2013年2月 7日 (木)

ライポンF物語その後

平成20年(2008)5月17日記事で「魚谷先生の『ライポンF物語』」という記事を書きました。覚えておられる方もいらっしゃると思います。

その前に(同年5月13日)、小学生のころ私がライポンFで野菜を洗って味噌汁をつくって、親に叱られたという話を書いたのに対して、魚谷先生が寄せてくださった話を記事にしたものです。上にリンクをはりましたので、未読の方はご覧ください。

その「ライポンF物語」について、このたび、魚谷先生からまた、次のようなメールを頂戴し、さらにはライオン株式会社のお客様センターにお問い合わせいただき、同センターの回答を私にも教えてくださいました。

以下ご紹介いたします。小学生の私がライポンFで洗ったのは間違いではなく、すすぎが不十分だったのが間違いだったということが分かりました。ほっとしております・・・いやいやすすぎ不十分につき十分「有罪」です(笑)。

魚谷先生のメール

2日ほど前、どのTV局か記憶にないのですが、

世代間の違いのような番組を放映しておりました。

その中で、ライポンーF の話がでてまいりましたので、

ご覧になっていらしたかもしれませんが、

ちょっとお知らせしようと思いました。

ー 日本に欧米型の食事が入ってきて、(何年ごろかはききもらしました)

それまで野菜といえば、煮物中心だった食事が、

サラダを取り入れるようになったそうです。

その頃はまだ、野菜に回虫がいる時代でしたので、

厚生省がライオン株式会社に、野菜を洗え、

回虫を取り除く洗剤の製造を依頼して、できたのが

ライポンーF だそうです。ー

(出演者ータレントさんたちですが)

一同びっくりしていました。

今の洗剤と比べて、本当に安全かどうかまでは

放映していませんでしたが。
 
ライオンに聞いてみたい気もいたしますね。

ではまた。

どうぞ、かぜをめされませんように。

 「聞いてみたい気も・・・」と書かれたとおり、聞いてくださいました。

 ライポンFのライオン株式会社お客様センターの回答は次のようだったそうです。

平素はライオン製品をご愛用いただきまして、ありがとうございます。

 お問い合わせいただきました「台所用洗剤」の件ですが、表示にある使用方法は従来品とほとんど変わっておらず、従来からすすぎは必要でした。

しかし、食文化の洋風化や台所洗剤の濃縮化、コンパクト化などによって、洗剤へのニーズが変化し、つけおき洗いから、直接スポンジにつけて洗う方法へと変わり、以前よりも泡もちのよさが重要視されるようになりました。

また、従来はすすぎがそれほど必要ない汚れだったものが、油ものが増え洗剤量が多くなる傾向がある点も要因の1つかもしれません。

 以上、お返事申し上げます。今後とも弊社製品を宜しくお願い致します。

 以上です。魚谷先生、ありがとうございました。

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2012年9月 7日 (金)

カメラマン高橋さんよりメール

大倉山高校が、卒業アルバム編集や修学旅行写真撮影同行などで日頃からお世話になった高橋さんからメールを頂戴しました。大変おなつかしいですね。

提携していた業者さんたちからも愛された大倉山高校を永遠の誇りにしたいと思います。

本校に咲いていたブラシの木をいまお隣の家で育てていただいているとのこと、高橋さん、ありがとうございます。

それではメールをお読みください。

ご無沙汰しております。

すみれ写真工房の高橋です。

佐野先生本当にお疲れ様です。

そして明美先生おめでとうございます。

私も階段はきつかったですが大倉山高校と先生方が大好きでした。

あの想い出のブラシの木、ふさふさの真っ赤な花が今でも印象に残っております。

以前、学園祭で買い求めたブラシの木の苗木が今我が家の隣の家の庭で咲き誇っております。

又機会が有ればぜひ皆様にお目にかかり当時の思い出話が出来ればと思います。

残暑厳しき折も名様のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。




すみれ写真工房 高橋

    ↑(重永注:すみれ写真工房HPをリンクしています。文字をクリックしてください)

↓ 高橋さんのメールに出てくる大倉山高校に合った「ブラシの木」を掲載しておきます。

その1

20120907saikei070508matubagiku_bura

↓ 上の写真を掲載した校長日記の記事です

http://okurayama.way-nifty.com/kocho/2007/05/post_2014.html

その2

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 ↓ 上の写真を掲載した校長日記の記事です

http://okurayama.way-nifty.com/kocho/2007/05/post_9916.html

その3

20120907saikei080520_0517ookurayama

 ↓ 上の写真を掲載した校長日記の記事です

http://okurayama.way-nifty.com/kocho/2008/05/post_bdd4.html

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2012年8月 3日 (金)

