひととき。バンクーバー市内の九裁判所前の広場にて。

1990homestay27photo10←8月2日(木)、バンクーバーの日本料理レストラン(Koji Restaurant)にて。C.H.I(ホームステイのコーディネイト団体)のヘッド、シャーリーさんのご招待。楽しい夕べでした。といっても、これは引率の先生方だけの招待でした。  

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2010年11月 8日 (月)

第1回海外語学研修(ホームステイ)報告集より その5

この記事はシリーズ記事です。前回(その4)→平成22年2月22日の記事をご覧いただきますと、そこから(その1)まで、さかのぼってジャンプできるようにリンクを張ってあります。未読の方はどうぞ、上の2月22日記事をクリックしてください。そこからジャンプしながらお読みください。

  • これは旧姓和田まことさんから提供していただいた(お借りしている)報告集より抜き出して記事にしているものです。あらためて記して感謝申し上げます。

pencil同報告集の写真集ページからpen

↓時間がありませんので、4枚だけ写真をはっておきます。クリック拡大しますとキャプションを読むことができますが、携帯からアクセスの方々のためにキャプションを抜き書きしておきます。

  • 写真が不鮮明なのは、報告集からスキャンしたものではなく、報告集を私がカメラで写したものを掲載しているからです。
  • スキャンすると報告集に折り目をつけてしまうのと、私の今の職場にスキャナーがないためと両方あります。家にはあるのですが、まだセットしていない。まことに情けないIT状況ですね。
  • でも、しっかりと撮影したつもりですので、当時の状況はよくおわかりいただけると思います。モノクロは報告集のままです。

では、どうぞご覧ください。7月27日以後の写真は後日掲載します。

1990homestay27photo01←1990年7月26日(木)、成田空港、出発ロビーにて、出発前の諸注意。

1990homestay27photo02←7月26日(木)、成田よりシアトルへ向かう飛行機内にて。

1990homestay27photo03←7月26日(木)、シアトル空港からカナダへ向かう専用バス内で。

1990homestay27photo04←7月26日(木)スタディセンター講堂にて。全員そろって先生からホームステイ開始にあたっての事前指導を受ける。

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2010年10月13日 (水)

6283

 昨日から今日にかけて、卒業生お二人から連絡がありました。都市大等々力文化祭にお出かけになったり、あるところで私の消息を知ったりして、その報告をしてくださったのです。

 また、10日ほど前にもミニクラス会を開くとの連絡をいただいたりしています。

 同窓会の矢野会長さんや役員の方々とは連絡がわりと密ですが、多くの卒業生の方々とはそう頻繁にはとれませんので、ご連絡があると嬉しく思います。

 49期生徒会長の齋藤さんからの「会長日記」定期便を楽しみにしている方がたくさんいらっしゃるように、卒業生同士の絆の深さを感じることができ、大倉山の力ぞ永久に(とこしえに)という思いをますます強めています。

 昨日、連絡をくださったIさんは、「大倉山好き精神はバッチリ持っています」と言っておられます。

 これからも、皆さんともお元気にお過ごしいただき、いつまでも大倉山高校の五十年を顕彰していきましょう。

 6283名の卒業生みんなが、またやむなく中退された方々もふくめれば、六千数百名にのぼる方々が皆さんとも、大倉山のことを大好きでおられるわけです。その気持ちが続く限り、大倉山は永遠ですし、形をかえ品をかえて生き続けていくと思います。

 ところで、上に卒業生6283名と記しました。これは卒業証書台帳による数字です。

 私は、この「6283」を「むにのやさしさ」と覚えております。

 「無二の優しさ」つまり「二つとない優しさ」ということです。大倉山の卒業生にふさわしい数字であると思っております。

 もちろん、心ならずもやむなく中退なさった方々もおられ、そのなかには私の心に深く刻まれた人も多くおられます。私は、そういう方々が中退されるときに「大倉山高校を卒業学校だと思って、がんばって生きてほしい」といって送り出しました。

 その方々をふくめると6283ではきかないわけですが、しかし、その方々も卒業台帳のまわりをあたたかく包んでおられるという考え方をするならば、私は「6283」という数字が残ったことは象徴的であると考えているのです。

 嗚呼大倉山五十年!

