2007年5月17日 (木)

カンボジア校舎贈呈式派遣生徒決定!(執筆:樋口)

Photo_5 8月24日に行われるターナッ小学校校舎贈呈式に派遣する生徒が決まりました。当初、派遣生徒の定員は2名と考えておりましたが、応募期限までに卒業生・在校生を含め3名の応募があり、選考の結果、応募者全員を派遣することと致しました。(右写真は、現在の建設状況。床施行へ移行しました。)

Photm6 派遣生徒は、平成18年度卒業生の荒川真実さん、現3年生の荻原沙紀さん石渡翠です。3名とも真剣な気持ちで参加を希望していることが、各人の書いた参加希望理由書の文面から読みとれました。それが、今回派遣生徒枠を増やしてまで3名とも連れて行こうと考えた理由です。以下、その希望理由をご紹介します。

Photm14  私は、世界には学校に行かれない子供や、生活の為に働いている子供が多い事をテレビ等で知りました。豊かな日本で生活している私は、小学校・中学校と自分の好きな事に夢中になり、海外の貧しい国の子供達がどんな生活をしているのか知りませんでした。
 大倉山高校に入学して、初めてボランティアにも参加し、世の中には人の手を必要としている人々が多い事を知りました。人と人との助け合いがとても大切な事と思うようになり、将来を決めました。
Photm2 そんな時、JHPの小山内さんの話を聞きました。“できる事から始めよう”と10年、ボロボロになったカンボジアに学校を作りたいと思ったそうです。いろんな所から、人から協力をもらいつつ沢山の仲間も増えたとお話しされました。そして「カメラを向ければすごく良い笑顔をするんだよね。」ともおっしゃいました。
 辛い歴史の中で、豊かだった生活も、伝統もなくなり、ゴミ山で生活する子供や、地雷で手足をなくした子供がいる事も知りました。あまりの環境の違いにショックを受けました。
 自分達の母校が統合する事がなければ、そして後援会で、カンボジアに学校をつくるという事が企画されなければ、私の中でカンボジアに注目する事はなかったと思います。
 カンボジアの子供の為に学校をつくる…しかも大倉山校を!! 聞いた時は本当に驚きました。今は、JHPの協力で実現する事にワクワクしています。
Photm5 物質的にも、経済的にも豊かではない国に、子供達の笑顔はかけがえのないものだと思います。又、学校生活は夢につながる第一歩だと思います。そして心も豊かになるのでは無いかと思います。
 将来を担う子供達の為に、私に何ができるだろうか。夢を現実にするお手伝いとは何か。その為に現地に行って実際に子供達に触れる機会を持ってみたいと思いました。
 以上が私の参加の動機です。(荒川さん

      *  *  *

Photm1  私は、小学校の教員や幼稚園の教諭のような子供達と関わる職業に就くことが将来の目標です。また、最近では、カンボジアやアフリカなどのまだ子供達が充分に学校で教育を受けることのできていない国でのボランティア活動にも興味を持っています。そのために今、私ができることは、多くの子供と接したり、今現在の教育の状況を少しでも多く学んだり、まだ子供達が充分に教育を受ける事ができない国を実際に自分の目で見る事だと思います。
Photm4  この募集に応募したのは私にとって絶好の機会だと思ったからです。そして、現地(カンボジア)へ行き、教育の状況を自分の目で見て、子供とふれあうことは、私のこれからの目標に生かせると思い、応募しました。(荻原さん

      *  *  *

Photm3  私がなぜ今回カンボジアに行くことを希望したかというと、国際協力にとても興味を持っていて、ぜひ現地で何かお手伝いができたらいいなと思ったからです。
 私が初めて自分の国が本当に恵まれていて、その環境の中でどれだけ自分が幸せに生きているのかを知ったのは、ごく最近のことでした。自分がすごく恵まれているということは頭で知っていても実感することは、滅多にないことだと思います。でも、大切なことですし、忘れてはいけないことです。
 もしも、私がカンボジアに行くことで、東横のみんなに日本の現状を理解し、そのことを実感してもらえたらすごく嬉しいです。
Photm9 でも少し恐いという気持ちもあります。カンボジアは未だに撤去されていない地雷が多いからです。自分にあたるのが恐いのではなく、地雷のマークを見たとき、また地雷の被害に遭った子を見た時、私はその状況を受け入れられるのかすごく不安です。でも、目を背けてはいけないことだし、その時感じたことや思ったことを友達や家族にいっぱい話せたら…と思っています。
 もしも行けたとしたら、自分のできることを精一杯したいと思います。(石渡さん

Photm8_1私は、サン=テグジュペリが砂漠の真ん中で「星のかけら」を発見したという話を、先月の全校朝会でしました。砂漠での遭難において最も必要なのは水であり、食糧であり、自分を捜索する飛行機に違いありません。しかし、彼が見つけたのは自分が生き残るためには何の役にも立たない小さな石ころ(隕石)でした。

けれども、この隕石との出会いのおかげで、彼は天地の間に息づく生命の不思議や、宇宙の雄大さを夢想することができ、迫り来る死の恐怖から解き放たれたのです。逆境やピンチのときに得られる「本当に素敵なもの」とは、そういう状況で人が得てして必要だと思ってしまう現実的な望みとは全くかけ離れたものであるようです。

Photm13 本校にとっても同じことが言えるのだと思います。われわれに必要なのは水でもパンでもなく、「星のかけら」なのではないでしょうか。この旅行を通して、彼女たちに「星のかけら」を見つけてもらいたい、それを本校の在校生・卒業生に伝えて欲しい、そう強く願っています。(樋口)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 2日 (月)

カンボジアへ贈る絵本の紹介(執筆:樋口)