佐野先生と大倉山

お知らせです。

佐野先生が、本校の後身である等々力中高を退職されたことは(後任教頭には古川明美先生)すでにご連絡しましたが、このたび、大倉山四丁目に転居されたそうです。

佐野先生が大倉山高校を愛されていたのはもちろんですが、大倉山という地域そのものに深い愛着を感じて生活されていたことは「知る人ぞ知る」ことがらです。

熊野神社の宮司さんをはじめいろいろなお店の方々、お寺のご住職、そして多くの大倉山の地域の人々と深い交流がある佐野先生です。

それだけに退職後の「終の棲家(ついのすみか)」として大倉山を選ばれ、大倉山高校移転統合後の大倉山を見守る気持ちになられたのは当然だと私には受け止められます。

話は変わりますが、本校は「神奈川私学東部フェスタ」の幹事校として長年、私学の隆盛および本校の発展のために尽くしました。諸事情から等々力の地に移転統合とはなりましたが、本校の尽力は、多くの神奈川私学関係者から感謝されています。

その東部フェスタの方々と先日お話する機会があって、佐野先生の大倉山転居のことを伝えましたら、ぜひとも大倉山で会おうという話になりました。そのことは単に佐野先生だけのことではなく、本校として東部フェスタにおいて信頼が厚かったことを示しているものです。

本校が東部フェスタにおいて信頼を得ていたことなどから、「東横学園大倉山高等学校」の存在、また都市大等々力発展の要となっているということが神奈川私学の皆さんの胸に末永く残るだろうことを、私は心の底から確信できています。それは同時に生徒の皆さんの真摯な努力の賜物でありますので、あらためて、ここで卒業生の皆さんに敬意を表したいと存じます。

佐野先生の大倉山への愛着と地域交流についてお話しながら、話を大倉山高校の大きな存在意義にまで発展させましたが、今後、大倉山記念館で同窓会の会議を開かれるときには佐野先生も出席できると思います。

以上、お知らせ申し上げます。

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2012年5月22日 (火)

金環食の奇麗な写真(船戸先生提供)

都市大付属中高が提携しているカメラマンの方が撮影したものだそうです。

「ご自由に」ということだそうですので、掲載させていただきます。クリックして拡大してご覧ください。

Kinkansyokubyhunatosensei

さすがはプロカメラマンの腕前ですね。実に美しいですね。

ちなみに、私の失敗作を付属小「先生ブログ」にアップしましたので、ご覧ください。

    ↓ クリックしてください。

http://tcu-elementary.ed.jp/blog/2012/05/post-328.html

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2012年5月11日 (金)

佐野先生からのごあいさつ

もっと早くお知らせするべきニュースを皆様にお知らせしておりませんでした。

お詫びしつつ、本日ご報告申し上げます。

 佐野先生から自筆をふくめていただいた挨拶状を掲載致します。

 ↓ クリックして拡大するとお読みいただけます。

Photo

 ご覧いただいたように佐野先生が都市大等々力の教頭先生を有終の美として教職生活にピリオドを打たれました。

 佐野先生は、大卒後、二年間の非常勤講師の経験を積まれてから、昭和49年(1974)に本校に赴任されました。爾来、34年間、本校にお勤めになり、東横学園両校統合にあたって東横中高教頭に就任されました。

 そして東横改革ー都市大等々力としての再生に、先頭に立って尽力されました。

 合わせて40年間の教職生活でした。この間、「神奈川県高校教育書道の佐野」の名前をほしいままにされ、34年間の大倉山書道教師として、20回を超える県知事賞、4回におよぶ全国大会出品の栄誉に輝いた生徒を育てられました。

 都市大等々力が本校の後身として力強く前進しているのは、佐野教頭の力もあればこそです。卒業生の皆さん、誇らしく思っていただければと存じます。

 佐野先生、長い間、生徒を大きく育ててこられ、まことにお疲れさまでした。

 そして、本校の後身として、本校卒業生の母校たる都市大等々力の改革にご尽力いただき、まことにありがとうございました。

 佐野先生のご退任はまことに寂しいかぎりですが、しかし、その後任教頭に本校から等々力に移った古川明美先生が就任されましたことは喜ばしいことです。佐野先生も「明美先生が後任なので心おきなく退職できた」とおっしゃっています。

 明美先生は大倉山出身だから教頭になったというのではなく、もちろん、その生徒・生活指導力が群を抜いていることや生徒・教師・保護者の人望をえて教頭に推挙されたわけです。