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2010年7月 6日 (火)

折り句「とうよこがくえんおおくらやまこうとうがっこう」

最後の卒業式に向けて折り句を作ったことがありますが、
今日も、「とうよこがくえんおおくらやまこうとうがっこう」を折り句にしてみました。

出来不出来は問わずに(笑)、お読みいただければ嬉しく思います。

※それぞれの句の冒頭を読めば、
 「とうよこがくえんおおくらやまこうとうがっこう」となります。

こしえに 語り継がむ

れしかりし 日々のことごと

ろこびの 日々のことごと

の燃ゆる 思いにふるえ

くしえぬ 熱き心ぞ

るしきことも あればこそ

がたき友と 学びし日々に

と多くの 足跡残せり

お われらが丘の

おくらやまの 乙女らは

ものごとくに ましろき心

しんばんなる

じるし持ちて

っすぐに 歩みすすまむ

れからも 強ききずなと

るみある 瞳をもちて

こしえの 日々へ向かいて

つくしき 心の底に

なしむこころ あればこそ

きせぬ思い 語らむとの

ころあるかぎり おおくらやまは

たい継がれむ 人のこころに

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2010年5月24日 (月)

大倉山幼稚園のこと(大倉山幼稚園卒園生からメール)

mail大倉山高校と大倉山幼稚園の絆loveletter

大変うれしいメールを頂戴しました。大倉山幼稚園を昭和28年に卒園なさった方です。以前にも卒園生からメールを頂戴しましたが(←クリック)、今回の方はまた別の方で、これで私の知る卒園生男性は3人となります。

メールご紹介を承諾していただきましたのでご覧にいれたいと思います。本ブログに掲載することで、「東横学園大倉山の卒業生になったようで嬉しいです」とおっしゃってくださいました。

私どもも、大倉山幼稚園と大倉山高校との絆の強さを感じることができ、大変うれしく存じます。

感謝の気持ちをもって、以下、メール本文をご紹介します。

大倉山幼稚園の昭和28年卒園生です。

偶然、校長日記のブログで大倉山幼稚園のことが紹介されているのを見つけました。

園舎の写真などが大変なつかしく当時の事が思い出され、高野先生と言う名前もおぼろげに浮かんできました。

大変優しい先生で大好きでしたが、入園して最初にお会いした時はびっくりしました。

原爆の被爆によるものだと聞いたように記憶しておりました。

さらに読み進めて高野先生の写真を見つけて驚き、また大変なつかしく拝見しました。

園長の高野先生のお嬢さんであることも、横浜大空襲のことも初めて知りました。(重永注:下記リンク参照)

近くの大綱小学校に入った後に東横学園になったことも覚えており、大倉山学園の事も大変興味深く読ませて頂きました。

有難うございます。

大倉山公園に隣接する龍松院の住職とは、大倉山幼稚園、大綱小学校で同級でした。

小学校のクラス会では幼稚園で同級だった女性とも会いますので、今度、校長日記の話をして思い出を聞いてみたいと思います。

今の日本では教育はより重要性を増しております。

みんなに豊かな生活を目指す明確な希望があった昭和と違って大変でしょうが、校長先生としての現役のお仕事と校長日記ブログを続けて下さい。

                  細村弘義

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2010年3月12日 (金)

昭和51年の航空写真と平成22年2月28日の大倉山高校

  • 昨日、37期の長島さんからメールをいただきました。長島さんについては次の記事をご覧ください。→ 2009年2月9日記事

clock2月28日の大倉山高校camera

二週間も前のことですが、車で大倉山を通りました。学校に立ち寄ってきました。ただし、今回も、急な思いつきで、鍵をあずからないでいきましたので、外からの撮影でご勘弁願います。

1003_0228ookurayama09←正門から体育館正面の通路です。遠くの土手に白梅が咲いているのが見えました。(赤丸部分)。焦点がうまく合わなかったため、拡大してもぼやけています。申し訳ありません。

1003_0228ookurayama10←正門脇の「見上げる時計」。

1003_0228ookurayama011003_0228ookurayama08美術室の裏手すきまからのぞきました。体育館が見えます。もう一枚は、図書室と音楽室の窓です。

1003_0228ookurayama02←書道室の裏。

1003_0228ookurayama03 1003_0228ookurayama04←裏門から調理室をのぞみました。

1003_0228ookurayama05 1003_0228ookurayama07←西館の二階部分です。調理室、放送室、会議室の表札が読み取れます。

1003_0228ookurayama13 1003_0228ookurayama11 ←大倉山商店街を通り抜けていましたら、建物が取り壊されて空き地になっている場所があり、空き地の囲いに何やら写真が貼り付けてありました。車を降りて撮影させてもらいましたが、大倉山地域の「昭和51年の航空写真」でした。白黒でもあり、鮮明ではありませんが、大倉山高校も写っております。

1003_0228ookurayama12←最後の写真中、赤い○で囲みました。昭和51年といえば、私が赴任する一年前。東館校舎を木造から鉄筋コンクリートに立て替えるべく着工した年です。写真をみると、旧木造校舎のように見えますので、着工直前の航空写真かもしれません。