Photl4先日の私の記事に書いたクメール語の絵本について、簡単にご紹介しておきます。絵本の翻訳シールについては、SVA(シャンティ国際ボランティア会)というNGO団体が、すでにキットになったものを用意してくれています。

Photl1それを利用すると、例えば左の写真のような感じになります。これは「スイミー」です。もとになっている本は、日本語で書かれた絵本でした。それにクメール語の文字やセリフの書かれたシールを貼り付けます。(ただし、左の写真で貼られているシールは、クメール語ではなくラオス語になっています。この本は、見本用にと細野先生が自費で購入してくれたものです。)

Photl2Photl3こんな感じで、あっという間に現地語の絵本に大変身です。ただシールを貼れば良いだけなので、このくらいの作業なら、絵本1冊を一人でやっても、ものの5~10分で仕上げられるでしょう。

Photl5絵本の最後には、こんな風に絵本づくりを担当した生徒の名前を、現地の文字に直して紹介します。余白には自分のプリクラなどを貼ってもよいでしょう。絵本をもらう子どもも、このお姉ちゃんがプレゼントしてくれたんだ、とわかります。

Photh17_5このキットを利用すると、約10万円で50冊の絵本が用意できます。その他に絵本を置く本棚も購入できればと思っています。そのための資金を何とかして集めたいと思います。どうか、ご支援・ご協力をよろしくお願いします。(樋口)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月31日 (土)

カンボジア視察旅行を終えて・・・/学校建設進捗状況と寄付のお願い(執筆:樋口)

Photh4_2カンボジア視察旅行を終えてから、すでに1ヶ月半が過ぎました。しかし、今でも私の心の中のどこか一部は、まだカンボジアに留まっている、そんな気持ちがしています。様々な印象深い出来事や光景に出会いましたが、特に心に残っているのは、昨日の記事に書いた「幸せの子どもの家」での出来事です。
Photj17_1
”Valentines day ♡ May you give me a _ !” この空欄には、ふつうなら ”chocolate” や ”flower” などの言葉が入るのでしょう。けれども、あの親子の姿を見たあとには、ここに入るべき言葉は”LOVE”以外にはないと感じました。実際われわれは皆、チョコレートや花束そのものが欲しいのではなく、それらを通して「愛情」を欲しているのです。
Photf19_1大倉山高校の50周年記念として、カンボジアに学校を建てるということが決まった時、ひょっとすると「なぜそんな遠くの国の関係のない子どものためにお金を使わなければならないのか。むしろ今この学校にいる生徒のために少しでも使えないのか。」そう思った方もいたかも知れません。けれども私はこういうお金の使い方の方が、生徒のためにする使い方としては、最善の方法だと思っています。私は生徒に「物」そのものをプレゼントするのではなく、「物」を通して手にすることのできるメッセージをプレゼントしたいと思います。
Photg6_2カンボジア社会は、これまでの記事に書いた通り、厳しい格差社会です。プノンペン市内では裕福な階級の子弟が、高価な携帯電話を片手にバイクに跨がり、恋人のために花束を買っています。その一方で、貧困のために離ればなれに暮らさなければならない親子がその瞬間にも生まれています。両者はすぐ近くに存在しながら、その間は信じられないくらい遠いのです。その溝を作っているのは、「無関心」という名の心の空洞です。遠いか近いか、そんなことは何も関係ないのです。
Photk1実は私たちも、プノンペンの裕福な人々と、そう変わりはありません。私だけは違うと胸を張って言える人など、誰一人居ないのです。私たちの身の回りにも、そういうたくさんの溝が存在しています。私たち自身、ふだんは自分のことばかりに精一杯で、「無関心」の海に溺れています。
Photj20けれどもそれは、なんと息の詰まることでしょう。自分のことだけに精一杯になり過ぎると、不思議なことに、まるで自分ばかりが割を食って不幸のような気がします。誰も自分を正当に評価してくれず、本来得るべき物を得られない、そんな不平不満で満たされます。でも、そんな時こそ、カンボジアの子ども達の無邪気な笑顔を想像してみて下さい。彼らの高らかな笑い声は、どんなに暗い気持ちも振り払ってくれます。
Photi21_2おそらくは、すべて次の言葉に集約されているのです。これはユダヤ人の古い格言です。「他人を幸せにするということは、香水を振りかけるようなものだ。振りかけるとき、自分にも数滴はかかる。」
以上で、私のカンボジア視察旅行記を終わりにしたいと思います。これまで読んでいただき、ありがとうございました。(樋口)

【ターナッ小学校新校舎建設資金(450万円)の使用明細】
 1.校舎(1棟4教室)・トイレ(1棟3室)の建設費…25,600ドル
 2.校舎内備品(机、椅子、黒板等) …2,900ドル
 3.井戸建設費…1,500ドル
 4.調査・管理費(上記計の20%)…6,000ドル
 5.贈呈品購入費・贈呈式補助費…500ドル
Photo_1   合計:36,500ドル
   =日本円換算:4,489,500円
   (1ドル=123円換算※送金手数料込)

【学校建設の進捗状況と予定】
Photo 3月 2日   建設会社との契約
 3月12日   学校関係者・地域住民との建設前ミーティング(右写真)
 3月20日前後 着工(建設中は、JHPによる月1〜2回の現地状況視察を実施)
 6月末日まで①校舎名の決定
         ②ドナー名(英語表記)の決定
         ③贈呈式の際のスピーチ原稿提出
 7月下旬ごろ 工事完了
 8月24日   贈呈式(現在、その前後3〜4泊の派遣旅行の日程を検討中)