 明美先生のご功績と期待度が買われての就任ではありますが、同時に、私どもは、佐野教頭ー古川明美教頭と二代つづけて大倉山から都市大等々力の教頭先生が輩出したことを誇りに思って良いと思います。

 以上、ご報告申し上げます。

 

 

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2011年11月20日 (日)

故山口勤先生のこと(追悼記事)

山口先生が亡くなってからもう二週間ほどになります。

享年77でいらっしゃいました。喜寿の年でいらっしゃったわけですね。

まだまだ米寿、卒寿と長生きしていただきたかったと思います。

闘病生活4年でいらっしゃったのですが、山歩きが大好きで、退職後はスイスのマッターホルンに4回も行かれるほどでした。もっともっと行かれたかったでしょうに、大変残念なことでした。

山口先生は最初の赴任が私立芝中高でしたが、20代後半で本校に赴任され、ワンダーフォーゲル部などを作られたのをはじめ、本校のアウトドア系教育プログラムの開発に力を尽くされました。

足が長く、陸上競技が専門で、先生が高校生のとき「高校陸上記録会(放送陸上)」において、全国第二位の記録をもっておられました。100m走が11秒2ですから大変な記録です。

体育祭などの折りに、その走りを生徒の皆さんにご覧に入れられることがありましたが、生徒のあいだからはため息にもにた喚声がわいたものです。

私が山口先生のご指導をうけて本校で働き始めたのは1977(昭和52)年です。そのとき山口先生は1年生の学年主任で私は副担任としてご指導をうけました。

スキー教室もご一緒させていただきました、スキーが華麗で上手なのは山口先生が一番だというのが当時の教職員の評判でした。

また長年水泳部の顧問をされ、部員から大変好かれていたことも思い出されます。

その1977年の一年生の卒業アルバムから、山口先生ゆかりの写真を、以下に掲載して、先生のありし日をしのびたいと思います。クリックして拡大してご覧になってください。

     ↓

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2011年11月14日 (月)

故山口先生が見慣れていらっしゃった風景

お約束しながら、故山口先生の追悼記事をものすることができておらず、大変申し訳なく存じます。もうすこしお待ちください。

昨日、先生のお宅に寄らせていただき、ご霊前にぬかづいてまいりました。

その帰り、散歩好きの山口先生がいつも通っておられただろうと思われる近所の公園を撮影してきました。桜の葉っぱが色づいていました。

 ↓ クリックして拡大してください。

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2011年6月 6日 (月)

先生方第二弾@付属中の体育祭

日曜日は都市大付属中学の運動会でした。

高校の先生方は勤務免除の日でしたので、大倉山出身の先生方全員には会えませんでしたが、加藤先生に会うことができました。

 ↓

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井上先生も運動会責任者として本部に詰めっきりでした。

 ↓

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きょうは短い記事ですが、ご報告まで。

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2011年6月 4日 (土)

運動会の先生たち/卒業生

きょうは本校の後身、都市大等々力(女子部)の運動会でした。

大倉山出身の先生方に会えましたので、ご覧ください。

ただ、撮影サイズを小さいまま写してしまいました。申し訳ないです。

↓ 佐野先生の揮毫による看板。

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↓森先生と樋口先生。

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↓ 教職員競技に森先生が出場されました。選抜なので他の先生方の出場はなしです。

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↓ 坂本先生。

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↓ 進藤先生、佐野先生、古川明美先生。もう一人の方は副校長先生ですが、通りすがりのとことせっかくですので入ってもらいました。

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※大谷先生には会うことができず、撮影できませんでした。

ところが、等々力から小学校にもどってくると、井上先生が小学校を出入りしているではありませんか。そういえば、明日の日曜日(5日)、都市大付属中高の体育祭なのです。小学校のテントなどを貸すことにしているので、それを運ぶために体育祭責任者の井上先生が働いておられるというわけです。

そして、実は、今日、大倉山高校の卒業生(2×期生)が私を訪ねて来てくれることになっていて、私が戻るより先に小学校に着いていたので、いっしょにカメラにおさまってもらいました。

↓ その写真です。付属小の事務長さんも大倉山卒業生なのでいっしょに写ってもらいました。

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2011年3月18日 (金)

魚谷先生がコメントをくださいました。

お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、魚谷先生が生徒会長日記にコメントをくださいました。↓ クリックしてお読みください。

http://okurayama.way-nifty.com/kocho/2011/03/49vol56-4e9d.html#comments

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