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2010年2月22日 (月)

リッチモンド&第1回海外語学研修(ホームステイ) その4

前回2月17日の続き)

  • カナダバンクーバーで行われている冬季オリンピックは、メダル数こそ少なくても、日本選手団の活躍その他、さまざまな話題を提供しています。この校長日記でとりあげたい話題もあるのですが、お待ちください。
  • 先日から、1990年実施、本校第一回ホームステイ海外語学研修の報告集を掲載しております。このホームステイの舞台となったのが、バンクーバー近郊のリッチモンドという町でした。
    •  
  • そのリッチモンドは、ここ数日オリンピック話題を占めているカーリング日本代表、「チーム青森」が合宿練習をしたところと報道されていました。ますますチーム青森に親しみを感じて応援しております。

それでは、前回2月17日の続きで、渡辺先生のレポートをどうぞ。渡辺レポは本日で完結です。次回以後も、別の記事を写真等をふくめて報告を続けます。

pencil渡辺英雄先生のレポートvol.3shadow

 (ホストファミリーと別れ帰国すべく空港に向かう)バスの中、子供達は沈んでいた。思い出を抱きしめ、寂しさ悲しみを必死で堪えよう(こらえよう)としているかのようであった。

 いつしかそれは疲れに変わっていったようだ。

 ・・・・・・NW007便(ノースウェスト航空)は予定より40分遅れて一時三十分、シアトル空港を離陸した。ここにも別離があった。八月十七日の長い長い一日であった。

 ・・・・・・翌八月十八日、39名の子供達と我々引率者2名は成田空港へ帰ってきた。そこは、さかのぼること三週間前の七月二十六日、見送ってくれる人に手を振って夢と希望そして不安を乗せて飛び立った空港と同じ場所であった。

 出迎えの人に手を振る。お辞儀をする。「ただいま」の声がこだまする。

 生徒39名、引率者2名、合計41名、唯今帰りました。

 -あとがき-

 平成二年一月五日に、カナダホームステイの見積書が出されてから、ホームステイ記念集の編集にとりかかっている今は、もう十一月中旬である。編集が終わるのが十二月中旬になることは間違いない。

 実にまる一年の仕事となった。生徒たちのために新しい企画をたててから成功させるまでの期間として長いのか短いのかわからないが、まことに感慨深い一年間であることは疑いない。これがホームステイ記念集の一頁を埋めるに当たっての私の実感である。

 一月五日からのこの一年間、事前の参加希望アンケート調査、選抜面接、諸々の打合せ、五回にわたる説明会等々を実施してきた。

 そして、留学業者が私たちの東横学園大倉山校等学校カナダ語学研修旅行団につけたホームステイコード番号は「T-45」。この「T-45」が出発したのが七月二十六日。計画から実施までに6ヶ月以上を費やしたことになる。

 八月十八日に帰国してからも、我々の報告会は、まず職員会議における帰国報告、希望参加者に対するスライド報告会、学園祭における報告と紹介と回数を重ねた。

 さらには、あるホストファミリーが来日してくれ感動の再会を果たしたり、カナダのホームステイ団体であるCHIのヘッドのシャリーさんとその母君が本校を訪問されたため全校生で歓迎するというサプライズが起きたりもした。

 それらのことを終えて、十一月中旬の今、ホームステイ記念集の編集にとりかかっているのであり、感慨を覚えてしまう私の気持ちを本校の皆さんは分かっていただけることと思う。

 さて、もう実施済みとなってしまった第一回海外研修の成果は如何。

  1. スタッフに恵まれ貴重な異文化体験を掛け値抜きに満喫できた
  2. カナダ、特にリッチモンドという町はホームステイの場所としては本当に安全な場所であった
  3. 24日間という旅程期間は長すぎるでも短すぎるでもなく実に適切な期間であったといえる。

 願わくば、次のようなことがなければ、なお良かったには違いない。

  1. ホストファミリーとホームステイ予定の食い違い
  2. 急なる引越しのために生じた少々の混乱
  3. 誤解や文化習慣の違いからくるトラブル
  4. 生活環境の違いからくる肉体的精神的苦痛

 しかし、それも考えてみれば、海外研修の貴重な体験の一つである。長期にわたってホストファミリーと「一つ屋根で暮らす」のだから、それらがないほうがおかしい。全てが経験であり、受けとる側の姿勢が一番大切かと思う。

 より素晴らしきホームステイに向けて、さらなる努力を惜しまずにやっていきたいと思う。皆様のご協力をお願い申し上げます。            (完)

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