【ご寄付のお願い】
ターナッ小学校は、まだまだ教育資材が不足しています。子ども達の読む本などは全くない状況です。そこで、英語の絵本を購入し、そこにクメール語に翻訳したシールを貼って、子ども達に贈りたいと考えています。そのための費用を皆様からご寄付いただきたいと考えております。ご賛同いただける方は、ぜひ下記口座までご寄付下さい。よろしくお願いいたします。(樋口)
  横浜銀行 大倉山支店 普通1486343
  名義:東横学園大倉山高等学校後援会

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月30日 (金)

幸せの子どもの家(執筆:樋口)

Photj1「幸せの子どもの家(CCH:Center for Children to Happiness)」に到着しました。ここは、JHP・学校をつくる会が建設・管理している児童養護施設です。当初は孤児院としてスタートし、地雷やエイズによって親を亡くした孤児たちを預かっていましたが、現在では虐待や貧困による親の育児放棄によって捨て子となった子ども達も入居しているそうです。

Photj3_3ここに到着するなり、日本人スタッフのハルさんは、子ども達から熱烈な歓迎を受けます。ここの子ども達にとって、ハルさんは家族同然であり、甘えられる優しいお姉さんのような存在なのでしょう。右の写真なPhotj2どは、とても素敵な一枚だと思います。抱き合う二人の姿がまるでハートを形作っているようですね。左の写真の赤いTシャツの子がソックリー(6年生)、右のオレンジのTシャツがスレイナ(6年生)、右の写真ピンクのTシャツはスレイパオ(中学1年生)です。

Photj4Photj7 カンボジアの小学校は二部制ですので、学校のない午前か午後の時間は、こうして施設内で学校の宿題をしたり、補習をしたりします。壁にはかけ算の九九が書かれたりしています。

Photj6Photj5また、驚いたことには、ここでは算数やクメール語の勉強の他にも、英語や日本語の勉強も施しています。壁には九九の他にも、英語と日本語の対応表がところせましと貼られています。(右側の写真をよく見ると、車のバッテリーが置いてあるすぐ上の壁に「きょういく=Education」「ぶんか=Culture」と書かれています。そのミスマッチが何となくカンボジアらしくてほほえましく感じました。)

Photj9_2Photj10_1ここに飼われている二匹の犬が、見知らぬ訪問者を警戒して吠え立てます。その臆病者の犬を抱きかかえてこちらを向いている左側の子はサンボル(6年生)、その隣はこの施設の所長であるソカさんの息子さんだそうです。彼らに私が英語で挨拶すると、ごく自然に”Nice to meet you.”と返答してくれました。英語の勉強がきちんと身についている何よりの証拠です。

Photj8

この子は、ソティアン(4年生)です。自分が描いた絵をみんなに見せたくて走りまわって大騒ぎしていました。その愛嬌たっぷりの様子に思わず写真を一枚撮らせてもらました。すると、彼女は日本語で「ありがと」と一言お礼を言ってくれました。こんな小さなうちから英語や日本語を学び、身につけている彼女たちは、母国語であるクメール語の読み書きもままならない地方の子ども達と比べると、本当に幸せだとつくづく思いました。彼女たちが立派な知識人となって、この国の将来を支え、牽引してくれたら、どんなにか素晴らしいだろう、そんな想像さえ巡らせてしまいます。

Photj11Photj15この建物の離れには防音設備のある音楽室もあって、中では子ども達がバンドを組んで練習しています。音楽室には立派なドラムやオルガンが揃っています。また、建物の二階は子ども達の遊び場になっており、二階へ上る階段の壁には子ども達の描いた絵がたくさん飾られていました。

Photj13Photj12二階の遊び場は広いフロアになっていて、たくさんの絵本やおもちゃがあります。(右の写真の棚には「贈 吉行和子」の文字が刻まれています。)ここは、何から何まで本当に恵まれている。まさに子ども達にとって「幸せ」の家だ、素直にそう思わせます。

Photj16_2しかし、私がそういう感慨に耽っているちょうどその時、階下では私のそんな安易な感慨を暗転させるような、ちょっとした出来事が起きていたのです。それは、あるお母さんが二人の子どもを連れてやって来て、この施設で子どもを預かって欲しいと訴えているのでした。

Photj17「今まではウエイトレスの仕事をしながら自分一人の力で二人の子を養っていたけれども、足を悪くしてからは満足に仕事ができず、自分の力だけでは子どもを育てるのは難しい。」お母さんは泣きながら、その窮状を訴えます。思い悩んだ上の決断なのでしょう。貧しさのために親子が一緒に暮らすことすらできない。母親には如何ともしがたい現実です。子ども達は、突然我が身に起こったこの出来事に対して、どこまで理解できているのか、茫然とするしかない様子です。

Photj18そうです。ここは、子ども達にとって全くの「幸せ」の家であるはずがないのです。子ども達は皆、何らかの悲しい家族との別れを経験して、ここに居るのです。屈託のない笑顔ではしゃぐここの子ども達は、皆このような傷を心に負っているのです。私は正直、このお母さんと二人の子どもにカメラを向けることを躊躇しました。ところが、この施設のある男の子が私の袖口を引っ張って、彼らを指さしながらはっきりとこう言うのです。”Take pictures, please.”私はその言葉に励まされてカメラを向けたのでした。

Photj19折しも、今日はバレンタインデーです。プノンペン市内では若いカップルが花束をプレゼントし合うこの幸せな日に、一方で市内からさほど遠くない場所でこんなにも切ない出来事が起こっている。これがカンボジアの現実です。「幸せの子ども達の家」二階の遊び場にあるホワイトボードには、きっと子ども達が書いたのでしょう、次のような文字が書かれていました。”Valentines day ♡ May you give me a _ !”(バレンタインデー ♡ あなたから _ がもらえますように。)この空欄に入れる文字は何であるべきか。簡単な質問であるはずなのに、なぜか私には難問のように思えてしまう、そんな一日でした。(樋口)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月29日 (木)

キリングフィールドにて (執筆:樋口)

※最初にお断りしておきます。本日は、文章が随分長くなってしまいました。けれども、最後まで読んでいただけると大変ありがたいです。(樋口)

Photi13左の写真は、「JHP・学校をつくる会」プノンペン事務所で撮影した一枚です。私がカンボジア滞在中にお世話になったカンボジア人現地スタッフの方々です。向かって左のサコーンさんと右のパリーさんは、以前の記事ですでに紹介済みですね。中央の方はバン・ラスさんといって、滞在3日目にパリーさんと交替して私に同行してくれました。本来は、サコーンさんも別のもう一人の現地人スタッフの方と交替予定でしたが、その方がお腹を壊して自宅療養中とのことで、急遽続投で3日目も同行してくれました。(現地日本人スタッフの方の談によると「昨日は朝からトイレに籠もって、とっても辛そうでした・・・。」とのこと。当然ですが、現地の方もお腹を壊すのですね。くれぐれも、食べ物や生水にはご注意を。)

Photi23

ということで、3日目は古川さん、サコーンさん、ラスさんと共にプノンペン市内を廻りました。左の写真は、市内で最も大きな市場です。体感気温30度以上の炎天下の中、客を呼び込む様子は、まさにアジア独特の熱気を感じます。ここでは、「こんにちわー」「安いよー」など、日本語で呼び込む売り子さんもいます。

Photi6_1Photi7右の写真は、上とは別の市場で撮ったものです。市場の内部は薄暗い迷路のようで、一度入ると迷子になりそうです。様々な食材が並ぶ様子に圧倒されます。右の写真の吊されているものは、確か魚の卵か白子かを干したものだったと思います。何の魚だか忘れてしまいましたが、とても高級な食材だそうです。

Photi17_1 さて、このカンボジア視察の間には日程の都合もあり、ほとんど観光をしなかったのですが、唯一、上記の市場めぐりと、キリングフィールドへ行くことができました。キリングフィールドとは文字通り”KILLING FIELDS”(虐殺の野)のことで、ポルポト政権下の大量虐殺で殺された人々の死体が捨てられた場所です。この名前は1984年に上映されたアメリカの映画”THE KILLING FIELDS”に由来します。(この映画は、カンボジア内戦のリポートでピューリッツァー賞を受賞した、ニューヨークタイムズ記者シドニー・シャンバーグの実体験が基になっています。)実際の「キリングフィールド」はカンボジア各地にあるそうですが、きちんとした慰霊塔が建ってPhoti18いるこの場所を指すことが多いようです。

慰霊塔は意外と大きい建物です。驚いたことに、この慰霊塔の内部には、優に数百を超す数の頭蓋骨が安置されていました。よく見ると頭部に穴のあいたものもあります。恐らくは殺される時に剣や銃によってつくられたものなのでしょう。

Photi19_1

これらの頭蓋骨は、この場所から発掘されたものです。左の写真は、発掘した場所の跡です。ここに埋められた遺骨は、まだ全て掘り起こされてはいないそうです。そのあまりの数の多さに、発掘は途中で断念されているのだそうです。

以前の記事でも書きましたが、ポルポト政権は政治的反対者を厳しく弾圧し、1976~79年の間に200万人とも300万人とも言われる大量虐殺を行いました。その多くが、知識人階層の人々です。

現在、この国には大別して3つの階層がいます。すなわち、官僚、中間知識階層、そして農民・職人階層です。官僚は、最も裕福な階層です。中間知識階層は、大量虐殺の影響で現在も少数派です。農民・職人階層は、教育も十分でなく、極めて貧しい生活を送っています。カンボジアの将来を考えると、その力が最も必要となるのは中間知識階層だと思います。しかし、その知識層は今就職難に喘いでいます。働くべき受け皿が無いのです。そういう意味で海外から来るNGO団体は、彼らにとっての一つの受け皿となっています。冒頭に紹介したカンボジア人スタッフの皆さんも、英語ができ、専門知識を持った知識人です。例えば、ラスさんは高校の化学の教員免許を持ち、また現在大学に通って土木工学の勉強中です。そういう専門知識を国づくりに活かしたいと考えているのです。

Photi20_1 この国のあまりにも悲惨な過去や、根深い構造的矛盾を抱えた現在の様子を考えると、少し暗い気持ちになってしまいました。炎天下の中、おびただしい数の頭蓋骨に圧倒され、複雑な心境のままフィールド内を歩いていると、ふと場違いなほど高らかに明るい子どもの笑い声に出会いました。見ると、垂れ下がった樹の枝をブランコのようにして遊ぶ子どもの姿です。私は、この瞬間デジャブを見たような錯覚に陥りました。私は、同じような光景に沖縄でも出会ったことがあるのです。それは3年ほど前の沖縄修学旅行で行った摩文仁の丘での出来事です。少し長くなりますが、その時の報告集のあとがきに書いた私の文章を引用させてもらいます。

 この旅行は私個人にとっても、様々なことを感じ、とても勉強になる旅であった。例えば、旅行初日に摩文仁の丘を訪れた時のこと。ここには沖縄戦で命を落とした20万人以上の犠牲者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」が、太平洋に向かうように立ち並んでいた。沖縄南端から漠々と広がる太平洋を見ながら、この時私はふと背筋に寒くなるような感覚を覚えた。沖縄といえば、白い砂浜と遠浅の美しい海を真っ先に思い浮かべる。しかし、この海は違う。切り立った崖が足下を脅かし、その下には深い色の青い海が荒々しくどこまでも広がるばかり。この先にはどんなに漕ぎ進んでも大陸も島も何もない。この海が漠々と広がるばかりだ。それを私は感覚的に悟り、恐怖を覚えた。この海に戦死者達は飛び込んだのである。
 摩文仁の丘を立ち去る間際、公園内で遊ぶ一組の親子の姿が目に焼き付いた。お母さんの持つ赤い風船に飛びつこうと、小さな男の子がはしゃいでいる。その親子の笑い声は、この場所に不釣り合いなほど明るく響いていた。私は妙にちぐはぐな気持ちを抱いた。この子はこの場所がかつてどんな場所だったかを知らない。この場所で多くの人が死に、あるいはこの土地の下には、まだ発見されていないガマ(洞窟)があって、いまも遺体が静かに眠っているかも知れないということも。
 しかし、ふと、「それはどこでも同じことだ」という考えが、衝撃のように私を襲った。私がいま生活しているこの土地でも、もしかすると何百年も大昔には、大勢の人の血が流されていたかも知れないのだ。この少年と私の間にどれほどの差があるだろう。
 そう思った瞬間、私は今まで何か釈然としなかった疑問に解答を得たような気がした。Dscf1181私たちにできること は、戦争を悲しく思い出すことばかりではない。その傍らで高らかに笑うこともできる。それでよいではないか……。
 私には、この海が今でも忘れられない。

ここでも私は、子どもの笑顔に励まされてしまいました。子どもの無邪気な笑い声は、どんな賢人の言葉よりも哲学的である。私はそう思います。(樋口)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月28日 (水)

プノンペンで見た景色(3) ~格差社会編~ (執筆:樋口)

Photi1_1Photi30_2プノンペン市内の中心部を車で走っていると、時々非常に立派な建物を目にします。それらの多くは外国大使館であることが多いのですが、時には大学だったり、海外資本の会社のビルだったりもします。これらの近代的な建物は、カンボジアの復興の象徴と言えるでしょう。

Photi10

そういう象徴的な建物の一つとして、私は市内でよく見かけるガソリンスタンドも加えておきたいと思います。その風情は場所により様々ですが、市内中心部では時々左の写真のようにとても立派なスタンドを見かけます。こちらは、文字通り市民に密接した「復興の象徴」です。

Photi9ガソリンスタンドには、大抵コンビニエンスストアが併設されており、市民の憩いの場所となっています。しかし、利用するお客は、比較的裕福な市民層が中心のようです。私もコンビニに入ってみましたが、売っている雑貨はどれも割高な輸入品ばかりでした。

Photi22_1Photi8_2以前、バレンタインデーの様子として紹介した写真(左側)も、ガソリンスタンド前の風景です。ガソリンスタンド内のコンビニは夜遅くまで開いているので、若者たちの集う場所となっています。高校生くらいの若者たちが、こうした場所で夜遅くまで遊んでいます。

Photi31街中を若者たちだけでたむろするカンボジアの学生の立ち居振る舞いは、少し大人びていて、日本の学生とあまり変わりがありません。彼らも裕福な階級の子弟なのでしょうか。聞くところによると、裕福層の中高生の中には、日本円にして何万円もする高価な最新式の携帯電話を持つ者さえいるそうです。

Photi3_1

Photi4_3しかし、そのような都会的な風景は市内の一部に限られています。プノンペンの復興は、まさに現在進行形で進んでいる最中です。中心部を少し離れると、すぐに左のような建設工事中の風景が目に飛び込んできます。

Photi16_1

Photi5そういう場所では、道端に捨てられたゴミの山をあさる痩せ牛の姿や、建築現場の瓦礫を遊び場にする子どもの姿に遭遇します。むしろこういう風景にこそ、復興途上にあるプノンペン市の姿が象徴的に現れています。

Photi15Photi14Photi26プノンペンでは、左の写真のような貧困家庭の景色が、比較的立派な建物の隙間から突如として現れます。まるでここだけは、復興から取り残されてしまったかのように。しかし、むしろカンボジアの多くの人達が、この貧困層です。

カンボジアの庶民は、この激しい「格差社会」の真っ直中を生きているのです。(樋口)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月19日 (月)

プノンペンで見た景色(2) ~バレンタイン編~ (執筆:樋口)

Photh5_1Photi27プノンペン市内を車で走っていると、不思議な屋台を見つけました(左の写真)。吊されている茶色い物体は何か?実はこれ、パンです。よく見るとフランスパンが山のように積まれて売られています。カンボジアはかつてフランスの植民地だった影響で、このようにフランスパンを食べる風習が根づいているそうです。

Photi11Photi24_1Photi12フランス領であった名残は、パンだけではありません。例えばプノンペン市内の街角でこんな風にお花を売る屋台をたくさん見かけました。花を売ることのどこがヨーロッパの影響なのか、そう思うかも知れません。

Photi29 ところが、左の写真をご覧下さい。カンボジアにも、当然花屋はありますが、それはむしろこんな風情です。花屋というより植木屋・園芸店と言う方が正確でしょうか。この立派なお店に比べると、花束を街の片隅で売っている様子は、急作りの間に合わせの屋台という感じがします。

Photi8Photi25これらの写真を撮ったのは全て2月14日です。そう、実はこれ、バレンタインデー用のお花を売る、この日一日限りの屋台なのです。バレンタインデーというと、日本では「女性が男性にチョコレートを贈る日」というイメージですが、それは全く日本だけで行われている風習です。この日はヨーロッパでは「男性が女性に花を贈る日」なのです。右の二枚の写真を見ると男性がこの花屋の屋台の前に佇んでいるのがわかります。左側の写真には花束と一緒にハート型の風船が見えますね。右側の写真には白シャツに黒いズボンという学生服姿の男性が見えます。年格好からして高校生くらいでしょうか。

Photi28ちょうど花束を手にしてバイクタクシーに乗る女性の姿を目にしました。おそらくは恋人からもらったものなのでしょう。こういう光景をプノンペンの至る所で目にして、自ずと私も幸福な気持ちになりました。こういう平和で幸せな雰囲気に満ちた日にカンボジアに来ることのできた偶然に、少し感謝した一日でもありました。(樋口)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 9日 (金)

砂地に咲く花~カンダールより~(執筆:樋口)

Photh1_3カンボジア滞在も3日目を迎えました。プノンペンに戻った私は、今度はプノンペ ンの南、カンダールへ向かいます。そこにある建設中の学校や、JHPの建てた孤児院を見学するためです。カンダールへ向かうために、トンレサップ河に架かる大きな橋を車で渡ります。早朝の大河は、何とも言えない荘厳な雰囲気を醸し出していました。

Photh2_2Photh3_2ちなみに、この橋は何と「日本橋」と呼ばれているそうです。正式には「日本カンボジア友好橋」と言うそうですが、通称「日本橋」だそうです。この橋は、1966年に日本の協力によって完成したのですが、輸送路の要であったがゆえに内戦で爆破されてしまいました。以来、破壊されたままの姿をさらし、戦争の傷跡の象徴のような存在になっていました。それを再び日本の無償資金援助により造り直し、1994年に新しく開通させたのが現在の「日本橋」です。橋の中腹には、軍人さんらしき人が警備についていますが、とても平和な様子です。 この橋は、今では新婚カップルの記念撮影名所になっているそうです。

Photh8Photh7カンダール地方は、豊かな水源を背景にしてとても肥沃な土地のようでした。同じ乾期の時期のバッタンバンの景色とはまるで異なり、緑の田畑や牧草地帯が広がっています。(以前掲載した”超”高床式の家屋の写真は、この辺りで撮りました。)

Photh6_1Photh18_1道端で子どもが、長い竹竿を使って何かを採ろうとしています。何かの実が採れるのでしょうか。収穫したトウモロコシを仕分けして、屋台に並べる準備をする家族の姿を、ここではよく見かけました。トウモロコシが特産なのでしょう。母親(?)が作業をする姿を、後ろ(竹籠の陰)で小さな子どもがしゃがんで見つめています。

Photh9Photh12_1Photh11Photh10_3 さて、学校に着きました。ここには既にきれいな既存の校舎がいくつかありましたが、生徒数の増加にのために新校舎を建設しています。上は建設中の現場。まさに今、着々と建設作業が行われているところです。我々がバッタンバンに建てる校舎も、このように建設されていくのでしょうね。(右から二番目の写真奥に寺院が見えます。この学校は寺院の敷地内に建てられています。学校が少なかった時代にお寺が学校代わりになった経緯があったので、こうした学校も少なくないのです。)

Photh15Photh13左側の写真は、馬車の荷台に乗る中学生くらいのこどもの写真。写されたのに気づいて、恥ずかしそうに顔をこすりながら大はしゃぎでした。(ちなみにこの馬車は、建設物資を運ぶためのものか、帰宅する生徒を運ぶためのものか定かではありません。)右側の写真は塗装中の新しいトイレです。塗装しているのは、小学生くらいの子どもです。きっと大工の家の息子なのでしょう。このように子どもにでもできる簡単な作業から、お手伝いを始めるのです。

Photh16_1左の写真は、午前中の授業を外から眺める子ども達です。きっと午後からの授業を受ける子ども達なのでしょう。午前中の授業に友達が出ているのかも知れません。

Photh17_4 右の写真は、既存校舎の図書室の様子です。本の数はざっと見て70~80冊はありそうです。カンボジアでは図書室を持つ学校自体そう多くはありません。その点ここは恵まれている環境です。おそらくはこれらの本も寄付によるものでしょう。SVA(シャンティ国際ボランティア会)というNGO団体が、カンボジアなど東南アジアの学校に絵本を届ける活動をしています。最初に視察したクロサンクルー小学校にも、実際にSVA援助の絵本が20冊ほど置かれていました。カンボジアの教育環境は、このような複合的な支援によって、ようやく少しずつ改善し始めているという状況です。

Photh20将来、カンボジアで学校が十分に建ち、本や教材が充実し、教育環境が整った後に必要となるものは何か。それは、よい教員です。カンボジアではポルポト政権時代に起きた知識人虐殺によって、多くの教員が殺されました。今もカンボジアでは教員不足に悩んでいます。しかも、教師という職業の社会的地位や給料の低さのために、優秀な人材が集まらずに構造的な矛盾に直面しています。

Photh14カンボジアへの支援は学校という”箱”をつくるだけで終わりではありません。校舎を建てることは、まだほんのスタートにしか過ぎません。しかしながら、少しでも学校が快適で楽しい場所になり、そこが子ども達にとっての希望の場所になることがまず大切です。カンボジアの子ども達は親の背中を見て、生きる術(すべ)を学んでいます。同じように教師の背中から学び、たくさんの子ども達が学校の先生を目指してくれると嬉しいと思います。

Photh19カンボジアで、辺りを振り払うように色鮮やかな花を時々見かけました。ツツジに似ていますが、それとは違ってもっと大きな樹木となります。殺風景な砂地を背景にして見るこの花の存在感は一層格別です。カンボジアの子ども達も、この花のような存在感で輝いています。しかし、どこであっても子ども達は、ちょうどこんな風に輝いているものだし、そうあるべきものだと思います。たくさんの水をやって立派に育てたい、そう願います。(樋口)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 7日 (水)

コンポンチュナンより~第3の視察校~(執筆:樋口)

Photg19_3バッタンバンのターナッ小学校を後にした私は、再び国道5号を南下します。途中11時頃に早めのお昼を、昨日立ち寄ったのと同じプルサットのお店でとりました。昨日は撮り忘れましたが、カンボジア料理はこんな感じです。ご覧の通り、タイ米と炒め物が中心です。この時は他にスープも注文しました。味付けは、よく言われるように「辛くないタイ料理」というのが、最も的確な表現でしょう。スープも炒めものも基本は魚介類のだしがよくきいていて、塩やしょうゆでさっぱりと味付けされています。カンボジアで食べた料理は、どれもおいしかったです。

Photg1_1

お店の奥では、中学生くらいの子どもがお手伝いをしています。カンボジアでは、子ども達が必ず家の仕事を手伝います。カンボジアの小学校は、大抵2部制ですから、午前または午後だけで授業が終わります。ですから、空いた時間に家の手伝いができるのです。カンボジアの子どもは、5才くらいになると、もう家の手伝いをし始めます。飯屋に生まれた子どもは、皿洗いや米炊きを。大工に生まれた子どもは、レンガ運びやペンキ塗りを。農家に生まれた子どもは、畑仕事や牛飼いを。そういう風に子ども達は、学校での勉強とは別に、生活するための「技能」を家で学ぶのです。

Photg2_2さて、そのお店の店先でこんなものを見つけました。「おいしい」 という名の会社の緑茶です。日本的なネーミングですが、明らかに日本の会社ではないようですね。よく見ると、緑茶なのに「イチゴ風味」「玄米風味」「黒ごま風味」という一風変わったラインナップです(別の会社製ですが「ワイルドベリー風味の緑茶も写っていますね)。「黒ごま風味」茶のペットボトルには、ちょっと見づらいかも知れませんが、「忍者」の文字とマークがついています。「黒ごま」と「忍者」の組合せが(たぶん「黒」つながりでしょうけれど)、何とも不思議な感じです。

Photg4

さて、お腹も満たされたところで、再び移動です。国道5号線は比較的整備された道ですが、何ヵ所か左の写真のように舗装中の場所もあります。こういう工事中の場所が、何の表示もなく突然現れます。速度を出したままここを通ってしまうと、ひどい目に遭うでしょう。カンボジアの道は、いろいろなものに注意力を働かせながら走らなければいけないのです。

Photg20Photg21私も窓の外の景色に注意を働かせていると、ふとこんなものを発見しました(左の写真・右が拡大図)。何だか分かりますか? そう、バレーボールのネットです。カンボジアでは、家の庭に簡易のネットを張ってバレーボールをする子どもの姿をよく見かけます。ボールさえあれば、身近にあるものを代用してお金をかけずに遊べる、その手軽さが普及の一因でしょうか。サッカーボールを蹴る子供も何度か見かけましたが、カンボジアではどちらかというとバレー人気の方に軍配が上がりそうです。カンボジアにバレーボールを楽しむ子ども達がいる。バレー部顧問の私には、とても感激的な光景でした。

Photg16_1Photg15_2走ること2時間。 ようやく視察校に到着です。最後の視察候補地の学校は、コンポンチュナン州にあるモハサマキ中学校です。3つの視察校の中で唯一の中学校です。コンポンチュナンは、プノンペンからほど近く、車で約1時間半ほどの場所にあります。3つの候補地の中では、最も地の利の良い場所にあります。到着してみると、学校は緑に囲まれた場所にあり、入り口から校舎までがまるで並木道のようになっています(右側の写真)。

Photg7Photg8Photg9ここには個人支援で建てられた校舎が、すでに2棟あります。カンボジアの中学校は、通常は1部制だそうですが、ここは教室不足のために現在2部制で運営しています。さらに、近くの小学校からほとんどの生徒がこの中学校に進学するそうですが、その小学生の数が増えており、今後一層教室不足が深刻になるとのことでした。また、この近くには高校もあるそうですが、この中学から地元高校への進学率が90%だそうです。これはカンボジアでは極めて高い数字だそうです。2部制という悪条件にも関わらず、高い進学率を維持している先生方の努力に対し、深い敬意を感じます。

Photg10_2Photg11_1Photg12こちらが立て替えを必要としている校舎。光がこぼれるほど屋根が傷んでおり、すでに使用禁止の状態になっています。

Photg13Photg14この校舎は、柱も今にも崩れそうな状況です(左側の写真)。右側の写真は、椰子の木に登るサコーンさんです。よく見ると、幹がえぐれている部分があり、こちらも倒壊寸前(?!)でしょうか。写真を見ているだけでも冷や冷やしますね。

Photg17Photg18「冷や冷やする」といえば、その日の視察を終えてプノンペンのホテルの部屋に入った時、こんな光景に出くわしました。ホテルのバルコニーから見える向かいのビルの様子です。ビルの3階に犬が飼われています。飼い主は2階でレストランを経営しているようです。その飼われている犬が、階下の飼い主のことが気になって、寂しくて何度も鳴いています。しまいには換気ダクトの上から下を覗こうとするのですが、その様子が今にも落ちそうで・・・。後ろ足1本が柵の内側に残っているだけです。本当に冷や冷やしてしまいました。(樋口)

      

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月28日 (水)

バッタンバンより~第2の視察校~(執筆:樋口)

Photf2 プノンペンから一路国道5号線をひたすら北上した私は、バッタンバン市内で1泊し、カンボジア滞在も2日目を迎えました。これからは一度北上した道のりを取って返し、プノンペンに戻る旅となります。2日目最初の視察校は、バッタンバン州のターナッ小学校です。ここは国道5号線から、少し横道に入ったところにあります。カンボジアでは国道を逸れるとすぐに写真のような風景になります。舗装されていない道を走る車は、喩えるなら徐行するジェットコースターといった感じでしょうか。ゆっくり走っている(というか絶対に速度を出せない)のに、みぞおち辺りに衝撃を感じるほどの強い揺れを何度も味わいました。

Photf1Photf3 国道を逸れてすぐのところに線路がありました(左側の写真)。これは貨物列車用の線路です。人を遮る柵などはありません。枕木は土埃に埋もれ、無いように見えます。右側の写真は、小学校近くの民家です。民家はどこもこのように高床式です。この辺りの人々は、みんな農家だそうですが、一体どこで何が穫れるのだろうと心配になるような風景しか、周りには広がっていません。(しかし、バッタンバンはカンボジア随一の大穀倉地帯だそうです。雨期になるとこの景色が一変するのかも知れません。)

Photf4Photf5ターナッ小学校の入り口です。学校の敷地は簡単な鉄条網で囲われているだけです。敷地の外は、まるで原っぱのような田畑(おそらく)がどこまでも広がる、そんな風景です。右の写真は、ターナッ小学校の先生方です。訪れた時には、あいにく校長先生が不在だったため、この先生方3人が応対してくださいました。後ろでスタッフのサコーンさんがミネラルウォーターを飲んでいる姿が見切れていますね(笑)。 

Photf6Photf7ターナッ小学校には2つの校舎があります。一つは、97年ユニセフ支援の木造5教室の校舎(写真左)です。1室は職員室として使用されています。右側はその教室内の風景です。 しっかりした校舎ですが、木造なので隣の教室の声が結構響いて聞こえてしまいます。

Photf8_1Photf13_1もう一つの校舎は、ポルポト時代に建てられた木造2教室の校舎です。こちらは、はっきり言って校舎というよりも古びた馬小屋といった有様でした。教室の壁は外からの光が漏れ入るような状態で、雨風が吹くと教室内に入り込んでしまうそうです。直射日光と日陰のコントラストのきつい教室内は、黒板の文字が見づらい状況でした。   

Photf11

Photf12この校舎は、特に低学年の子ども達が使用していましたが、机が大きすぎて体に合っていないのがよく分かります。風雨や直射日光に晒される状況のため、机の傷みも早いようで、右側の写真を見ると子ども達の背後には、表面がボロボロになって使えなくなっている状態の机が写っています。教室の状態も悪く、ノートを持っている生徒も疎らな状況ですが、それでも子ども達は一生懸命勉強しています。

Photf10_4Photf17_3 カメラを向けていることに気づくと、子ども達が恥ずかしがって下を向いてしまうことが多かったので、これ以上授業の邪魔をしないよう遠巻きから撮影することにしました。遠くから見ていると、おそらくクメール文字の勉強だと思うのですが、クラス全員で大きな声で斉唱する声が響きました。校舎の壁には、覚えたての文字を練習した跡でしょうか、チョークで書かれた落書きが見られました。

Photf15Photf16_1 左側の写真は、お菓子などを売っている屋台です。カンボジアの学校の敷地内には、どこでも大抵こういう屋台が入っています。日本でいう購買部みたいな存在でしょうか。右の写真は、校庭にあった鉄棒です。遊具らしき物は、見渡す限りこれだけでした。しかも、鉄の棒が真ん中の一番高いところにしかついていません。そこに飛びついたサコーンさんが、見事な着地を決めています。その様子から鉄棒は頑丈であるようですが、大人の背丈でやっと届くような高さにしかないことが分かります。これでは子ども達は遊べません。ここはもっぱら自転車置き場と化してしまっているようです。

Photf18_2 カンボジアでは、都市部を除いて基本的に電気もガスも水道も通っていません。電気が必要な時には、小型の発電機を利用します。ガスの代わりには、木や木炭を燃やします。水道の代わりには、井戸を使います。しかし、井戸水は多くの場合、大腸菌が混入しており飲料水には適しません。水は主に汲み取り式トイレを流すために使います。ターナッ小学校には井戸もなく、近くの池の水を利用しているということでした(左写真はトイレ)。ここの視察で実感したのは、当然の事ながら田舎の方がより状況が悪く、支援の必要性・緊急性が高いということです。バッタンバンは、タイと国境を接する州です。ターナッ小学校は、国道にほど近くとても安全な場所ですが、国境付近の地域まで行くと、まだ地雷が眠っている危険性があります。そういう場所には、危険を知らせる立て看板が立っているそうですが、識字率の低い農村部では、その看板の字すら読めずに地雷の犠牲となってしまう幼い子どもが、まだいるそうです。地方の農村部にこそ、読み書きを教えることが急務なのですが、そういう地方ほど教育環境が整っていないというのが現実です。

Photf19Photf20_1立派な校舎も、教科書もノートも鉛筆も、遊具も、ましてや井戸もない環境の中に居て子ども達は、けれども不平を言う様子もなく、その現実の中で明るく元気に勉強しています。そのひたむきな姿を眺めていると、自然と胸の奥を強く打たれるような感覚に襲われます。その衝撃は、徐行するジェットコースターの比ではありませんでした。(樋口)

※すでに在校生には、「『海外に学校をつくろう』NEWS」等でお伝えしましたが、校舎建設地をこのターナッ小学校に決定致しました。今後は、3月下旬着工~7月末完工予定で建設が始まります。支援を予定しているのは、校舎1棟(4教室)の建設、トイレ1棟(3室)および井戸の建設、校舎内備品(机・イス・黒板)です。ターナッ小学校の上記のような状況を鑑み、校舎建設以外にも、教材・文具・遊具などの支援もできないか現在思案中です。ぜひ今後とも、この事業に対する皆様のご支援、ご協力をお願いしたく存じます。どうぞよろしくお願い致します。(樋口)

| | コメント (0) | トラックバック (0)